永福門院の和歌

高畑耕治

2018年02月04日 16:30

折口信夫「歌の話」から。
「人間はいつもにこにこ笑っているものばかりのものではありません」
「世間の流行は、しかたのないもので、(略)世間の評判と、ほんとうの物のねうちとは、たいていの場合一致していない」

何となき草の花咲く野べの春。雲に ひばりの声ものどけき
(永福門院、風雅集巻二122)
折口信夫「歌の話」岩波文庫から。雑草の花、なんということのない変った点もない草の花。

折口信夫の本を読んだことで、玉葉集の時代に生きた、永福門院の和歌を読み返し感じとりたいと思い、取り寄せています。彼女は自然のいのちの息吹きを、とても繊細な感性、感受性でうけとめることができ、言葉で表現することができた、優れた女性歌人だと思います。
大切なもの好きなことにふれる時間は深い眠りのように目覚め起きあがる気持ちを蘇らせてくれるから。読書をしています。
「永福門院―飛翔する南北朝女性歌人」(岩佐美代子、笠間書院)。
この著者の「木々の心 花の心 玉葉和歌集抄訳」(同上も)以前読んで教えられたよい本です。

我もかなし草木も心いたむらし秋風ふれて露くだるころ (伏見院)
人のすてしあはれをひとり身にとめてなげきのこれる果ぞ悲しき (永福門院)
悲しい心にふれゆれることで、生きる想いは深まりつよくなれる、心は不思議です。

恋の心を

今日はもし人もや我を思ひいづるわれも常よりひとのこひしき

(今日はもしやあの人も私を思い出しているのではないかしら。私もいつもよりひとしお、あの人が恋しくてならない)風雅集、恋四
「永福門院」(岩佐美代子、笠間書院)想う人は読者の自由です。良い歌は心の自由に響きます。

ちりうける山の岩根の藤つつじ色にながるる谷川の水 
風雅集・春下 永福門院
(山の岩かげに咲いていたのがすっかり散って、今は川面に浮いている藤の花、つつじの花、それをうかべて美しい色となって流れてゆく、谷川の水よ。「永福門院」(岩佐美代子、笠間書院)
春の終わり、色彩美しく、清澄に流れてゆく歌。

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