詩想(四二)詩と文学。心の足跡。

高畑耕治

2014年11月29日 19:00

私の詩想を、ツイートからひろいあつめました。

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詩集は、今はあまり、ほとんど読まれませんが、詩を好きなひとが、心をこめて見つけ生みだした言葉だから、私はとても大切に思います。ポエムもおなじです。長い作品をなんとか創りまたすぐには無理と感じて、贈って頂きながら読めずにいる本を読破しよう、木魂ようと、ひたすら読み、手紙しています。

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詩の、みなもと、つよくひかれ、こころうたれるのは、ひとりからひとりへの、好き、あいしてる、大切、と感じ伝えたい想い。
ポエムはそれが命だから好き。
詩はひねくれていながら、その想いを棄てない言葉はとても好き。ないのは頭の体操、つまらない。

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生まれ育った時代も場所も全然違う方たちの詩を読み、お手紙続けています。
違いを越えて、心、響きあえ、想い、手渡せる、芸術、文学、詩が好き、そのように、思える心知るひとが好きと、教えられつつです。

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ひどく、どうでもいい、かるすぎる、いいたいこともないのに、だした詩集を読んで、とても悲しくなった。こんなの読んでる、余裕ない終末生きてるんだと。

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誤解をひろげないように。わたしが、悲しく感じたのは、私より、先に、生きてきた人たちに、たいしてです。
わかいひとは、私も含めた老いぼれのたわごとなんか気にせず、ほんとうに伝えられずにいられないことを、様々な方法を模索して表現してくれると、私は信じています。

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私より先に生きてこられたかたで、伝えずにいられない想いを、詩にされているかたを、知り、感じているので、道楽の金で繕った、金があるから出せた中身のない紙を、私は厭います。
紙にされた木がかわいそう。


より正直に。何十年なんていう、一瞬の世代差なんて、芸術、文学、詩に、あるわけないと、思っています。宇宙、人間、あるかぎり、こだましあえる、愛するこころに。

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昨日今日と読みお手紙した李美子(イ・ミジャ)詩集「薬水(ヤクス)を汲みに」は、とても強く心に響きました。悲しみの深さに。
朝鮮半島の人たちの穏やかな日常と願いを破壊しつくしたことすらごまかし恥じない者たちがのさばり罵声を平然とまき散らす社会なんて人間として最低だ、正そうと願います。

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覚書。詩歌(の、時代区分なんて、近代詩も現代詩も、便宜的なものにすぎない)、特に「現代詩」の難解さについて。自己顕示欲、自己満足、力量不足、伝えたいものがなんにもないお遊び、そのどれか。
そんなのばっかりもちあげられ、ほんとに心響く詩を軽んじてきた人たち、さびしく悲しい。

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