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新しい詩「立葵、面影」をホームページに公開しました。

ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩の花が咲きました。
(ホームページの公開作品に詩の作品名をリンクしています)

詩 「立葵、面影」 (短編詩)


お読みくださるとうれしいです。


☆ 詩集です。

詩集 「銀河、ふりしきる」  高畑耕治
カバー・章扉絵・渡邉裕美
393作品収録 A5判400ページ 
発売イーフェニックス 税込540円
高畑耕治詩集「銀河、ふりしきる」 絵・渡邉裕美

☆ 書店、図書館
書名 「銀河、ふりしきる」 
ISBN 978-4-908112-17-1
出版社イーフェニックス

☆ アマゾン
詩集・銀河、ふりしきる 


  


  • 2018年05月19日 Posted by 高畑耕治 at 09:02Comments(0)

    新しい詩「南北東西」「ポぽ」をホームページに公開しました。

    ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩の花が咲きました。
    詩の作品名を、ホームページの公開作品にリンクしています。

    詩 「南北東西」 (中編詩)
    詩 「ポぽ」 (小さな詩)


    お読みくださるとうれしいです。


    ☆ 詩集です。

    詩集 「銀河、ふりしきる」  高畑耕治
    カバー・章扉絵・渡邉裕美
    393作品収録 A5判400ページ 
    発売イーフェニックス 税込540円
    高畑耕治詩集「銀河、ふりしきる」 絵・渡邉裕美

    ☆ 書店、図書館
    書名 「銀河、ふりしきる」 
    ISBN 978-4-908112-17-1
    出版社イーフェニックス

    ☆ アマゾン
    詩集・銀河、ふりしきる 

      
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  • 2018年04月29日 Posted by 高畑耕治 at 09:24Comments(0)

    新しい詩「やまぶきの花」「人も心を」をホームページに公開しました。

    ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩の花が咲きました。
    詩の作品名を、ホームページの公開作品にリンクしています。

    詩 「やまぶきの花」 (小さな詩)
    詩 「人も心を」 (中編詩)


    お読みくださるとうれしいです。


    ☆ 詩集です。

    詩集 「銀河、ふりしきる」  高畑耕治
    カバー・章扉絵・渡邉裕美
    393作品収録 A5判400ページ 
    発売イーフェニックス 税込540円
    高畑耕治詩集「銀河、ふりしきる」 絵・渡邉裕美

    ☆ 書店、図書館
    書名 「銀河、ふりしきる」 
    ISBN 978-4-908112-17-1
    出版社イーフェニックス

    ☆ アマゾン
    詩集・銀河、ふりしきる 


      
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  • 2018年04月07日 Posted by 高畑耕治 at 09:05Comments(0)

    新しい中編詩「羽手紙」ホームページに公開しました。

    ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩の花が咲きました。
    詩の作品名を、ホームページの公開作品にリンクしています。

    詩 「羽手紙」 (中編詩)

    「羽手紙」(中編・組詩)
    ・ひかりの花
    ・闇の花
    ・ゆきの羽

    お読みくださるとうれしいです。


    ☆ 詩集です。

    詩集 「銀河、ふりしきる」  高畑耕治
    カバー・章扉絵・渡邉裕美
    393作品収録 A5判400ページ 
    発売イーフェニックス 税込540円
    高畑耕治詩集「銀河、ふりしきる」 絵・渡邉裕美 

    ☆ 書店、図書館
    書名 「銀河、ふりしきる」 
    ISBN 978-4-908112-17-1
    出版社イーフェニックス

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    詩集・銀河、ふりしきる 


      
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  • 2018年03月24日 Posted by 高畑耕治 at 10:57Comments(0)

    ベートーヴェン交響曲とバロック音楽と能楽と

    ベートーヴェンの交響曲、5番運命、6番田園、7番のだめ、8番を繰返し聴いて交響曲、合奏は本当にいいと、そして第九の人の声、独唱も合唱も、高めあい創りあう時間の創造は本当に素晴らしいと、しみじみ感じます。

    7番の、のだめカンタビーレ、第三楽章の、第二主題の、バイオリンの通奏低音、清流のように静かに流れつづける音は、本当に美しいと知りました。
    (のだめカンタピーレはテレビで見ていませんでしたが、音楽が好きな若者は好きだと勝手に思っています。クラシックもロックもJもKもポップもストリートミュージシャンも。)

    バロックの、パッヘルベルのカノンも、バッハのG線上のアリアも、とても静かでシンプルそのものに感じられ、清浄な音の重なりあい交わり響きあいに、どんなにこころ汚れ疲れていても洗われるけれども、作品そのものは全体も細部も緻密な閃きと演奏者のこころと技術で織りなされ生まれている、そのことすら、本当に美しい芸術は忘れさせ感じさせない、素朴とさえ思わせる素晴しさがあります。

    第九、合唱、歓喜に寄す、のシラーの詩は、感激調、自己陶酔、集団陶酔で、時代がかりの理想主義主張っぽいけれども、わたしは人間の、美しいある一面の姿を浮き彫りにとらえていて、ミロのヴィーナスやミケランジェロのダビデ像のように、先入観を捨てむきあうとただ美しいとしかいえない感情につつまれ、わたしは好きです。

    交響曲のような壮大な構築音楽と並べたときに、この島国に生まれた芸の特徴、良さを思い、能の「葵の上」の、横笛と鼓とゆったりした節回しと仕種の、舞台を観てみました。退屈せず通して観ることができました。世阿弥は人物だと思います。能楽に文化を注視したことでは三島由紀夫に共感します。

    能楽を観て、女性がいないのは、男性が女性を演じているのは、面の象徴があっても、まだわたしには、姿、動きの曲線の柔らかさに欠けているのではと感じられてしまいます。歌舞伎も。時代的社会的な要因と理由付けがあると思うけれども。

    源氏物語などの平安王朝物語に描かれた、五節(ごせち)の(天女の)舞い、平安末期から鎌倉時代の静御前(しずかごぜん)のような白拍子(しらびょうし)の、女性の舞いは、美しかったのではないだろうかと、想い描きます。
    能楽が男芸なのは時代による生き方の制約だったのでしょうか。まだ勉強不足で入門者です。


      


  • 2018年03月10日 Posted by 高畑耕治 at 08:18Comments(0)エッセイ

    散らし書きの花、羽ばたく憧れの美 「伏見天皇宸翰(しんかん)源氏物語抜書」

    源氏物語への深い共感に生まれた(返し書きの技巧も)美しい「散らし書き」です。

    日本語の、縦書きの、かなの書の文字、散らし書きには、流れゆく流されゆくもののささやかなささやき、愛(かな)しみの美があります。

    散らし書きは紙に余白をふんだんに残した、とても贅沢な書き方です。
    が、美の感性、感覚に純になってみつめると、早春のユキヤナギ、秋の萩が、小さな星のような花と葉をしなやかにそよ風にゆらめかせるような、自然な姿の文字は美しく、手紙に咲いている花のようです。

    返し書き」は、中世当時の女性の手紙での、散らし書きの技巧で、(現在一般的な書き方のように紙の右端から左端へ一行ずつ縦書きするのではなく)、紙の、中央、左下、右下、右上、中央上、左上のような順にくるりと左回りに回転させるように、散らして書いています。

    この画像の箇所では、伏見天皇が源氏物語のの世界に入り込み、登場人物の柏木になりきって、物語女三宮に充てた告白の恋文を書いています。
    「京極派和歌の研究」(岩佐美代子、笠間書院)で知りました。

    重要文化財「伏見天皇宸翰(しんかん)源氏物語抜書」資料番号H-134 画像全46
    国立歴史民族博物館 歴博画像データベースで公開

    伏見天皇宸翰源氏物語抜書 資料番号H-134 画像24

    巻物の全体を包むように白い鳥たちが描かれていて、巻物をひらくと開かれてゆく源氏物語の世界の空へと、
    羽ばたいてゆくようです。

    「伏見天皇宸翰(しんかん)源氏物語抜書」資料番号H-134伏見天皇宸翰源氏物語抜書 資料番号H-134 画像41 
      


  • 2018年03月03日 Posted by 高畑耕治 at 09:36Comments(0)エッセイ

    新しい長編詩「白い小鳥とイルカに結ばれて」をホームページに公開しました。

    ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩の花が咲きました。
    詩の作品名を、ホームページの公開作品にリンクしています。

    詩 「白い小鳥とイルカに結ばれて」 (長編詩)

    「白い小鳥とイルカに結ばれて」(長編組詩)
    ・悪の猿の惑星
    ・ヘイトと、願いと祈りと
    ・なみだ
    ・ひと知れず
    ・闇を光の


    お読みくださるとうれしいです。


    ☆ 詩集です。

    詩集 「銀河、ふりしきる」  高畑耕治
    カバー・章扉絵・渡邉裕美
    393作品収録 A5判400ページ 
    発売イーフェニックス 税込540円
    高畑耕治詩集「銀河、ふりしきる」 絵・渡邉裕美

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    詩集・銀河、ふりしきる 

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    書名 「銀河、ふりしきる」 
    ISBN 978-4-908112-17-1
    出版社イーフェニックス
      
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  • 2018年02月25日 Posted by 高畑耕治 at 09:00Comments(0)

    新しい詩「さぎのあお空」をホームページに公開しました。

    ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩の花が咲きました。
    詩の作品名を、ホームページの公開作品にリンクしています。

    詩 「さぎのあお空」 (短編詩)

    お読みくださるとうれしいです。


    ☆ 詩集です。

    詩集 「銀河、ふりしきる」  高畑耕治
    カバー・章扉絵・渡邉裕美
    393作品収録 A5判400ページ 
    発売イーフェニックス 税込540円
    高畑耕治詩集「銀河、ふりしきる」 絵・渡邉裕美

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    詩集・銀河、ふりしきる 

    ☆ 書店 図書館
    書名 「銀河、ふりしきる」 
    ISBN 978-4-908112-17-1
    出版社イーフェニックス   
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  • 2018年02月17日 Posted by 高畑耕治 at 08:00Comments(0)

    新しい詩「子さぎ憧憬」をホームページに公開しました。

    ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩の花が咲きました。
    詩の作品名を、ホームページの公開作品にリンクしています。

    詩 「子さぎ憧憬」 (短編詩)

    お読みくださるとうれしいです。


    ☆ 詩集です。

    詩集 『銀河、ふりしきる』  高畑耕治
    A5判、400ページ。393作品収録。カバー・章扉絵・渡邉裕美。発売イーフェニックス、税込540円。

    高畑耕治詩集「銀河、ふりしきる」 絵・渡邉裕美

    ☆ アマゾン
    詩集・銀河、ふりしきる 

    ☆ 書店、図書館
    書名 「銀河、ふりしきる」 
    ISBN 978-4-908112-17-1
    出版社 イーフェニックス
      
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  • 2018年02月12日 Posted by 高畑耕治 at 10:52Comments(0)

    永福門院の和歌

    折口信夫「歌の話」から。
    「人間はいつもにこにこ笑っているものばかりのものではありません」
    「世間の流行は、しかたのないもので、(略)世間の評判と、ほんとうの物のねうちとは、たいていの場合一致していない」

    何となき草の花咲く野べの春。雲に ひばりの声ものどけき
    (永福門院、風雅集巻二122)
    折口信夫「歌の話」岩波文庫から。雑草の花、なんということのない変った点もない草の花。

    折口信夫の本を読んだことで、玉葉集の時代に生きた、永福門院の和歌を読み返し感じとりたいと思い、取り寄せています。彼女は自然のいのちの息吹きを、とても繊細な感性、感受性でうけとめることができ、言葉で表現することができた、優れた女性歌人だと思います。
    大切なもの好きなことにふれる時間は深い眠りのように目覚め起きあがる気持ちを蘇らせてくれるから。読書をしています。
    「永福門院―飛翔する南北朝女性歌人」(岩佐美代子、笠間書院)。
    この著者の「木々の心 花の心 玉葉和歌集抄訳」(同上も)以前読んで教えられたよい本です。

    我もかなし草木も心いたむらし秋風ふれて露くだるころ (伏見院)
    人のすてしあはれをひとり身にとめてなげきのこれる果ぞ悲しき (永福門院)
    悲しい心にふれゆれることで、生きる想いは深まりつよくなれる、心は不思議です。

    恋の心を

    今日はもし人もや我を思ひいづるわれも常よりひとのこひしき

    (今日はもしやあの人も私を思い出しているのではないかしら。私もいつもよりひとしお、あの人が恋しくてならない)風雅集、恋四
    「永福門院」(岩佐美代子、笠間書院)想う人は読者の自由です。良い歌は心の自由に響きます。

    ちりうける山の岩根の藤つつじ色にながるる谷川の水 
    風雅集・春下 永福門院
    (山の岩かげに咲いていたのがすっかり散って、今は川面に浮いている藤の花、つつじの花、それをうかべて美しい色となって流れてゆく、谷川の水よ。「永福門院」(岩佐美代子、笠間書院)
    春の終わり、色彩美しく、清澄に流れてゆく歌。   


  • 2018年02月04日 Posted by 高畑耕治 at 16:30Comments(0)エッセイ

    伏見院、京極為兼、高村光太郎

    京極派と呼ばれる鎌倉後期から室町、戦国時代のある時期に明滅した勅撰集「玉葉集」、「風雅集」に象徴される、すぐれた和歌があり、私は共感します。
    永福門院の和歌が感受性と言葉づかいの繊細さでとくによいと感じます。)

    文学で、「派」や「グループ」というものはありえないと考え、好きではありませんが、文学感で理解、共感しあえる同時代に生きる個性それぞれの創作表現と理解すればよいと思います。

    われもかなし草木も心いたむらし秋風ふれて露くだるころ  
                                                           伏見院

    私も悲しい。草木(くさき)も悲しみにくれているようだ。秋風が草木に触れ、露がおりるころは。
    (井上宗雄 校注・訳、新編日本古典文学全集49、小学館。所収、玉葉集から)

    木の葉なき空しき枝に年くれてまた芽ぐむべき春ぞ近づく                             京極為兼(きょうごくためかね)

    木の葉(このは)が落ちて何もない枝に年が暮れて、また新しく芽ぶきの春が近づいてくるよ。
    (井上宗雄校注、新編日本古典文学全集49小学館の玉葉集)共感した冬の歌

    とまるべき宿をば月にあくがれて明日の道ゆく夜半(よは)の旅人
                                     京極為兼

    泊るはずの宿を、美しい月に心が誘い出されて、明日(あす)行くべき道を歩み始めた、夜ふけの旅人
    (井上宗雄校注、新編日本古典文学全集49小学館の玉葉集)共感した夜の旅の歌

    京極為兼の「芽ぐむべき春」の和歌は、「べき」と使っていることからも、思念的、観念的ともいえ、詩歌としての境界線上にあり、詩歌とはいえなくなりそうな、危うさのうえにあると思います。

    高村光太郎の、「僕の前に道はない」という、詩「道程」のように。
    けれど、こんな詩もまた、あっていいと感じる、私は好きな、共感する詩です。

    詩集「智恵子抄」の詩がより心から好きですけれど。

    高村光太郎は自分に詩論はなく詩は気迫だ心の鼓動リズムの芸術だと、限りなく音数律の詩である日本語の詩の核心を言っていると思います。音色の美しさを無視しようとしたことを除けば。
    戦時中「シンガポール陥落」の戦争賛美をしてしまったけれども戦後に心から悔いた学ぶべき人。彼の詩は好きです。

    戦争賛美をけっしてせず、抵抗し、忌避し、迫害され、戦地に送られ、殺された、無名の文学青年、ペンを折られ、折った文学者、滅びを選んだ太宰治や原民喜たちには及びようもありませんけれど。
    戦争を悔いることも詫びることもしなかった人たちとは比べようもなく光太郎は人間です。

      


  • 2018年02月04日 Posted by 高畑耕治 at 16:00Comments(0)エッセイ

    好きな歌。建礼門院右京大夫集。紫式部。

    建礼門院右京大夫集

    とし月のつもりはててもそのおりの雪のあしたはなをぞ恋しき
    (訳)
    年月がどんなにたってもあの雪の朝は恋しく、思い出されて

    建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだゆう)集は、平家の若者と愛し合い源平の戦で死に別れた女性の和歌集です。
    日中戦争、太平洋戦争に巻き込まれたで多くの若者に、岩波文庫で読まれました。読み返して豊かな感情と深い悲しみに心がうたれます。どのような大義を為政者がかかげようと、戦争をゆるしてはだめだと私は思います。


    鳴き弱るまがきの虫もとめがたき秋の別れやかなしかるらん

    紫式部 (千載和歌集 離別歌)

    (大意)
    鳴き弱ってゆく垣根の虫たちも、止めることのできない秋の別れを悲しんでいるのでしょうか。

    紫式部の和歌には、源氏物語の流れに輝く歌、「紫式部集」のほか、新古今集や玉葉集でも出会えます。
    和歌においても、人としてのまなざし、心の深さが必ず根底に感じられてよいと私は感じます。
      


  • 2018年02月04日 Posted by 高畑耕治 at 15:00Comments(0)エッセイ

    本居宣長「新古今集美濃の家づと」など

    本居宣長
    「排蘆小船(あしわけおぶね)」 
    歌道についての批評精神、古今伝授の虚妄の批判は現代に通じる。

    「新古今集美濃の家づと」 
    もののあはれのに立つ新古今和歌集の和歌批評。過去の解釈に対する批評、誤読、独断もふくめ学べる。
    (中公バックス、日本の名著21)

    本居宣長 「排蘆小船(あしわけおぶね)」 
    「石上私淑言(いそのかみささめごと)」
    (岩波文庫)
    原文ですが中公バックスの現代訳のあと読むとおおよそ理解できる。「物のあわれ」にたつ歌論。
    源氏物語が対象の「紫文要領(しぶんようりょう)」「源氏物語玉の小櫛(おぐし)」と結ばれた文学観。

    「和歌の本質と展開」
    (桜楓社、赤羽淑、橋本文美男、藤平春男編著)。
    犬養孝「万葉美の世界」がよく、赤人の長歌についての、音数律、内在律、リズムに共感した。
    内藤悠輔「歌による異国戦記」は秀吉による朝鮮出兵に従軍した老僧の和歌による戦争記録、悲惨さの批判があり愚かな歴史を学んだ。

    「漢文入門」
    (前野直彬(なおあき)、ちくま学芸文庫)
    漢文は訓読され書かれてきだけれど、その歴史、どういう本質の言葉、表現か、伝えられてきたかを考えることが欠けていたと、古典で読むたびに感じていました。教えられることが多いです。


      
    タグ :本居宣長


  • 2018年02月04日 Posted by 高畑耕治 at 14:00Comments(0)エッセイ

    藤原定家の研究に想う

    「藤原定家の歌風」(赤羽淑、桜楓社)
    和歌の調べ。言葉の音楽の美しさの秘密を解き明かす。私もも日本語の詩の創作で心にとめていることなど。定家の歌の雪の美しさの奥深さを、精神の顕微鏡により雪の結晶の映像にまで拡大して見極めようとし変化の無限のまえで立ちすくみつつ歌の美の無限を伝える。

    「藤原定家の研究」(石田吉貞、文雅堂書店)
    定家の和歌の根底、種子であるものを、頽唐(たいとう)精神とする。頽廃(たいはい)、デカダンスのこと。ボードレールのような。そうだと思う。泥池に白い蓮の花は咲く。投げ込まれた時代の池で人は生きるしかない。海と空のあおに憧れ嫉妬し憎み愛し。
    和歌の韻律の美。(319頁)
    「としぞふるみるよなよなもかさなりてわれもなきなかゆめかとぞ思ふ(六百番歌合)
    あづまやのこやのかりねのかやむしろしくしくほさぬはるさめぞふる(千五百番歌合)
    の如きは、次々と相似た音を呼び起して行って、連鎖のような感じを与えている。
    これらは勿論、定家が意識的にこのような音の選択や排列をしたものではないであろう。しかし詞の彫琢に苦心し、案じ返し吟じ返ししている間に、自然にこのような音排列ができたものとは考えることができ、定家の鋭敏な音楽的感覚が自ずと作り出した、一つの表現方法であったと言って良い。」
    詩を創り詩が生まれでるときには、心と言葉の音楽に耳を澄まして選び選ばれふりそそがれて美の糸が紡ぎだされ織られてゆくことを、石田吉貞の定家の歌の研究のこの個所は、よく捉えていると感じました。
    心の言葉、言葉の心。耳を澄ましてしまう人が詩を愛ししる人。
    耳を澄ましたとき、西行にはより心の音楽が、定家にはより言葉の音楽が、聞こえてきたのだと思います。
    資質、心の在りかた、そうでしかあれない、生き方、願い。

    「藤原定家研究増補版」(安田章生、至文堂)
    新古今時代の西行などの歌人の個性の感受が新鮮。茶道、能などの芸術と和歌の関りを学ぶ。P558 「詩は、言葉を離れては存在しないものながら、最高の名品というものは、その言葉の美しさをも忘れさせるというような性格を有しているものではあるまいか」
    「詩人は人一倍言葉に執心しなければならないが、その執心のほどを作品の上にとどめてはならないものであろう。美しい言葉は、美しいがゆえに彫琢の跡を感じさせないという性格を有しているものであろう。」歌人の著者ならではの良い言葉だと共感します。
    定家と、西行、藤原俊成、式子内親王それぞれとの、関り、個性、歌風、生き方の違いと共感について教えられます。引用歌も多く、鑑賞には歌人の著者らしい感受力があるのが良いと思います。四人ともに個性と普遍性ある優れた歌人だと思います。

    彼らが生きた時代は、街路に飢餓人が多く権力者の横暴と抗争がくりかえされる時代でしたが、今のこの国、この社会も負けず劣らず酷くなってしまっていると私は思います。
    この時代に、式子内親王が帰依した法然、その弟子の親鸞、彼らを罵った日蓮、鎌倉仏教を起こした人は権力に弾圧され流刑にされながらも折れることなく生きぬきました。その宗派を信仰するしないは別として、いのち、社会を凝視した生きざまは、深く尊敬せずにいられません。

    「藤原定家」(安東次男、講談社学術文庫)
    定家の和歌を選び出しての批評。過去の評釈の引用が多いので教えられる。和歌ごとの批評は独断的だと感じる。和歌はあいまいさ感じ取り方の自由さにこそ本来の良さがある私はと思います。

    中世の和歌は、日本の詩歌の山なみの、美しさと悲しみと象徴の極みにあると私は思っています。現在、より近い時間的な過去と、作品の質の高さと作品としての新しさは、別のものです。
    芸術の創造性は学びと修行と鍛錬に根ざしたうえでの模索の果てに初めて芽吹くものとわたしは思っています。
    現代の詩歌は谷にる危惧をいつも感じ考えています。
    現在までつづく詩歌の山なみにあり、読まれ愛されている、例えば俳句の芭蕉や一茶、自由律の放哉や山頭火、詩の金子みすず。その作品は和歌の言葉の調べ、音色とリズム、象徴性を受け継ぎ、息づかせています。こころと言葉が溶け込み織りなす感情と感性、思いの深さと強さと美しさ、感動があります。

    心の感動だけが心の感動を呼び起こしてくれると私は感じ思います。
    絵は色彩と線と形で。
    音楽は声とメロヂィーとリズムで。
    詩歌はこころ言葉で。
      
    タグ :藤原定家


  • 2018年02月04日 Posted by 高畑耕治 at 13:00Comments(0)エッセイ

    八代集。小野小町、西行、式子内親王の好きな歌。

    万葉集と歌人、作者未詳歌も含めて、ながく読みつがれ好きな読者のいる集、歌人の作品は、優れていて読んで良い歌だと自然に感じもするものだと、あらためて思います。

    「合本八代集」(至文堂)
    古今集から新古今集までの八つの勅撰和歌集の、和歌だけが注も訳なく並んでいます。
    後撰集は、小野小町の数首が好きでした。

    小町 「後撰和歌集」
    心からうきたる舟にのりそめてひとひも浪にぬれぬ日ぞなき

    拾遺集は、万葉集からの人麿や赤人の歌にひかれます。後拾遺集には紫式部や和泉式部がいます。
    いろんな歌があって好みも個人各々であればよいと思っていますが、勅撰和歌集の八代集を通読しおえて、金葉和歌集と詞花和歌集は軽く、撰者の感受力は集の質にあらわれると感じました。
    業平、小町のいる古今集、和泉式部の良い歌のある後拾遺に峰があり、深い谷にこの二集はあたり、千載集と新古今集の、高い峰にのぼっていく感じです。
    俊成、西行、式子内親王、定家など強い個性と才能のある歌人がいて優れた和歌を書き伝えた時代。

    西行 山家集

    木(こ)の葉散れば月に心ぞあらはるる深山隠(みやまがく)れに住まんと思ふに
    木の葉散れば月に心ぞあくがるる深山隠れに住まんと思ふに
    三句目

    「洗わるる」か「憧るる」か。私はどちらも独立の歌として好き。西行も選びかねた気がします。
    「西行全歌集」(久保田淳・吉野朋美 校注 岩波文庫)


    式子内親王 新古今和歌集
    静かなる暁(あかつき)ごとに見わたせばまだ深き夜の夢ぞかなしき

    静かなかなしみを響かせる歌は美しいと、感じとれる人の心は好きになれると、式子内親王にはいつも教えられます。
    「コレクション日本歌人選 式子内親王」(平井啓子、笠間書院)
      


  • 2018年02月04日 Posted by 高畑耕治 at 11:45Comments(0)エッセイ

    和泉式部歌集。歌人の説話化と歌集。

    藤川晶子「平安後期勅撰集における和泉式部歌享受」と「後拾遺集における和泉式部歌享受」を読みました。
    受け継がれる「歌人の歌」は、説話もとりこみながら膨らみ豊かに変わっていくものという視点に、片桐洋一「小野小町追跡」と通じあう文学と歴史理解の良さがあり、教えられました。

    柿本人麿歌集、小野小町集、和泉式部集は、いずれも本人の歌ではない歌や説話も加えられ変えられ創りなおされ、ふくらんで伝えられてきたけれど、柿本人麿の、小野小町の、和泉式部の、歌と受けとめられ、伝えられてきたことを感じとれるのが文学の豊かさ、文化の受け渡しだと私は思います。

    もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る

    和泉式部 後拾遺和歌集 雑六
    (訳)
    物思いにふけってると、沢に飛び交う蛍も、我が身さまよい抜け出した魂ではないかと、見る。
    コレクション日本歌人選 和泉式部 高木和子訳

    好きな、和泉式部の歌です。
    和泉式部の「もの思へば」の蛍の歌は、今の岩波文庫からは外されています。
    和泉式部の死後に説話化された歌だ(という可能性)からのようです。
    (その物語性もふくめて)和泉式部の歌として伝えられ、与謝野晶子などにも享受されてきたまま、伝説も生んだ和泉式部の歌として、心に響かせたいと私は思います。
      


  • 2018年02月04日 Posted by 高畑耕治 at 11:30Comments(0)エッセイ

    小野小町  移ろふものは

    古今和歌集 恋歌五 797 小野小町

    色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける

    (コレクション日本歌人選3 小野小町 大塚英子 笠間書院)
    平仮名は近代まで清濁書き分けず濁点は表記されなかったので、この歌の表記は「色見えて」。
    読みも古来両説あり。
    小町は「見えて」と、打ち消しの「見えで」、正反対の意味を掛詞にした。
    惹かれます。
    手もとにある「伊達本 古今和歌集」藤原定家書写、笠間文庫で確かめました。
    色見えてうつろふ物ハ世中の人の心の花にそありける
    「色見えて」と書かれ、「いろみえて」とも「いろみえで」とも詠まれ、
    「色に見えて」と「色には見えないで」の両方の意味を響かせてきた奥行きある歌だと知りました。

    あはれてふことこそうたて世の中を思ひはなれぬほだしなりけれ

    小野小町集 (流布本系108)
    古今集 元永本では読人不知

    「新装版 小野小町追跡 」片桐洋一、笠間書院。
    副題「小町集」による小町説話の研究。

    二種類の「小野小町集」和歌も載っていて、小町と小町の和歌についての良書です。
      


  • 2018年02月04日 Posted by 高畑耕治 at 11:15Comments(0)エッセイ

    万葉集の好きな歌 (巻第二十、最終) 防人(さきもり)の歌

    万葉集巻第二十 防人の歌
    防人に行くは誰(た)が背と問ふ人を見るが羨(とも)しさ物思ひもせず
    <今度の防人は誰の旦那さんと尋ねていられる人がただうらやましい>
    障(さ)へなへぬ命(みこと)にあれば愛(かな)し妹(いも)が手枕(たまくら)離れあやに悲しも
    <拒めない徴兵、愛する人と引き裂かれ悲しい>

    万葉集巻第二十 防人(さきもり)等が歌

    ※東国21-60才男を九州北防備に徴兵

    ふたほがみ悪しけ人なりあたゆまひ我がする時に防人にさす

    (訳)悪い村長だ、病なのに防人に指名された


    韓衣裾(からごろもすそ)に取り付き泣く子らを置きてぞ来ぬや母(おも)なしにして

    (訳)
    母のない泣く子を残して、防人に

    日本国憲法を曲げ、自衛隊を国外の戦争に行かせてはいけない。
    国家による強制的徴兵を再びおこなわせてはいけない。
    愛する大切な人を戦場に行かせてはいけない。
    そのために今行うべきことは、この国土を戦場にさせないために行うべきことと繋がると私は思います。
    威嚇と暴力は敵意を煽るだけ。
    対話を。

    万葉集のうたには
    手枕(たまくら)という言葉が、
    愛するひとの肌と息と心のそばにいたいという願いと悲しみが込められ、散りばめられています。

    美しい音楽のはるかななつかしさ、好きな旋律の切なさも和音のかなしみも、
    ひとにとって心の手枕だとわたしは思います。


      
    タグ :防人万葉集


  • 2018年02月04日 Posted by 高畑耕治 at 10:45Comments(0)エッセイ

    万葉集の好きな歌 (巻第十九、二十) 大伴家持

    万葉集 巻第十九 大伴家持(オオトモノヤカモチ)

    うらうらに照れる春日(はるひ)にひばり上がり心悲(かな)しもひとりし思へば

    (大意)
    春の眩しいひかり、空高くかけのぼるヒバリの声、ひとりかなしいこころ

    音調も飛翔するよう。
    urauraひかりゆらめき。
    hibariとagariは舞い上がる明るいアaが主音。
    下の句は転じ内省するオo音が重なる
    こころ かなしも ひとりし おもへば 
    kokoro kanashimo hitorishi omoeba
    メランコリー ゆううつなるものおもい 人らしい


    万葉集第二十 大伴家持 国歌大観4483

    移りゆく時みるごとに心痛くむかしの人し思ほゆるかも
    (訳)
    次々と移り変わってゆく季節のありさまを見るたびに、胸もえぐられるばかりに、昔の人が思い出されてなりません

    万葉集に防人歌を編みいれた人らしい心に響く歌です。

    (伊藤博訳注・角川ソフィア文庫)


      


  • 2018年02月04日 Posted by 高畑耕治 at 10:30Comments(0)エッセイ

    万葉集の好きな歌 (巻第十五) 狭野弟上娘子

    万葉集 巻第十五 狭野弟上娘子 サノノオトカミノオトメ

    魂は朝夕にたまふれど我が胸痛し恋の繁きに
    (訳)
    たましひはあしたゆふへにたまふれど あがむねいたしこひのしげきに) 意訳、想いは結ばれているけれど、それでも恋しさに胸が痛むのです。

    万葉集巻第十五 狭野弟上娘

    我が背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな(わがせこ、いのちのこさむ)
    (意訳)
    あなたが帰ってくるその時までは命をなんとか残そうとがまんしています、忘れないで。

    想いの真実を露のように宿した歌は、生まれ落ちた場所を離れても光を失わないと教えられます。

    WAGAsekoGA
    kaerikimaSAM
    tokioTAMe
    I inochi nokosam
    WAsUreTAMafUna

    想いのあふれだした歌ですが、音調も美しく波立っていて大文字にした音が波頭のように響きあっています。
    目立ちませんが母音iイと子音kも四句まで強くしぶきをたてています。

    「わすれたまふな」は子音母音も柔らかな転調です。
    「む」は、muとmとnのあいだをゆりうごくくらいのあいまいな音のように思います。


      


  • 2018年02月04日 Posted by 高畑耕治 at 10:15Comments(0)エッセイ