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高畑耕治
高畑耕治

2013年02月27日

窪田空穂の短歌。『平家物語』の俊成に似て。

 ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
今回の歌人は窪田空穂(くぼた・うつぼ、1877年・明治10年長野県松本生まれ、1967年・昭和42年没)です。

 私は最近2冊の短歌選集を併読しましたが、今回は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)からです。ここ数回主に出典とした『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)も、彼の作品を収録していて先に読みましたが取り上げようとまでは思いませんでしたが、編者が違う今回の出典の歌には、心に響く心打たれる歌が散りばめられていると感じました。
 このことから、選ばれる歌集と歌によって、出会いがまったくことなることを思います。ひとりの人間の心の広がりと深さは限りなく、詩歌は心の異なるところから一回きりの表情で生まれてきます。ひとりの作者のどのような心の姿の歌が、他者である読者の心の海にどのようなこだまの波紋をひろげるかは、偶然だからこそ、感慨も深まる気がします。

 窪田空穂の言葉は、以前のブログ「愛(かな)しく愛(いと)しい歌、『遺愛集』」でとりあげたことがあります。
 死刑囚の歌人・島秋人の歌集(愛しい詩歌 『遺愛集』島秋人の歌 )についての理解と歌集へ添えた言葉は、が人と詩歌の真実を深く知る人だったと私は感じます。

 この二人の詩歌をとおした心の交感から、最近読み返した私には『平家物語の』巻七「忠度都落」が思い起こされます。逃れられない死を目の前にした人と師の、詩歌を介する真率な対話の姿は、時を越えて重なりあいます。
 平忠度(ただのり)は都落ちするとき一度引き返して、和歌の師である藤原俊成に書き溜めた歌を託し、朝敵の身となった彼の歌一首を、俊成は勅撰歌集の千載集に名を隠し「よみ人知らず」の作として載せました。
     さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな 
 十代の頃たぶん教科書で始めて読んだ気がしますが、心打たれ、私は平家物語の中で今も変わらず好きな段です。
 
 空穂の歌から私の心に強く響いた歌を9首選びました。
 最初の5首は、日中戦争・太平洋戦争時の歌、戦死した甥を思う歌に心痛みます。
 次の2首は、歌人として芸術を愛す強い意思が、芯の強さをもって美しく響きます。
 最後の2首は、老いの悲しさのうちにも、澄み切った愛を感じます。
 このような歌をうたえる歌人だからこそ、『遺愛集』島秋人と魂の交流ができたのだと、私は敬愛の思いを強くします。

          『冬木原』1951年・昭和26年
学徒みな兵となりたり歩み入る広き校舎に立つ者あらず
いささかの残る学徒と老いし師と書に眼を凝らし戦(いくさ)に触れず
この露地の東の果ての曲りかど茂二郎生きてあらはれ来ぬか
湧きあがる悲しみに身をうち浸しすがりむさぼるその悲しみを
わが写真乞ひ来しからに送りにき身に添へもちて葬(はふ)られにけむ

          『卓上の灯』1955年・昭和30年
胸をどり読みゆく文字やわが未知はわれに夢なりかぎりのあらぬ
一瞬のこころの動き捉へられ画としなりては永久(とは)にとどまる

          『清明の節』1968年・昭和43年
わが腰を支ふる老婆力尽き倒るるにつれてわが身も倒る
生を厭ふ身となりたりと呟けば哀しき顔して妻もの言はず

出典:『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)。

 次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。


☆ お知らせ ☆
 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
    こだまのこだま 動画  
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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月25日

    上田三四二の短歌(五)あふれでる詩想いの泉。

     ここ約百年に生まれた短歌を見つめています。『現代の短歌』で出会えた、私なりに強く感じるものがあり何かしら伝えたいと願う歌人の、特に好きな歌です。
     前回に続き、上田三四二(うえだ・みよじ、1923年・大正12年、兵庫県生まれ)の短歌をとおして、日本語の言葉の音楽、歌に耳を澄ませます。
    最終回も音楽性ゆたかな歌五首です。それぞれの歌に感じたことを記していきます。短歌の前に、所収の歌集名、刊行年と彼の年齢を記しています。

                         『照脛』1985年(昭和60年)、62歳。
    秩父路に秋みちひかりきよからん秩父より来る雲をまぶしむ

    *この歌には「秩父CHICHIBU」という言葉が二回現れ、字形、字のかたちと音で呼びあっています。加えて「秋」は字形が「秩」と似通っていて、微かな呼応をしています。
     ひらがな漢字が混ざりあう日本語では、完全な表音文字の西欧言語とは違って、ひらがなに浮かぶ漢字の字形でも、呼応や美しさを伝えることができます。
    *音の流れで感じるのは、冒頭は「ちちぶじはあきみちひかりきchIchIbujIwa akImIchIhIkarI kI」と母音イI音を重ねて、意味の「秋のひかり」のひんやりし始めた感覚を音でも支えています。
    *続く「きよからん」のrANでいったん音が切れ、息の休止、間が生まれるので、次の「秩父」が冒頭の「秩父」と頭韻している感じが深まっています。
     詩歌は言葉の歌なので、音色と同時に、音のない、息をとめた、無音の間、沈黙はとても大切です。(詩では字間と余白も。)
    *最後の「くるくもをまぶしむ」は転調していて、「KUrUKUMowo MabUshiMU」と母音ウU音が基調をなし、「く」の重なる音と、子音M音も目立たずに音色の流れを変化させています。
    *静かな叙景の歌ですが、心に意味も沁みて拡がりを感じるのは、音色の変化の美しさのちからが大きいと感じます。

    お河童のゆれてスキップに越しゆきぬスキップはいのち溢るるしるし

    *冒頭の「おかっぱ」という一語で、女の子の顔と髪が浮かび童謡調に誘われます。
    *「おかっぱ」「スキップ」「スキップ」と「っ」「ッ」が、意味、イメージそのままに歌を弾ませるリズム感を生んでいます。
    *「ゆれて」「ゆきぬ」という言葉も、幼い女の子の髪が「揺れ」進んで「行く」意味、イメージと、「ゆYU音」の優しく柔らかな調べが溶け合っています。
    *結びは、「いのちあふるるしるしINOCHI afURURU SHIRUSHI」、と母音イI音と「チCHI」「シSHI」の鋭い音で「いのち」「しるし」この2語を際立たせながら、「るるRURU」「るRU」が優しい音色で包んで居ます。まるで、フルートの音色のような流れが美しい、好きな歌です。


                        『鎮守』1989年(平成元年)、66歳。
    これの世に女人はわれの悲母(ひも)にしてわれよりわかき母をかなしむ
    *漢字の「母」をはじめは「もMO」、次には「ははHAHA」と、同じ字形で読みの音を変化させ日本語の特徴を生かしています。
    *歌の調べの流れのなかで「われwAre」の繰り返しと「わかき母wAkAkihAhA」が「わWA」音を重ねる押韻を響かせ、「かなしむkAnAshimu」まで、母音アA音の明瞭な音色が主調音となっています。
    *「してSHIte」と「SHImu」も変化する木魂を響かせています。
    *ひらがなの流れのなかに浮かびあがる漢字、「世」「女人」「悲母」「母」が、その字形だけで歌の主題を、意味とイメージを醸し出しています。

    行きすがふをみなにてかぐ果のごときにほひを曳けり秋闌(た)けにけり

    *音調の変化に魅力が詩想の魅力をうわまわっているような歌です。
    *「がふgAU」と「かぐkAgU」、「ごときgOtOkI」と「にほひniOhI」は母音がかすかな呼応をしています。
    *全体の流れに潜んでいる、母音ではイI音がリズムの基調にあります。「IkIsugau omInanItekagu kanogotokI nIoIwohIkerI akItakenIkerI」。第一音と下三句の最終音がイI音のため生まれる印象です。
    *子音ではG音とK音が主調で、を含み母音との組み合わせで変化する音、「きKi」「がGa」「かKa」「ぐGu」「果Ka」「ごGo」「きKi」「けKe」「けKe」「けKe」がリズム感を生んでいます。
    *末尾の「ひけりあきたけにけりhIKerIaKItaKenIKerI」は、口語に現れる母音イI音と、子音K音が、とても耳に快い響きを奏でています。

     上田三四二の短歌の音楽性を感じとってきました。最初に引用した短歌を最後にもう一度聴きとります。

    死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ

     詩歌の詩情があふれで感じられるのは、言葉の意味イメージ音色リズム字形と字形の並び読み方という要素が、表現技術として意識的または無意識的感覚的に、作者によって選ばれ、生まれ出たいと生まれ出ながら、溶け合い生かし合う言葉、美しい歌になっているからです。
     この歌は、書かずにはいられない想いが泉となってあふれ、美しい歌となって心に沁み、響き、こだまします。
    言葉のあらゆる要素が詩想と溶け合い詩情となって輝いています。

     生きている息づいている詩歌の言葉は、本当は分解するものではありません。正解はありません。作者も正解を押しつけはしません。好きな時に好きなように感じ取って下さいと、読者に差し出します。
     詩歌は自分の好きなように自分なりの仕方で、見つめ、感じとり、愛するものです。生きている大切な人、愛する人に向き合うときと同じです。

    出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)

     次回はまた違う個性の歌人の歌を聴き取りたいと思います。

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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月23日

    上田三四二の短歌(四)。山の稜線の乳房のまるみの旋律。

     ここ約百年に生まれた短歌を見つめています。『現代の短歌』で出会えた、私なりに強く感じるものがあり何かしら伝えたいと願う歌人の、特に好きな歌です。
     前回に続き、上田三四二(うえだ・みよじ、1923年・大正12年、兵庫県生まれ)の短歌をとおして、日本語の言葉の音楽、歌に耳を澄ませます。
     今回は音楽性ゆたかな歌五首です。それぞれの歌に感じたことを記していきます。短歌の前に、所収の歌集名、刊行年と彼の年齢を記しています。

                        『遊行』1982年(昭和57年)、59歳。
    かきあげてあまれる髪をまく腕(かひな)腋窩(えきか)の闇をけぶらせながら

    *主調音は子音KとG、母音Aで、「かKA」の音を主音に子音Kが浮かび沈む波のようなリズムを奏でます。「KAKiAGete AmAreruKAmiwo mAKuKAinA eKiKAnoyAmiwo KeburAsenAGArA」
    ひらがなのやわらかな字体の多い上句は、アA音の解放感にささえられ、意味・イメージの髪のゆたかなやわらかさと溶け合っています。
    *中間部から転調するかのように、「腕」から「腋窩」「闇」と四角く硬い字体の漢字をゴツゴツ連続させ、読みも敢えて「うで」ではなく「かいなKaina」そして「eKiKa」「Keburu」と尖った子音K音を連続させて、意味、イメージの変化をささえています。
    *柔らかな明るさから暗闇へ、意味とイメージと音が流れ込んで読者を誘います。

    表札に名ありて夏に亡きひとの門(かど)の辺をすぐ夕べゆふべの散歩

    *「夕べゆふべと」漢字をひらがなに変えたのは、字体の見た目の流れが、このほうがきれいだからです。
    漢字は表意文字で簡潔に意味をくるめこみますが字体は硬く生硬です。ひらがなは表音文字で音だけで一字に意味は持てませんが、字体のやわらかな曲線は美しいです。そのバランス、使い分けの感覚です。
    *「名ありて夏に亡きNAAriteNAtsuNi NAki」は「な」の音、子音Nと母音Aの流れがきれいです。
    *続く個所から転調し、「ひとのかどのべをすぐ夕べゆふべのhitOnOkadOnObewOsUgUyUUbeyUUbenO」と、
    母音はオO音とウU音ばかりとなり閉じられた静まる音色になっています。
    *最後の詩語「散歩SANPO」は私には音の流れから浮いた軽い感じがします。意識してこの詩語を選んだか、他の言葉を見つけられなかったのか、わかりません。この言葉が作品を軽くしています。
    *この歌も「亡きひと」という言葉で、既に此の世に存在しない人のイメージを歌に漂わせ、「夕べ」という光が沈む前の薄暗がりのイメージに溶かしこませています。

                        『照脛』1985年(昭和60年)、62歳。
    雪の上にあひ群れて啼く丹頂のほのかに白きこゑの息あはれ

    *この歌では逆に最終詩句の「あはれ」が、そこまで流れて来たすべての詩句を受けとめ、発せられて、一語のみで対等に、重みと深みをもって響いていて、美しいと思います。文学、詩歌、短歌は、究極的には、本居宣長のいうように、「あはれ」「ああ」という感動の一語に尽きるからです。
    *全体の音の流れにところどころ顔をだす「のNO」の音が、リズム感を生んでいます。
    *この歌は、いちめんの白のイメージに包まれています。「雪yuKI」「白きSHIroKI」「息IKI」の子音のイI音と、「なくnaKu」「こゑKoe」にもあらわれる子音K音の、ともに鋭く細い息が、イメージの色を音色で奏でています。
    *「丹頂TANCHOU」はそのなかに佇むように特異な声を発して浮かんでいます。白にうかぶ白、ただ鳴き声と、小さな黒と赤が見えるようです。

                        『照脛』1985年(昭和60年)、62歳。
    みめぐみは蜜濃(こま)やかにうつしみに藍ふかき空ゆしたたるひかり

    *この歌は音が美しく変化していきます。西欧言語のアクセントの強弱をもたず、中国語のように音階の昇り下りの落差をもたない日本語は、日本の山の稜線のような、なだらかな曲線の繊細な変化にこそ美しさがあります。乳房のゆるやかなまるみの美しさとも言え、この歌はその特徴がよくわかります。
    *上句の主調音は子音のM音とN音で、「みめぐみはMiMeguMiwa」「みつこまやかにMitsukoMayakaNi」「うつしみにutsushiMiNi」と、唇を閉じた粘着質の音が意味・イメージの「御恵み」「蜜」と溶けあいながら揺れ始めます。
    *下句はまず、「藍AI」とアA音でせりあがり、「ふかきそらゆfukakisOrayu」でなだらかに滑り降りる感じが「ふ」と「ゆ」という、はかなく音、やわらかい音で醸し出されます。
    *末句はの主調音は子音の母音I音に転調し、「したたるひかりSHItataruHIkaRI」と光のイメージと「し」「ひ」「り」という音色が、母音アa音とのリズム感のなかに溶けゆくようです。
    *日本語の言葉の音楽の旋律を奏でている美しい歌です。

    半顔の照れるは天の輝(て)れるにていづこよりわが還りしならん

    *この歌は、「てれるはてんのてれるにてTERERUwa TEnno TERERUnite」の、「てTE」の音、「てれる」の繰り返しのリズム感、その快さだけの歌です。意味、イメージにひろがり、深みは感じられません。音調の快さと、詩歌としての完成度は、必ずしも一致しません。たとえば和歌で「これやこのKOREYAKONO」というリズミカルな響きがこれだけで快いのと同じだと思います。

    出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)

     次回も、上田三四二の言葉の音楽を聴き取ります。  

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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月21日

    新しい詩「かなしみまみれの、なんでやねん」HP公開

     私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「かなしみまみれの、なんでやねん」を、公開しました (クリックでお読み頂けます)。

       詩「かなしみまみれの、なんでやねん」

    お読みくださると、とても嬉しく思います。


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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月19日

    上田三四二の短歌(三)意味とイメージと音色とリズムは溶けて。

     ここ約百年に生まれた短歌を見つめています。『現代の短歌』で出会えた、私なりに強く感じるものがあり何かしら伝えたいと願う歌人の、特に好きな歌です。
     前回に続き、上田三四二(うえだ・みよじ、1923年・大正12年、兵庫県生まれ)の短歌をとおして、日本語の言葉の音楽、歌に耳を澄ませます。

    今回は音楽性ゆたかな歌五首です。それぞれの歌に感じたことを記していきます。短歌の前に、所収の歌集名、刊行年と彼の年齢を記しています。

                   『雉』1967年(昭和42年)、44歳。
    あたらしきよろこびのごと光さし根方明るし冬の林は

    *この歌の魅力は、「あたらしAtArA・SHI」「ひかりさしhIkArIsA・SHI」「あかるしAkAruSHI」「はやしhAyA・SHI」の、母音アAの明るい音色と、「しSHI」の組み合わせの、繰り返しが生むリズム感にあります。
    *言葉の意味・イメージ・詩想の「よろこび」「光」「明るし」と、母音アAの開かれた音色があっていることで、歌の世界が心にひろがります。言葉の意味・イメージ・詩想と音色とリズムが、わからないほど溶け合って高めあうほど、歌は美しい調べとなるのだと思います。

                   『湧井』1975年(昭和50年)、52歳。
    術後の身浮くごとく朝(あした)の庭にたつ生きてあぢさゐの花にあひにし

    *冒頭部は「術後の身浮くごとくjUtsUgonomiUkUgotokU」意味も音も閉じられたU音が、子音gと絡まり主調になっています。
    *「朝」から意味も音も大きく転調します。
    *AshItAnonIwAnItAtsu IkIteAzIsAIno hAnAnIAhInIshI  アA音の開かれた明るい音色が、「朝」「たつ」「あぢさゐの花」「あひ」という前向き肯定的明るい意味を仮名で、子音イI音と交互に交わり、弾むリズム感を生みだしています。意味と音色・リズムが溶け合う、美しい歌です。

    おぼろ夜とわれはおもひきあたたかきうつしみ抱けばうつしみの香や

    *上句は、「ObOrOyOtO warewaOmOiki」と、母音オOの音が主調で「夜」イメージとよく溶けています。
    *下句では、「うつしみ」と4文字の音を重ねて繰り返し強く言葉の意味と音が心に残ります。
    *全体の流れに浮かび出る、母音アAの音「われwAre」「あたたかきAtAtAkAki」「抱けばdAkebA」「香やkAyA」が、流れに整ったリズムを醸し出しています。

    白木蓮(はくれん)のひと木こぞりて花咲くは去年(こぞ)のごとくにて去年よりかなし

    *「こぞKOZO」の音を三回繰り返しリズムを生み、下句では意味の上でも「去年」を強め心に焼きつけます。
    *上句は、「白Haku」「ひと木Hitoki」「Hana」の子音H音が植物のはかなさのイメージと合い溶けています。
    *全体の流れに、「haKu」「hitoKi」「Kozorite」「saKu」「Kozo」「GotoKu」「Kozo」「Kanashi」と、子音KとGが繰り返し浮かび出てリズム感を支えています。

                   『遊行』1982年(昭和57年)、59歳。
    吹く風に枯葉ちりつぐ藤棚のうへに欠(か)けゆくふゆ望(もち)の月」

    *「ふFU」と「ゆYU」のはかなげや柔らかい音、母音Uが主調となり、「吹くFUkU」「つぐtsUgU」「藤Fuji」「うへUe」「ゆくyUkU」「ふゆfUyU」と、意味、イメージと溶け合っています。
    *「ちりつぐchiritsUGU」と「欠けゆくUKU」は弱い脚韻のような効果でリズム感を支えます。
    *最終の言葉は心に留まりやすいですが、この歌も「ふゆ望の月」という言葉、冬の満月の意味とイメージと、
    「FUYUMOCHINOTSUKI」という音色とリズム感だけでも美しく感じらます。
    *「枯葉ちりつぐ藤棚」ということは、冬で花はもう枯れていてここにはありませんが、歌の中では「藤FUJI」という音に、藤の花の美しいイメージが呼び起こされます。ないものをあるかのようにイメージとして呼び起こすのは特に新古今和歌集藤原定家中心に見出された優れた象徴表現です。
    萩原朔太郎も新古今和歌集はフランス象徴詩に先んじているといい、私もそう思います。
     フランス象徴詩でもマラルメは詩論で音とイメージについて語っていることを、以前ブログに書きましたマラルメの詩論(二)美しい姿がおぼろげに。」)。
    *「欠けゆく」という言葉もはかなさを強めています。日本語の「ゆく」は、「行く」と「逝く」を吹く見合わせて響くので「亡くなる」イメージが沁み込みます。
    *冬の満月とないけれどもおぼろにうかびゆれる藤の花のイメージが溶け合う美しい象徴詩です。

    出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)

     次回も、上田三四二の言葉の音楽を聴き取ります。


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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月17日

    上田三四二の短歌(二)散文化した時代と、歌。

     ここ約百年に生まれた短歌を見つめています。『現代の短歌』で出会えた、私なりに強く感じるものがあり何かしら伝えたいと願う歌人の、特に好きな歌です。
     前回に続き、上田三四二(うえだ・みよじ、1923年・大正12年、兵庫県生まれ)の短歌を見つめます。

     この散文化した時代に多くの人は、合理性と効率性と実用性と有益性の盲目的な追求を進歩の旗印にかなう最善の選択だとして掲げる競争社会に投げ込まれ、知性と機智と狡知を磨くことばかり教育されます。
     もともと実用からも実業からも縁遠い文学もその思潮に染まって実用文のような散文、エッセイと小説しか存在しないかのようです。詩は時おり商業コマーシャルに利用されるか、つるされた広告の商業コピーにぴらぴらすれば十分というのが、ふつうの感覚です。

     だから文学を愛する人の間でも、そして短歌や詩といった詩歌を愛する人までもが、機智と知性による概念とイメージの積み木以外の表現を忘れ、失っている気がします。抒情や詩情の源である、言葉の音楽が聴こえる詩歌にふれることが、少なくなってしまいました。

     上田三四二の短歌はです。言葉の音楽が息づいて聴こえてきます。
     言葉に音楽を求めないなら、詩ではなく散文を読めばすみます。私は詩が好きで詩にこだわるので、彼の短歌をとおして忘れられている日本語の響きの美しさについて四回にわたり重複を避けず、詳しく書きたいと思います。今回はまず二首です。それぞれの短歌の前に、所収の歌集名、刊行年と彼の年齢を記しています。

                   『黙契』1955年(昭和30年)、22歳。
    つきつめてなに願ふ朝ぞ昨日(きぞ)の雨濡れてつめたき靴はきゐたり

    *「つきつめて」「きぞ」「つめたきくつ」「はきいたり」にある、「つ」と「き」の音が強く響き、全体のリズム感を生み出しています。
    *詩想が特に優れた歌ではありませんが、初頭句と末二句のリズム感が快さが残ります。意味ない歌詞をも覚えさせ口ずさませるメロディーのような役目をしています。
    *上句では「なnAに」「朝Asa」「雨Ame」の母音アAが、波が折り重なるように韻を奏でています。
    *下句では「濡nUれ」「つtUめたき」「靴kUtU」の母音ウUが、重なる韻を、閉じる暗めの音色で奏でます。

                   『雉』1967年(昭和42年)、44歳。
    をりをりに出でて電車にわが越ゆる今日木津川の水濁りをり

    *この歌の快さの大部分は、初頭句の「をりをりに」と「濁りをり」の同音の呼び合い、その音とリズム感にあります。この歌も詩想が優れているわけではありませんが、何となく心に残るのはそのちからです。

    出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)

     次回も、上田三四二の言葉の音楽を聴き取ります。  

     ☆ お知らせ ☆
     『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
     イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
        こだまのこだま 動画  
     ☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月15日

    歌の花(六)。土屋文明。岡本かの子。

     出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。

     出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。

    ■ 土屋文明(つちや・ぶんめい、1890年・明治23年群馬県生まれ、1991年・平成3年没)。
    吾が言葉にあらはし難く動く世になほしたづさはる此の小詩形  ◆『山下水』1948年・昭和23年
    生みし母もはぐくみし伯母も賢からず我が一生(ひとよ)恋ふる愚かな二人  『青南集』1967年・昭和42年
    さまざまの七十年すごし今は見る最もうつくしき汝を柩に  ◆同上
    終りなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りてかなしむ  ◆同上

    ◎一首目は、敗戦後の、短歌、第二芸術論を受けての思いですが、「なほしたづさはる」と字余りの詩句に私は、短歌にかける彼の意思を感じて共感します。

    ◎二首目は思慕が沁みとおる美しい歌です。上句の終わりに「賢からず」と形容したうえで、下句の終りに「愚かな」と「逆説の言葉」を投げかけて、本当に大切な「恋ふる」人は決して賢しくはなかったと意味を強め、照らし出しています。上句は「*みし母も」「***みし伯母も」と詩句を変奏しての繰り返しのリズムが快く、下句は「恋ふる」まで流れるような旋律が一呼吸止まる「間(ま)」があるので、「愚かな二人」という言葉が強まって浮かび上がり、思慕の想いが沁みこんだ詩句が心に残ります。

    ◎三首目と四首目は、長年連れ添った妻が亡くなった際の悲しみの歌。死別れる最期のときに、三首目の歌を捧げられた女性を幸せだと思います。
    ◎四首目は、死の永遠の時を前にして、先に死なれたこと、その数年の差なんてなきに等しいと頭では理解しても、その差が心にどうしようもなくかなしい、との思いを、愛の歌に昇華しています。美しく悲しい鎮魂歌です。

    ● 岡本かの子(おかもと・かのこ、1889年・明治22年東京生まれ、1939年・昭和14年没)。
    力など望まで弱く美しく生れしまゝの男にてあれ  『かろきねたみ』1912年・大正元年
    かの子かの子はや泣きやめて淋しげに添ひ臥す雛に子守歌せよ  『愛のなやみ』1918年・大正7年
    桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり  『浴身』1925年・大正14年
    鶏頭はあまりに赤しよわが狂ふきざしにもあるかあまりに赤しよ
    かなしみをふかく保ちてよく笑ふをんなとわれはなりにけるかも  『わが最終歌集』1929年・昭和4年

    ◎一首目は、幼い息子に語りかける歌ですが、常識的な「男は強くたくましく」とは逆に「弱く美しく」そして
    「生れしまゝの」と願うこの人はすごいなと思います。「力など望まで」と言える母だから、芸術家の岡本太郎が育った気がします。(大阪郊外育ちの私は、大阪万博のシンボル「太陽の塔」を小学校から遠望して絵にも描いたりしました。創作者の彼に親しみを感じます)。

    ◎二首目も子育てする自分に言い聞かせる歌です。添い臥す自分の子どもを「雛(ひな)」と美しく呼んでいます。情感があふれるような歌、とても好きです。

    ◎三首目は、桜の花につつまれ自らを重ね歌いかける美しい歌。「いのち一ぱいに咲く」の「一ぱいに」は前後の「いのち」と「咲く」にかかりイメージがあふれます。「生命(いのち)をかけてわが眺めたり」、上句と下句の「いのち」のくりかえし表現が歌に感情のゆたかな波を生んでいます。とても心打つ詩句です。

    ◎四首目も、鶏頭の赤い花を歌っていますが、花の色合いと個性そのままに、まったく異なる世界が生まれています。詩人、特に抒情詩人として生まれついた者の宿命は、花鳥風月、生き物にも風や海や空や土、あらゆるものに感情移入して自分のこととして感じてしまう、ことだと私は思います。距離を置き突き放し観察し分析することの対極で、そのもののなかに自分を見つけ感じ、自分のなかにそのものを見つけ感じてしまう、感受性の器、塊であることの性(さが)です。彼女はその典型のように感じます。

    ◎五首目も、人間味あるなあと感じ入ってしまう、生きた歳月に思いは深みをましていけることを教えてくれる歌だと思います。
    彼女は激しい生き方をしました。たぶんそのようにしか生きられなかったのだと思います。彼女の心と生き様から生まれた歌に、人間として、女性としての深い魅力を感じます。

    出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
    ◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。


     次回も、美しい歌の花をみつめます。


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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月15日

    上田三四二の短歌(一)。一日一日はいづみ。

     ここ約百年に生まれた短歌を見つめています。『現代の短歌』で出会えた、私なりに強く感じるものがあり何かしら伝えたいと願う歌人の、特に好きな歌です。

     今回から数回、上田三四二(うえだ・みよじ、1923年・大正12年、兵庫県生まれ)の短歌です。
     私は彼の短歌を今回初めて読むことができましたが、出典の本を通読して、短歌としての言葉の音楽性、調べをいちばん感じました。このことについては次回以降に詳しく書きます。

     今回は、彼の歌の中から彼の個性から響きだした、私が特に良い、好きだと感じた十四首を選びました。
     彼は医者であり、癌を病み、生き、歌いました。生と死をみつめるまなざし、いのちを育む女性・母・乳房への思慕、愛が、生きることを感受する基調音として奏でられ流れながら、瞬間、瞬間をとらえふるえる歌は、とても美しく、私の心にこだまが響きつづけます。

     難解な言葉や奇をてらうイメージの飛躍はなくても、平易な言葉にやどる調べ、意味とイメージと音色とリズムの溶けあう流れが、短歌そして日本語の詩歌の美しい姿を教えてくれます。

     たとえば、「死はそこに」の歌は、全体が清流のようですが、「一日一日はいづみ」を彼は「hitohi hitohiwa izumi」と歌います。「ichinichi ichinichiwa izumi」とするとi音のたたみ掛ける連なりは似ていても、まずリズム感が詩想に合わず強すぎ、また、ichinichiのchiとniを含む音色は「いづみ」と断絶していて、「ひとひ」と「いづみ」がh音の弱さによりはかなく溶け合ってしまう音色の美しさが消えてしまいます。

     散文は意味が伝われば目的を達するので、敢えて「ひとひ」と読むような「無駄なこと、無意味なこと」はしません。現代は散文化した時代なので合理性を追い求め「無駄なこと、無意味なこと」は排除します。
     詩歌、文学は合理性、意味を伝えるだけの記号のプログラムでは表現できない、感じとれない「美しく、こころよく、感動すること」は「無駄なこと、無意味なこと」であろうと、人間にとって大切な価値だと感じとり伝えます。
     単純な意味伝達の道具・記号としての言葉だけでは剥ぎおとされこぼれ落ちる思いや感情までを、言葉で表現し伝えようとします。そのためにこそ言葉の細部にこだわり、感動を歌い伝える人がプロの、歌人、詩人だと私は思っています。

     短歌や詩で「食べた」「生活した」詩歌人は歴史上いません。詩歌の価値は、言葉で創られた美、感動にこそあります。詩人の肩書きで雑多な副業をマネジメントできることが詩のプロではなく、良い作品を生まない限り詩人ではなく、商売の才に長けた実業の人だと私は思います。
     脱線しましたが、上田三四二は短歌のプロだったと私は感じました。彼が医者を職としたことはこのことに関係ありません。環境に影響はされます。けれど、詩歌を天職とする生来の歌人、詩人は、どんな地に生まれようとその地に吹く風に歌をのせてさえずるばかりの、ひばり、だからです。

     それぞれの短歌の前に、所収の歌集名、刊行年と彼の年齢を記します。

                   『黙契』1955年(昭和30年)、22歳。
    年代記に死ぬるほどの恋ひとつありその周辺はわづか明るし
    地のうへの光りにてをとこをみなあり親和のちから清くあひ呼ぶ

                   『湧井』1975年(昭和50年)、52歳。
    たすからぬ病と知りしひと夜経てわれよりも妻の十年(ととせ)老いたり
    死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ
    ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
    生きてふたたび見ることのなき大きさに赤き火星の森の上にいづ
    ゆふ海の渚にきみはをみなゆゑ喉ほそくいづるこゑをかなしむ

                   『遊行』1982年(昭和57年)、59歳。
    西方は極楽浄土ゆふやけて船ひとつかの渡海のごとし
    天心の真澄(ますみ)に月の欠くるとき四方(よも)におびただしき星輝(て)りはじむ
    膝いだき背ぐくまるときつぶされてつぶされがたき乳か溢れぬ
    乳房はふたつ尖りてたらちねの性(さが)のつね哺(ふく)まれんことをうながす
    輪郭があいまいとなりあぶら身の溶けゆくものを女(をみな)とぞいふ

                   『照脛』1985年(昭和60年)、62歳。
    身命(しんみやう)のきはまるときしあたたかき胸乳(むなぢ)を恋ふと誰かいひけん

                   『鎮守』1989年(平成元年)、66歳。
    顔容の潮(うしお)の引くごとくあらたまるいまはのきはをいくたび診(み)けん

    出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)

     次回は、上田三四二の言葉の音楽を聴き取ります。

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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月13日

    詩誌『たぶの木』4号をHP公開しました。

     手作りの詩誌『たぶの木』4号を、私のホームページ『愛のうたの絵ほん』に公開しました。
      
       詩誌 『たぶのき』 4号 (漉林書房)

     漉林書房の詩人・田川紀久雄さん編集・発行の小さな詩誌です。
     私は作品を活字にでき読めて、とても嬉しく思います。
     参加詩人は、田川紀久雄、坂井のぶこ、山下佳恵、高畑耕治です。 ぜひご覧ください。


     ☆ お知らせ ☆
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        こだまのこだま 動画  
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        発売案内『こころうた こころ絵ほん』
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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月11日

    渡邉裕美詩画集『 あの人への想いに綴るうた』発売

    画家の渡邉裕美さんが詩画集『あの人への想いに綴るうた』を2月1日イーフェニックスから発売されました。
    渡邉さんのブログでの発売案内はこちらです。
              あの人への想いに綴るうた

     こころ温まり、想いがひろがってゆく絵と言葉を、ぜひご覧ください。

     渡邉さんは私の詩集『こころうた こころ絵ほん』のカバー、表紙、目次扉いちめんに、作品の内容にこだまする優しい絵を咲かせてくださいました。その美しい絵の呼び掛けに、またこだまを返した私の作品が『こだまのこだま』で、こちらから、ご覧いただけます。
              こだまのこだま 動画  
    イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)

     こちらのアマゾンのサイトからご注文頂けます。あの人への想いに綴るうた
    渡邉裕美詩画集『 あの人への想いに綴るうた』内容紹介
    恋しき切ない想い、傷つき、また癒された喜び。消えてしまった「あの人」への想いを詩とイラストで綴ります。JHAA日本癒し絵協会、ドラード芸術文化連盟美術会員、サロン・ブラン美術協会準会員。詩と薔薇と水彩を愛する画家による詩画集です。

    渡邉裕美紹介
    JHAA日本癒し絵協会所属、ドラード国際芸術文化連盟所属、サロン・ブラン美術協会準会員、詩と薔薇と水彩画を愛する画家。
    あおきメンタルケア office With [http://aokimental.sakura.ne.jp/]様と絵のオフィシャル契約。
    1999年より数えて11回の個展と、全韓国Nude Croqies 400人展への日本人側招待作家としての3度の参加、ベネチア・ヴィエンナーレAU展(2003年度)での展示実績あり。
    2004年度、第6回ヒロ ヤマガタ プロセス スター誕生グランプリ受賞、2004年度、2006年度の2回、二科展ポストカード大賞展入選。
    blog ほっと癒される光の絵画 感謝と祈りの詩と薔薇とアートコレクション[mizunoART] http://www.mizuno-art.com/

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  • Posted by 高畑耕治 at 09:46

    2013年02月10日

    『墨子』(五)他国を攻撃するという大きな不正義。

     中国の戦国時代に生きた諸子百家の一人、墨子(ぼくし、紀元前470年ごろ~390年ごろ)の言葉を、彼の弟子たちがまとめた書『墨子』から読みとり考えています。

     今回の主題は、非攻です。
     
     墨子は、誰もが悪いことだと見なし、「政治を行なう人」が罰する悪事を書き連ねていきます。
     まず、 「一人の男がいて、他人の果樹園に忍びこんでそこの桃や李(すもも)の実を盗」むこと。
     次には、「他人の犬や鶏や大阪・小豚を盗む」こと。
     さらには、「他人の厩舎(きゅうしゃ)に忍びこんで、人の馬や牛を盗みだす」こと。
     凶悪さが増し、「罪もない人を殺してその着物をはぎ取り戈(ほこ)や刀剣を奪い取る」こと。
     これらの悪事について、人間のほとんどの社会で常識とされてきた判断基準を述べます。
     「他人に損害を与えることがいっそう大きければ、その薄情ぶりもいっそうひどいわけで、したがって罪もいよいよ重くなる」

     そのうえで書き記した言葉は、政治屋、為政者、追従する知識人、マスコミの欺瞞と不正を晒し出さずにはいません。
    「以上のような事件は、世界じゅうの知識人はだれでもそれを知ったなら非難し、それをよくないことだという。ところが、いま他国を攻撃するという大きな不正義を働くものについては、それを非難することを知らず、かえって追従(ついしょう)してそれを誉めたたえて正義であるといっている。」

     この認識に私は深く共感するとともに、「過ちをくりかえさず」「二度と戦争などしない」ための、とても大切な境界線だと考えます。
     単純で素朴であっても、人間らしい心の声を押し殺してはいけません。

     「戦争は悪だ」。ごまかされず、この声を見失ってはいけないと思います。どんなに精緻な論証による大義を押しつけられても、人間が人間を殺すことを容認してしまうような組織、国家、為政者の大義は、おぞましい罪です。「戦争は悪だ」とだけ、言い続けることに徹することだと私は考えます。

     さらに墨子は、人間のまっとうな心の声にだけ忠実に続けます。人間の社会で、共同生活の根底をささえるために、認められてきたこと。殺人は悪であり、社会に罰せられるということ、そのひどさがまずほど、罰もより厳しく科せられることを、次のように。
    「一人の人間を殺害すると、それを不正義として、きっと一つの死刑の罪」。
    「十人を殺害すると十の不正義をかさねたことになって、きっと十の死刑の罪」。
    「百人を殺害すると百の不正義をかさねたことになって、きっと百の死刑の罪が適用されるわけである。」

     人間として社会生活を営むために、誰もが必要だと受け容れる、殺害と罪を述べた上で、政治屋、為政者、追従する知識人、マスコミの、欺瞞と傲慢さと不正をごりおしする態度を、厳しく問い返します。
    「ところが、いま、他国を攻撃するという大きな不正義を働くものについては、それを非難することを知らず、かえって追従してそれを誉めてたたえて正義であるといっている。」

     繰り返しますが、墨子のこの「非攻」の考えに私は心から共感します。人間のまなざし、嘘偽りを許さず、本当のことを見つめ、言おうとする、単純な、素朴な、強く、美しい、意思があるからです。

     好戦的な政治屋は、口が上手く、賢しらで、あらゆる手を使い、卑劣も感じず、大義をおしつけ、「戦争することが必要だと」、人間を騙し、人間を殺しても、自分さえ死ななければ、何も感じず、平気です。自らが最前線の兵士とならない限り、人間が、人間に、人間を殺せと、命じる資格は、たとえ誤った法律が強制しようと、ありません。誰にもありません。
     だから、集団が、法律が、誤った嘘を押付けようとするとき、墨子の言葉のように、「戦争は悪だ」と、繰り返しつづけ、生きようとする人間でありたいと、私は考えます。

    ●以下は、出典からの原文引用です。

    第十七 非攻(ひこう)篇 上

    一 いま一人の男がいて、他人の果樹園に忍びこんでそこの桃や李(すもも)の実を盗んだとすると、人々はそれを聞いて非難し、上にあって政治を行なう人はその男をつかまえて罰するであろう。それはなぜであるか。他人に損害を与えて自分の利益をはかるからである。
     ところで、他人の犬や鶏や大阪・小豚を盗むということになると、そのよくないことは、他人の果樹園に忍びこんで桃や李の実を盗むよりもいっそうひどい。それはどんな理由によるものか。他人に損害を与えることがいっそう大きいからである。もし他人に損害を与えることがいっそう大きければ、その薄情ぶりもいっそうひどいわけで、したがって罪もいよいよ重くなる道理である。さらに他人の厩舎(きゅうしゃ)に忍びこんで、人の馬や牛を盗みだすということになると、そのよくないことは、他人の犬や鶏や大豚・小豚を盗むよりいっそうひどい。(略)さらにまた罪もない人を殺してその着物をはぎ取り戈(ほこ)や刀剣を奪い取るということになると、そのよくないことは他人の厩舎に忍びこんで馬や牛を盗み出すよりもいっそうひどい。それはどんな理由によるのか。他人に損害を与えることがいっそう大きいからである。もし他人に損害を与えることがいっそう大きければ、その薄情ぶりもいっそうひどいわけで、したがって罪もいよいよ重くなる道理である。

    二 さて、以上のような事件は、世界じゅうの知識人はだれでもそれを知ったなら非難し、それをよくないことだという。ところが、いま他国を攻撃するという大きな不正義を働くものについては、それを非難することを知らず、かえって追従(ついしょう)してそれを誉めたたえて正義であるといっている。これでは、正義と不正義との区別をわきまえているといえようか。

    三 いま一人の人間を殺害すると、それを不正義として、きっと一つの死刑の罪があてられる。もし、この道理をすすめてゆけば、十人を殺害すると十の不正義をかさねたことになって、きっと十の死刑の罪が適用され、百人を殺害すると百の不正義をかさねたことになって、きっと百の死刑の罪が適用されるわけである。こうした事件は、世界じゅうの知識人はだれでもそれを知ったなら非難し、それをよくないことだという。ところが、いま、他国を攻撃するという大きな不正義を働くものについては、それを非難することを知らず。かえって追従してそれを誉めてたたえて正義であるといっている。他国を攻撃するのが不正義であるということを、本当に知らないのである。だから、攻撃をすすめるようなことばを書きつらねて、後世に伝えるようなこともするのである。もしそれが不正義だとわかっていたら、そんなよくないことを書きつらねて後世に伝える理由はないはずである。

    四(略)ところで、いまほんの少しよくないことをしたときには、それを認めて非難するが、他国を攻撃するという大きな悪事を働く場合には、それを非難することを知らず、かえって追従してそれを誉めたたえて正義であるといっている。これでは、正義と不正義との区別をわきまえているといえようか。以上のようなわけで、世界じゅうの知識人の正義と不正義との区別のしかたが、でたらめであることがわかるのである。

    出典:『諸子百家 世界の名著10』(編・訳:金谷治1966年、中央公論社)

     最後に、今回の主題と響きあう私の詩をこだまさせます。

       詩「白黒が、セピア色に染まるまで             (作品名をクリックしてご覧になれます。お読み頂けましたら嬉しいです。)

     戦争がもたらす悪があり、原発がもたらす悪があります。悪を行なわせてはいけないと、一市民として私は思います。

     次回は『墨子』をみつめる最終回、さらに彼の「非攻」を感じとります。


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  • Posted by 高畑耕治 at 19:30

    2013年02月10日

    新しい詩「愛(かな)しみの銀河」をHP公開しました。


     私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「愛(かな)しみの銀河」を、公開しました (クリックでお読み頂けます)。

       詩「愛(かな)しみの銀河」

    お読みくださると、とても嬉しく思います。


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  • Posted by 高畑耕治 at 19:27

    2013年02月10日

    吉野秀雄の短歌。言葉の涙こぼれて。

     今回からの数回はここ約百年の時間に生き歌った歌人の短歌を見つめてみます。
     私自身は狭義の短歌の形式での創作はしていませんが、和歌、短歌が好きですし、源流をおなじくする広義の詩歌の歌人と意識しています。柿本人麻呂山上憶良和泉式部、紫式部、式子内親王らも連なる歌人の末裔です。私の詩は、短歌の破調です。
     
     短歌の一読者として、歌人・道浦母都子の『百年の恋』(小学館、2003年)、『女歌の百年』(岩波新書、2002年)は、歌人の生き様と歌心を伝えてくれる、とても良い本でした。
     
     『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)は、この時間に生きた多くの歌人について、その歌人の個性が宿る歌を選び編んでいるように私には感じられました。もちろん漏れ採録されずにいる良い歌人、良い歌は必ずあると思っていますが、出会いの時を待ちたいと思います。この本の中から、強く感じるものがあり私なりに何かしら伝えたいと願う歌人の好きな歌を、みつめていきます。

     初回の今回は、吉野秀雄(よしの・ひでお、1902年・明治35年、群馬県生まれ)です。彼は上記の『百年の恋』でも印象深く書かれています。

     私にとって彼の名前は、夭折した詩人の八木重吉、十代の頃から私は彼の詩が好きです、その彼の詩を伝えてくれた人として記憶にありました。

     秀雄の短歌を読むと、人間が生きるということ、愛、悲しみが、静かに深く心に沁みるように響いてきます。
    思うということ、感じるということから、歌は心の深みから浮かびあがる、言葉の涙が込みあげ歌となってこぼれたように、感じます。十一首とも、美しい悲しみの抒情歌です。

     子の死。妻の死。重吉の亡くした登美子との再婚。長男の心の病。これでもかと襲いくるものに耐え思いを噛みしめる作者の眼をとおして歌われた世界は、悲しみに洗われ、美しく澄みきっています。
     「真命(まいのち)の」と「これやこの」の歌の古語、「ししむら」は肉体、「わぎも」は愛する女性、死を目前にした妻を呼ぶ声です。死を前にした最後の交わりの愛の絶唱です。
     彼の短歌は、愛の歌、詩歌の本来のちから、三十一文字という限られた語数に凝結した涙が、静かにひかりつづけ響きやまないことを、教えてくれます。

     短歌収録歌集、刊行年と彼の年齢を付記します。

                   『天井凝視』から。1926年(大正15年)、24歳。
    昼の月消(け)ぬがに空をわたるときいのちひとむきに愛(を)しとおもへり

                   『早梅集』から。1947年(昭和22年)、45歳。
    子の柩(ひつぎ)抱きて越えゆく中山の若葉のひかりせつなかりけり

                   『寒蝉集』から。1947年(昭和22年)、45歳。
    病む妻の足頸(あしくび)にぎり昼寝する末の子をみれば死なしめがたし
    炎天に行遭(ゆきあ)ひし友と死(しに)近き妻が棺(ひつぎ)**確保打合はす
    真命(まいのち)の極(きは)みに堪(た)へてししむらを敢(あへ)てゆだねしわぎも子あはれ
    これやこの一期(いちご)のいのち炎立(ほむらだ)ちせよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹

                   『晴陰集』1967年(昭和42年)、65歳。
    飛火野(とびひの)は春きはまりて山藤の花こぼれ来(く)も瑠璃(るり)の空より
    重吉の妻なりしいまのわが妻よためらはずその墓に手を置け

                   『含紅集』1968年(昭和43年)、66歳。
    叛(そむ)き去りし子が住む家は訪(と)はねども線路ばたなれば電車より見る
    永病みの足立たぬわが目の前にあるべきことか長男狂ふ
    彼(か)の世より呼び立つるにやこの世にて引き留(と)むるにや熊蝉(くまぜみ)の声

    出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)
     
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     『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
     イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月08日

    『宮城松隆追悼集 薄明の中で』を紹介しました。

     ホームページの「好きな詩・伝えたい花」『宮城松隆追悼集 薄明の中で』を紹介しました。

     宮城松隆追悼集発行委員会(代表・平敷武蕉)から2013年1月31日発行されました。内容は、宮城松隆作品集(詩とエッセイ・評論)と年譜、追悼詩、エッセイ・評論です。

     私も追悼エッセイ「文化を、詩を育む詩人・宮城松隆」を寄せています。(ブログ「文化を詩を育むということ(二)。詩人・宮城松隆」をもとにより詳細に書きたしたものです)。

     この本の刊行は、宮城さんの詩における交流の深さと誠実さを教えてくれます。刊行に尽力された沖縄の詩人のみなさんに私も学びたいと思います。
     30名の詩人が言葉を寄せています。(敬称略・掲載頁順)。
     宮城隆尋。神谷毅。進一男。中里友豪。宮城幸子。麻生直子。石川為丸。上原紀善。親泊仲真。香川浩彦。喜舎場直子。樹乃タルオ。キュウリ ユキコ。金城けい。佐々木薫。芝憲子。新城兵一。砂川哲雄。高畑耕治。トーマ・ヒロコ。仲村清。仲本瑩。西銘郁和。比嘉加津夫。平敷武蕉。松原敏夫。水崎野里子。八重洋一郎。山入端利子。瑶いろは。


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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月07日

    ミュージカルと詩歌。虚構を極め真実へ。

     前回に続き、ミュージカル映画『レ・ミゼラブル』と原作者のユゴーについての詩想です。

     私は映画が好きで青年期にはかなりの作品を観ましたが、特にミュージカル、ミュージカル映画は子どもの頃からずっと好きです。『サウンド・オブ・ミュージック』、『屋根の上のヴァイオリン弾き』、『ジーザス・クライスト・スーパースター』は今も心深く宿っています。
     『レ・ミゼラブル』は二回観ましたが、涙流れ心洗われます。観終わると、詩歌でこそあらわせる、詩心を響かせ感動がふるえだす作品を生みたいという願いがとても強まります。そう感じながら、次のような感gふぁ絵が浮かびました。

     映画や舞台芸術にも、とても豊かな表現方法があります。たとえば、日常の生活や歴史的な出来事を主題に観客があたかもその作品中の時間に居合わせているかのように感じさせようとして、その作品も作品を観ている時間も虚構とかんじさせないことを極力目指していく方法があります。
     その場合には出演者の動作や話しぶりも普段の生活と全く同じで演じてはいないと観客自らに思い込もうとさせる演技力が要求されます。場面、場面で流れる時間はドキュメンタリー、実写映像に限りなく近づいていくことを目指します。

     この志向性を文学という言葉による芸術表現で考えると、散文による虚構の文学、小説や物語が最も近いと思います。虚構の世界、物語を形作りながら、展開する場面、場面に流れる時間にはリアリティーが求められるからです。
     こまごまとした出来事や具体的な事物を執拗に描写するには散文が適しています。作者にも冷徹な眼が要求され、心が跳ね躍ることも酔うことも歌うことも禁じられます。
     前回のユゴーの詩「四日の夜の思い出」は詩でありながらこの志向度合いが強く、この詩人が小説も書ける力量を持っていたことにつながっています。

     上記の表現方法の対極にあると私が感じるのが、ミュージカル、ミュージカル映画と、詩歌です。
     作品は虚構でありながら虚構と感じさせない演技を目指す映画とは正反対に、ミュージカルは作品の中の時間も、出演者の演技も、虚構を極めることを目指します。
     ナレーションや日常の会話は散文ですが、それを排除して、出演者は最初から最後まで話さず歌い続けます。日常の時間ではありえないこと、人と人が会話ではなくいつも歌いながら意思を伝えあうなんて、普通おこらない、おかしなこと、虚構です。わざとらしくおおげさな印象を高め盛りあげるです。

     歌は人間の喜怒哀楽の感情がもっとも大きく揺れ動く全身全心の表現、感動の波うつ音楽です。だからミュージカルは、作品全体が人間にとっての感動の海だといえます。
     『レ・ミゼラブル』の出演者は歌になりきって演じます。歌うという演技であることをさらけ出したまま、演技という嘘であること虚構であることを忘れさせます。
     喜びも怒りも苦しみも悲しみも、人間の心の感情の極み、感動の響きの世界に包み込んで、観客の心の泉に喜怒哀楽のこだまを呼び覚まし、これこそ真実なんだと感じさせます。
     微笑みながら、笑いながら歌い、つぶやきながら歌い、涙流し泣きながら歌い、祈りながら歌い、絶望しながら歌い、演じ切る姿には、人間の感情が極まった美しさがあります。
     心高める歌で、虚構を極め、真実へと突き抜ける芸、芸術の力です。

     この志向性を文学と云う言葉による芸術表現で輝かせるのが、詩歌だと私は思います。
     散文にはできない言葉の歌であることで、喜怒哀楽を、作品という虚構を通して、心の高まりの極みである感動にまで誘い、人間の心の真実を響かせることができます。

     心豊かな詩人であったユゴーは、散文的な詩や小説を書く一方で、詩が言葉の歌だと知っていました。厳しく鋭く描写的、散文的な社会批評詩で怒りの作品を書きつつ、その対極の、優しく愛らしい次のような作品を生みました。悲惨を凝視するその向こうに必ず愛を見つめ歌っています。人間だからです。

     『レ・ミゼラブル』は悲惨な物語、でも愛の物語。そこに人間が生きて輝いて心に語りかけてくれるのは、彼がこのような人間の心の豊かさと深みを感じ歌う詩人だったからだと、私は思います。


      [おいで! ――見えないフルートが]
               ユゴー 安藤元雄訳


    おいで! ――見えないフルートが
    果樹園で溜息をついている。――
    何よりもなごやかな歌は
    羊飼いたちの歌だよ。

    風はひいらぎの下で、
    暗い水の鏡にさざなみを立てる。――
    何よりも楽しい歌は
    鳥たちの歌だよ。

    何のわずらいも君には無用。
    愛し合おう! 愛し合おう いつまでも!――
    何よりも魅力的な歌は
    恋の歌だよ。

    詩の出典は、『筑摩世界文学大系88 名詩集』(1991年、筑摩書房)です。


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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月05日

    ユゴーの詩。一人のいのちを感じる眼。

     久しぶりに映画をゆっくり観ました。ミュージカル映画『レ・ミゼラブル』です。ユマニスム、ヒューマニズム、人間をみつめるまなざしからあふれだす詩心と感動の物語に、とても心打たれます。原作者のユゴーは19世紀フランスの文豪ですが、あらためて底力のある詩人、作家だと感じました。
     まず今回は『レ・ミゼラブル』と共鳴していると感じるユゴーの詩を一篇見つめます。

     私はこの詩に、ユゴーが人間と生活と社会と世界を、どのような位置からの視点で見つめたかを、教えてくれる詩、長大な小説『レ・ミゼラブル』の凝縮したような詩だと感じます。
     「凝縮した」ということを逆に言うと、詩という文芸形態の境界を示しているともいえます。

     最も弱者である、一人の人間、子供の、最も過酷な運命、殺されることを主題としているのは、彼のテーマの象徴している、ともいえます。
     「象徴」ということも逆に言うと、詩という文芸形態の境界です。

     歴史的な事実、細かな出来事を具体的に描写している、克明に記録しようとする、かなり小説的な散文との境界にある詩ですが、次の点で詩に踏みとどまっています。
     一人の少年を、特定の名を持った特定の場所に生きた一人としていないこと。そうすることで、あの時、このように同じように、殺された少年の象徴として、多くの同じ運命に苛まれた一人一人みんなへ捧げられた鎮魂歌となっています。

     最終連では、ユゴーが怒りをぶつける相手、王政を明示して、彼自身の政治的な立場を宣言しています。最終連がなければ、この詩はさらに広い時代、広い世界で起こっている人間の姿を、普遍的に象徴的に示した詩となっているかもしれません。そうせずに、時代と出来ごとを特定したのは、怒りと糾弾と鎮魂の思いから彼が選んだ、彼の意思です。

     作品を壊す政治的な言動であっても、このように書く彼だからこそ、『レ・ミゼラブル』を書きあげることができたのだと感じ、私は弱い個々の者の傍にいる彼に共感します。
     文学の言葉と政治の扇動演説を隔てるのは、一人の人間のいのちの弱さを感じる眼を失わないかどうかにあると私は考えているからです。


      四日の夜の思い出
             ユゴー 安藤元雄訳


    子供は頭に二発の弾丸(たま)をくらっていた。
    住まいは清潔で、つつましく、穏やかに、まともで、
    祝福の小枝が肖像画の上に掛けてある。
    年老いた祖母がそこにいて 泣いていた。
    私たちは黙って子供の服をぬがせた。その口が、
    血の気もなく、だらりと開く。死の影がおびえた眼をひたし、
    垂らした腕は支えを求めているかに見えた。
    ポケットにはつげの木の独楽(こま)がひとつ。
    傷口の穴はどちらも指が入るほどだった。
    生け垣の桑の実が血を流すのを見たことがおありか?
    頭蓋は割れた薪(たきぎ)のように口をあけていた。
    祖母は子供の服がぬがされるのを見つめながら、
    こう言った、――なんて白い体! さあランプを寄せて、
    おお! かわいそうに 髪がこめかみに貼りついて!――
    それがすむと、子供を膝に抱き取った。
    陰惨な夜だった。銃声が何発も
    街路に聞こえ 次々と人が殺されて行く。
    ――くるんでやらなくては、と私たちの仲間が言った。
    そして胡桃の箪笥から白いシーツを取り出した。
    祖母はその間に子供を暖炉に近づけていた
    硬直してしまった手足をなおも暖めてやろうとするように。
    ああ! 死がその冷たい手で触れたものは
    この世の暖炉では二度と暖まらないのだ!
    かがみこんで子供の靴下をぬがせ、
    老いたその手に死体の足を載せた。
    ――これが悲しまずにいられますか! と
    老婆は叫んだ、あなた、八つにもならなかったのに!
    先生方も、学校で、ほめて下さってました。
    あなた、私が手紙を書かねばならないときは、
    この子が書いてくれたんです。いまじゃこうして
    子供まで殺すんですか? ああ! 神さま!
    強盗とおんなじだ! ちょっと言うけど、
    今朝までそこで、窓の前で、遊んでたのよ!
    こんな小さな子供を殺しちまって!
    街を通るところを、いきなり撃ったの。
    あなた、イエスさまみたいなやさしいいい子でしたよ。
    私は年をとっているから、行くのも簡単、
    ボナパルトさんには同じことだったでしょうに
    この子を殺す代りに私を殺したって!――
    むせび泣きにのどがつまって、言葉を切って、
    それから続けた、みんなも老婆のそばで泣いた。
    ――これからひとりぼっちで私はどうなるの?
    教えてくださいな、みなさん、いまここで。
    ああ! 母親が残したたったひとりの孫だったのに。
    なぜ殺したの? 説明してもらいたいわ。
    この子は叫ばなかったわ 共和国ばんざいなんて。――
    私たちは黙って、立ったまま沈痛に、帽子をおろし、
    慰めようもないこの嘆きを前にしてわなないていた。

    わかっていなかったのだね、お婆さん、政治というものが。
    ナポレオン氏は、これがあいつの正式の名前だが、
    貧乏なくせに王侯気取り。宮殿が好きで、
    馬も持ちたい、従僕も持ちたい、
    賭博や、食事や、色ごとや、狩猟のための
    金も持ちたい。ことのついでに、家族を助け、
    教会や社会も救ってやろうというわけだ。
    サン・クルーも手に入れたい、夏には薔薇がいっぱいで、
    知事や市長が敬意を表しにやってくる。
    そのためなのだ 年老いた祖母たちが、
    寄る年波にふるえる哀れな灰色の指先で、
    七歳の子供たちを屍衣に縫いこまねばならぬのは。

     出典は『筑摩世界文学大系88 名詩集』(1991年、筑摩書房)です。
     次回も、『レ・ミゼラブル』に感じた詩想を記します。


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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月03日

    私の「破調」。破れて裂けて砕けて。

     前回は、若山牧水の歌集を通して、短歌とその「破調」について考えました。今回はこのことをもう少し私自身と私の創作、作品に引きつけ突っ込んで考え、詩想を記してみます。

     牧水の「破調」の歌を読んで私は、短歌は「破調」して自由詩を生み、自由詩は「破調」してアフォリズムを生むのだと思いました。
     これはどの詩形が優れているという比較ではありません。詩人はそのときその形でしか生めない、作品はそのときそのかたちでしか生まれない、のだと思います。

     口語自由詩は短歌では考えられないほど詩形の約束事のまったくないようにみえますが、柔軟な調べ、音色、リズムを詩行、詩作品ごとに織りこみ織りあげることで言葉の音楽を奏でている詩歌です。
     自由詩の詩行を織りあげる推敲作業は、構築した虚構を通して詩想をより繊細に伝えようとする努力だと私は考えています。

     ですから私は経験的に、心があまりに、破れ、壊れたときや、その破れ壊れた心を投げだすしかないとき、また、想念そのものをゆがめたくないときには、詩行の音楽や虚構の構築は、「わずらわしい嘘の行為」に感じられて、詩想があふれ流れるままのアフォリズムの形こそ、想念にふさわしいのではないかと思っています。
     たとえばパスカルの『パンセ』ニーチェの言葉はあの姿こそふさわしいですし、私の第一作品集『死と生の交わり』はそのようなアフォリズムの形で生れた詩想を最低限の形ある調べとした詩想集です。

     和歌も短歌も愛している私が、その定型の詩歌を生めないのは、私の心が定型におさめるには「破れすぎている」からだと思います。破れ、壊れた私の詩心は、定型では生れてくれません。
     私は意志して、破れた心を修復し、アフォリズムの種を、詩想として芽吹かせ、自由な詩の形の花として咲かせようとしてきました。
     私の『海にゆれる』以降の詩集『愛(かな)』、『愛のうたの絵ほん』、『さようなら』はいずれも、自由詩を意志して創作し、種から詩想が自由詩を望んで芽吹いた詩の花です。

     牧水は歌集『みなかみ』の「破調」の作品群の創作時期の後、定型音数律の短歌に戻り、生涯短歌を書き続けました。心の破れを修復できた彼の本来の詩心は、定型をのびやかに楽しめる穏やかなものだったような気が私にはします。
     彼に比べると与謝野晶子はもっと「破れていた」から詩も童謡も評論も書いたのだし、彼とは対照的に石川啄木の心は生涯「壊れていた」からこそ、さまざまな詩形の表情の詩歌の花を咲かせたのだと、私には思えます。
     このように考えてみると、萩原朔太郎、宮澤賢治、高村光太郎、原民喜、一人一人とても豊かな詩形、不思議な表情の花を咲かせていることに思い当ります。
     心が「砕けていた」からこそ、まばゆく散乱してゆく夢の、願いの、愛の花を咲かせてくれたのだと思います。
     
      大海(おほうみ)の 磯もとどろに 寄する波 破(わ)れて砕けて 裂けて散るかも
                                             源実朝『金槐(きんかい)和歌集』(新潮日本古典集成)

     『こころうたこころ絵ほん』というへんてこりんな詩集らしくない作品集が生まれ、詩らしくない作品を創作し、このようなブログを書き、波の花になりたいとねがう私の心に、彼らはとても近しいです。

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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年02月01日

    若山牧水の詩歌。破調。壊れた心から言葉はこぼれ。

     前回は与謝野晶子の短歌を見つめました。出典の同じ本には、若山牧水の短歌集も収められていて、読むことができました。

    1.牧水の代表歌
     彼の短歌で、私がいちばん好きなのは、おそらくいちばんよく知られている「白鳥は…」の歌で、白鳥と空と海が目に浮かび、海にいきたい想いがつのります。
     この歌を含め第一詩集『海の声』から選び出した好きな歌四首はどれも、いのちの旅人である歌人の詩心をまっすぐ響かせていて、抒情がとても美しいと思います。

    歌集『海の声』から。若山牧水
    (1908年・明治41年、24歳)


    われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ

    白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

    けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴(なら)しうち鳴しつつあくがれて行く

    幾山河(いくやまかは)越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく

    2.牧水の「破調」
     若山牧水のこれらの代表歌の他に、今回印象深く考えさせられたのは、歌集『みなかみ』の時期に生まれた、定型を破った口語的発想の「破調」の歌です。
     解説文によると、牧水自身はこれらの歌を「長歌」または「新長歌」、「短曲」、「短唱」と名づけようか、と書いています。

    「破調」とは、定型詩歌である短歌の決まりごと、三一文字の音を五七五七七の音数律でつくるという基本を「破った調べ」です。一音多い「字余り」や一音少ない「字足らず」は基本の些細な変調とみなせますが、「破調」の場合は音数律の基本を「壊し、はみだす」歌です。

     これらの詩形の約束を「壊れた」「壊した」歌が、牧水に生まれたのは、彼の父が亡くなり帰郷していた時期と重なります。
     私はこの「破調」の歌を読んで、破れた心、壊れた心から、漏れで、こぼれた想いを、転写するように掬いあげるしかなかった、そのように生まれ出るしかなかった言葉を、約束事の音数に取捨選択してはめ込むために推敲することは逆に想いのかたちを壊すことになるように彼には思えたのではないか、と感じます。
     切迫感が静かに薄い氷のように、今にも割れそうなほどに、張りつめています。

    歌集『みなかみ』から。若山牧水
    (1913年・大正2年、29歳)


    納戸の隅に折から一挺(ちやう)の大鎌(おほがま)あり、汝(なんぢ)が意志をまぐるなといふが如(ごと)くに

    飽くなき自己虐待者に続(つ)ぎ来たる、朝(あさ)、朝のいかに悲しき

    新(あら)たにまた生るべし、われとわが身に斯(か)く言ふとき、涙ながれき

    傲慢(がうまん)なる河瀬(かはせ)の音よ、呼吸(いき)はげしき灯(ひ)のまへのわれよ、血のごとき薔薇(ばら)よ

    薔薇を愛するはげに孤独を愛するなりきわが悲しみを愛するなりき

    愛する薔薇を蝕(むし)ばむ虫を眺めてあり貧しきわが感情を刺さるるごとくに

    さうだ、あんまり自分のことばかり考へてゐた、四辺(あたり)は洞(ほらあな)のやうに暗い

    御墓(みはか)にまうでては水さし花をさす、甲斐(かひ)なきわざをわがなせるかな

    わが厨(くりや)の狭き深き入り口に夕陽(ゆふひ)さし淵(ふち)のごとし噤(つぐ)みて母の働ける

    飛ぶ、飛ぶ、とび魚がとぶ、朝日のなかをあはれかなしきこころとなり

    かなしき月出づるなりけり、限りなく闇(やみ)なれとねがふ海のうへの夜(よる)に

    高まりたかまりつひに砕(くだ)けずにきえゆきし曇り日の沖の浪(なみ)のかげかな

    ● 出典・『日本の詩歌4 与謝野鉄幹 与謝野晶子 若山牧水 吉井勇』(中公文庫、1975年)。

     次回は、私自身の「破調」について記します。

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     イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
        こだまのこだま 動画
      
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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05