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高畑耕治
高畑耕治

2012年10月31日

中野鈴子の詩。表現に自由の花を咲かせて。

 この約百年間に女性の詩人が生み出し伝えてくれた詩に
 心の耳を澄ませ聞きとっています。
 『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされた詩について、詩想を記しています。

 今回の詩人は、中野鈴子(なかの・すずこ、1906年明治39年~1958年昭和33年)です。
 略暦によると、二度の離婚の後、上京し『ナップ七人集』に作品収録。没後『中野鈴子全著作集』全二巻、『中野鈴子全詩集』が出版されています。

 平明な言葉で、出来事と、思いを、書き記した詩です。このような作品を、詩ではない、詩として劣ったものと決めつける詩人たちがいますが、私は偏狭なつまらない考えだと思います。
 詩は「こうであらねばならない」という決まりごとのない、自由な表現であることにだけ、良さがあります。学問や技術のように知性で整合的に体系だて正しい解答を用意できるものでも、強いられた枠に当てはまるように形を整えるものでもありません。
 とくに日本の口語詩には、定型も、音律の決まりごとも、まったく何もありません。まったくどのように書いてもかまわない、だから難しいともいえます。

 作品を詩と感じるかどうかを決めるのも、読者の自由な心です。権威をもちたがる学者や自称詩人が決めつけ押しつけられるものではありません、そのようにしたがる人は詩を本当には知らないし、好きでもないんじゃないかと私は思います。

 この作品は、作者が伝えたいものが、私の心に、強く悲しく響いてくるから、私はいい詩だと思います。
 散文ではなく詩と感じるのは、言葉に音楽性、リズムとくり返しによる、感情の波の浮き沈みがあるからです。

 結婚、男と女、親と子、家。個人の意志、女性の意志と時代と因習と生活の制約。この詩を読むことで、思いがかけめぐり、考えずにはいられません。これもこの詩のもつ力、意味だと思います。
詩人はまず自分自身のために、書かずにはいられないから書くことで、読者に伝え心に響いてほしいと必ず願っています。
 そのことを実現している、そして女性にしか書けなかった詩だと思います。強いられるなかでも耐え、心だけは最後まで奪われず失わずに、そこから生み出した自由な表現、咲かせた花は美しいと感じます。


  花もわたしを知らない
             中野鈴子


春はやいある日
父母はそわそわと客を迎える仕度をした
わたしの見合いのためとわかった

わたしは土蔵へかくれてうずくまった
父と母はかおを青くしてわたしをひっぱり出し
戸をあけて押し出した ひとりの男の前へ

まもなくかわるがわる町の商人が押しかけてきた
そして運ばれてきた
箪笥 長持ち いく重ねもの紋つき
わたしはうすぐらい土蔵の中に寝ていた
目ははれてトラホームになり
夜はねむれずに 何も食べずに
わたしはひとつのことを思っていた
古い村を抜け出て
何かあるにちがいない新しい生き甲斐を知りたかった
価値あるもの 美しいものを知りたかった
わたしは知ろうとしていた

父は大きな掌(て)ではりとばしののしった
父は言った
この嫁入りは絶対にやめられないと

とりまいている村のしきたり
厚い大きな父の手

私は死なねばならなかった
わたしはおきあがって土蔵を出た
外はあかるかった
やわらかい陽ざし
咲き揃った花ばな

わたしは花の枝によりかかり
泣きながらよりかかった
花は咲いている

花は咲いている
花もわたしを知らない
誰もわたしを知らない
わたしは死ななければならない
誰もわたしを知らない
花も知らないと思いながら


次回も、女性の詩人の作品に心の耳を澄ませてみます。

 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月29日

    竹内てるよの詩。絶望の涙をおとすな。

     この約百年間に女性の詩人が生み出し伝えてくれた詩に心の耳を澄ませ聞きとっています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされた詩について、詩想を記しています。

     今回みつめる詩人は、竹内てるよ(たけうち・てるよ、1904年明治37年~2001年平成13年)です。
     初めてこの詩人に出会い、読みましたが、詩集のタイトルから心のありようが少し感じとれます。『叛く』『いのち新し』『永遠の花』『夕月』『生命の歌』などです。

     収録されている詩集は『花とまごころ』、1933年昭和8年に出版されています。
     どのようなところから生まれてきた作品か、私は知りません。ただこの詩に向き合っただけなのですが、とても強い想いが響いている詩です。

     どうしてこんなに強い言葉が生まれてきたのか? そう問いかける声が私のうちにあります。
     でも一方で、それがわからなくても、強い響きとなっていることが、この詩の良さなのだと思います。

     詩は、特定の社会的な事柄、イデオロギー、戦争、大義、主義主張の実現を目的として、その意志発揚のための手段として作られ、使われてしまう場合があります。
     日中戦争、太平洋戦争中に、多くの詩人によって、命令に従う目的の意にそう作品が作られました。でもそれは、詩形に整えられた言葉であっても、詩ではありません。
     自由な心から生まれてくる言葉だけが詩だからです。

     この詩の詩句のなかには、「人類のための戦ひ」、「正義の決然」という、危うさがあると思います。
     私は読者として、「ヒューマニズム」、「人間らしさ」を指していると、とります。そうとるとき、共感できます。
     ただ人間は弱く、戦争をあおる国家、権力もその目的を必ず「人類の」「正義の」ため、と言います。ですから、私は残念な習性ですが、このような言葉にはまず疑念を抱いてしまいます。危うい言葉です。

     そう、感じつつ、この詩を見つめてしまうのは、作者が本当に、いちばん言いたいのは、そこにはないと感じるからです。

     母よ、わが子に、悲しみの、絶望の、涙を落すな。たとえどんな時にも。

     ただこのことを言いたいと繰り返される言葉ですが、私には、次のようにも聴こえてきます。

     わが子がいる。子どもがいる。だからどんな時も、母よ、絶望するな。けして諦めるな。

     このように聴こえてくるのは、私だけでしょうか? この詩の強さは、詩人が自分自身に向けて言い聞かせていると、感じることから、生まれているのだと思います。
     読み間違えでしょうか? 誤読でしょうか? そいうであっても、作者の手を離れた作品をどう感じるかは、読者の自由です。私はこの詩を、このように読み取りたいと思います。


      
            竹内てるよ


    生れて何もしらぬ吾子(あこ)の頬に
    母よ、絶望の涙をおとすな。

    その頬は赤く小さく、今はたゞ一つのはたんきょうにすぎなくとも
    いつ人類のための戦ひに燃えないと云ふことがあらう。

    生れて何もしらぬ吾子の頬に
    母よ、悲しみの涙をおとすな。

    ねむりの中に静かなるまつげのかげを落して
    今はたゞ白絹のやうにやわらかくとも
    いつ正義への決然にゆがまないと云ふことがあらう。

    たゞ自らのよわさと、いくぢなさのために
    生れて何もしらぬ吾子の頬に
    母よ、絶望の涙をおとすな。


    次回も、女性の詩人の作品に心の耳を澄ませてみます。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月27日

    林芙美子の詩。本物の口語、自由な心の詩が生まれた。

     この約百年間に女性の詩人が生み出し伝えてくれた詩に心の耳を澄ませ聞きとっています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされた詩について、詩想を記しています。

     今回みつめる詩人は、林芙美子(はやし・ふみこ、1903年明治36年~1951年昭和26年)です。

     彼女の小説『放浪記』は、たぶん私が20代の初め、小説家を目指していた頃に読んで、深く共感したのを今も思い出します。小説のなかに散りばめられた詩も、とてもいいと感じました。

     この詩が収録されている詩集『蒼馬を見たり』(1929年昭和4年)はまだ読めずにいるので、彼女の言葉に触れたのは、その時以来です。

     女性の詩をみつめるこの一連の詩想でとれあげる詩人たちは、どの方も個性が強いですが、林芙美子のこの詩を読んで、とても独特な魅力、このひと、この詩人でないと書けない世界だなと強く感じます。
     これは、詩人にとって、一番のほめ言葉ではないでしょうか? 少なくとも私はそのように読者に感じてもらえる詩人でありたいです。

     私がこの詩に感じる一番の魅力は、自分の言いたいことを自分の言葉で伝える、「語り口調」です。
     最終行の「神様コンキクショウ」に特徴的ですが、たぶん彼女でないと詩のなかの言葉として書かれなかったと思える言葉が魅力的な声で散らばっています。

     もうひとつは、生活からにじみだすような人間味です。あんまり苦しすぎて、どん詰まりのときに、自分を笑うしかない時があります。苦しさも悔しさも自嘲も通り越してしまったどん底でみあげた空の青さのような。

     そして、社会に対する批評性も表裏一体になってまっすぐに浮かび上がります。やわらかく書くと、こんな不正だらけの社会に負けるもんか、コンチクショウです。現在にもつながる経済的な格差。この時代には江戸時代からひきずられている社会階層、身分による隔て、差別も露骨でした。そのことを苦しい者、貧しい者の偽りのない言葉で、跳ね返そうとする意地・意思が輝いています。

     彼女の詩が、苦しいことを書いていても、なぜか明るく爽やかなのはなぜか?
     私は彼女があらゆる角度から締め付けてくる制約を、ああでもない、こうでもないと、潜り抜けるように、彼女が自分で生き方を選んでいるからだと感じます。追い込まれてもどうするかは、どう生きるかは、自分が選ぶ、自分が決める。
     彼女は自分を突き放し、「放浪」記としましたが、私は彼女の「自由」を探さずにはいられない思いの日記なんだと、共感して読みました。

     この作品の詩の言葉も、文語定型詩の制約、「こうあらねばならない」という締め付けを初めて本当に跳ね飛ばした、口語の自由詩だと感じます。言葉が生き生きと息している、それが本物の輝かしい印。
     もう文語定型にはどのようにもしても収めようがない、新しい口語の自由詩を彼女は生き、生みました。


     苦しい唄
             林芙美子


    隣人とか
    肉親とか
    恋人とか
    それが何であらう――

    生活の中の食ふと言ふ事が満足でなかつたら
    描いた愛らしい花はしぼんでしまふ
    快活に働きたいものだと思つても
    悪口雑言の中に
    私はいじらしい程小さくしやがんでゐる。

    両手を高くさし上げてもみるが
    こんなにも可愛い女を裏切つて行く人間ばかりなのか!
    いつまでも人形を抱いて沈黙つてゐる私ではない。

    お腹がすいても
    職がなくつても
    ウヲオ! と叫んではならないんですよ
    幸福な方が眉をおひそめになる。

    血をふいて悶死したつて
    ビクともする大地ではないんです
    後から後から
    彼等は健康な砲丸を用意してゐる。
    陳列箱に
    ふかしたてのパンがあるが、
    私の知らない世間はなんとまあ
    ピヤノのやうに軽やかに美しいのでせう。

    そこで始めて
    神様コンチクシャウと怒鳴りたくなります。


    次回も、女性の詩人の作品に心の耳を澄ませてみます。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月25日

    金子みすゞの詩(二)。絵と、歌と、詩情と。

     前回につづき、金子みすゞの歌に心の耳を澄ませます。
     『金子みすゞ童謡集』(編解説・矢崎節夫、1998年、ハルキ文庫)、底本『新装版・金子みすゞ全集』(JULA出版局、1984年)を出典にしました。口語表記です。

     彼女の豊かな詩の表情の魅力を、少し違う角度から見つめてみます。

     たとえば、つぎの詩は短い詩行ですが、とてもひろい世界を映し出しています。優れた絵や映像のような詩です。

     川岸の花から川のながれのままに遠い海まで視線も流れてゆくと、突然視野は大きな海いっぱいにひろがります。がアングル、焦点は急に縮まり、小さな一滴を浮かび上がらせます。とおい距離のうごきと、大と小の対比が鮮やかです。
     そしてその一滴の水玉が想います、わたしはあの川岸の花の露、涙でしたと。おどろき、こころのときめき、そして今と過去の時間の逆行、重なり。
     詩が表現できるものの豊かさを包み込んだような、とても好きな詩です。


      みそはぎ
              金子みすゞ


    ながれの岸のみそはぎは、
    誰も知らない花でした。

    ながれの水ははるばると、
    とおくの海へゆきました。

    大きな、大きな、大海で、
    小さな、小さな、一しずく、
    誰も、知らないみそはぎを、
    いつもおもって居りました。

    それは、さみしいみそはぎの、
    花からこぼれた露でした。


     次は言葉の音楽性での、彼女の歌びととしての天性を感じる詩です。
     「(お)てんと」と「(お)使い」、「(そ)ろって」と「(そ)ら」、「(み)ち」と「(み)な(み)」。それぞれの詩行の畳韻は、たぶん無意識に音を探しながら言葉をさがす詩人の心に浮かびえらばれた言葉だと思います。
     七五調のリズム感が、お話、童謡の、優しさをもたらしています。
     各詩連は初めに同じ言葉「一人」から入って変化していて、繰り返しの安心感と、展開への期待感を、生んでいます。
     作品の内容からは、最後に「影」を忘れないのが、みすゞの詩人の感受性がほんものだと、教えてくれる気がします。
    明るさと暗さ、喜びと悲しみ、どちらも大切なものとして感じ歌うのが、詩です。


      日の光
             金子みすゞ


    おてんと様のお使いが
    揃って空をたちました。
    みちで出逢ったみなみ風、
    (何しに、どこへ。)とききました。

    一人は答えていいました。
    (この「明るさ」を地に撒くの、
    みんながお仕事できるよう。)

    一人はさもさも嬉しそう。
    (私はお花を咲かせるの、
    世界をたのしくするために。)

    一人はやさしく、おとなしく、
    (私は清いたましいの、
    のぼる反り橋かけるのよ。)

    残った一人はさみしそう。
    (私は「影」をつくるため、
    やっぱり一しょにまいります。)


     最後に、彼女の寓話性、おとぎ話の魅力です。
     私は優れた暗喩は、「言葉の意味は捨てずに、書かれていないものまで呼び起こし想いを馳せさせる」表現だと思います。比喩が暗示するものは伝えたうえで、寓意は読者の自由に委ねることで無限に拡がってゆきます。

     モダニズムの詩や現代詩がつまらないのは(西欧翻訳詩のマネが多い点は無視しても)、暗喩の段階で読者をはねつけ拒み、言葉の意味を捨てた作者しかわからない飛躍の積み木を喜ぶ稚拙な独りよがりに陥っているからです。意味と表象のつながりを潰した瓦礫のわからなさを得意顔で自慢するのはもうやめたほうがよいと思います。

     つぎの詩は誰でも、書かれている言葉の意味がわかります。そのうえで、書かれていないことを伝えようとしているのだと、読者は感じて、想い・想像力がひろがってゆきます。
     本当に優れた詩情、ポエジーとはこのように、やわらかく、やさしく、それでいて無限に広がってゆく想いを、呼び覚ましてくれるものです。

     一人の読者としては、この詩の最終連に、みすゞの抵抗の気持ちを感じ、悲しみが心に沁みてきます。でも、わたしもきっと「下へ、下へと、」同じことをするだろうと、このざくろの気持ちになって共感しています。
     
     ざくろにもなれる。詩って、おもしろいなと、ますます好きになります。だから、みすゞの詩が、私はとても好きです。


      ざくろ
           金子みすゞ


    下から子供が
    「ざくろさん、
    熟(う)れたら私に
    くださいな。」

    上からからすが
    「あほかいな。
    おさきへ私が
    いただこよ。」

    あかいざくろは
    だんまりで、
    下へ、下へと、
    たれさがる。


     次回も、女性の詩人の作品に心の耳を澄ませてみます。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月23日

    金子みすゞの詩(一)。鈴になって、小鳥になって。

    この約百年間に女性の詩人が生み出し伝えてくれた詩に
    心の耳を澄ませ聞きとっています。生年の順を基本にしています。
    今回と次回は金子みすゞ(1903年明治36年~1930年昭和5年)です。以前から書き記したい気持ちがあった好きな詩人ですので出典も変え、『金子みすゞ童謡集』(編解説・矢崎節夫、1998年、ハルキ文庫)、底本『新装版・金子みすゞ全集』(JULA出版局、1984年)からの紹介です。読みやすいよう口語表記になっています。

     今回は、彼女の作品のうち最もひろく知られている三篇になりました。なんど読み返してみてもいいし、彼女の良さ、個性、感性が光っていると感じるからです。
     
     最初は、海辺で生まれ育ち生きた彼女の身近でいつも泳いでいる「お魚」の詩です。
     最初の一行と最後の一行、素直な気持ちの表現、その良さと大切さを教えてくれます。共感できるひとのこころにはそのままどこまでも響きます。


      お魚
               金子みすゞ


    海の魚(さかな)はかわいそう。

    お米は人につくられる、
    牛は牧場(まきば)で飼われてる、
    鯉(こい)もお池で麩(ふ)を貰う。

    けれども海のお魚は
    なんにも世話にならないし
    いたずら一つしないのに
    こうして私に食べられる。

    ほんとに魚はかわいそう。


     次はたぶん一番知られ愛されている詩です。
     彼女は鈴になって鈴の気持ちを感じて鈴とお話できます。小鳥になって小鳥の気持ちを感じて小鳥とお話できます。
     そして最後の一連を口ずさむように歌えたひと、みすゞはとても、優れた詩人だと思います。
     こどもみんながこのような言葉にふれ、心にもちつづけられたら、と願わずにはいられません。
     

      私と小鳥と鈴と
                金子みすゞ


    私が両手をひろげても、
    お空はちっとも飛べないが、
    飛べる小鳥は私のように、
    地面(じべた)を速(はや)くは走れない。

    私がからだをゆすっても、
    きれいな音は出ないけど、
    あの鳴る鈴は私のように
    たくさんな唄は知らないよ。

    鈴と、小鳥と、それから私、
    みんなちがって、みんないい。


     最後に、とてもすてきなタイトルの、彼女の感受性のゆたかさから生まれあふれでた詩を。
     ばくぜんと知ってはいても、見過ごして感じとれずにいるものを、そっとささやいてしらせてくれる。
     心にねむっている景色を目覚めさせてくれる、詩のよさを思い出させてくれる、詩人がすぐそばに、彼女の声が耳元に聞こえてきます。


      星とたんぽぽ
               金子みすゞ


    青いお空の底ふかく、
    海の小石のそのように、
    夜がくるまで沈んでる、
    昼のお星は眼にみえぬ。
      見えぬけれどもあるんだよ、
      見えぬものでもあるんだよ。

    散ってすがれたたんぽぽの、
    瓦のすきに、だァまって、
    春のくるまでかくれてる、
    つよいその根は眼にみえぬ。
      見えぬけれどもあるんだよ、
      見えぬものでもあるんだよ。

     次回も金子みすゞの歌を少しちがう視点からみつめます。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月21日

    中田信子の詩。性愛の喜びを歌う。

     約100年ほど前、明治時代からの詩を、女性の詩人の作品という視点でみつめなおしています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社『に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされた詩について、詩想を記しています。

     今回みつめる詩人は、中田信子(なかた・のぶこ、1902年明治35年~)です。
     詩集『処女の掠奪者』(1921年大正10年)の収録作品、詩人が19歳頃の詩です。他の詩集名『女神七柱』からも、女性として生きることへの意識が強い方ではないかと思いました。

     愛、男女の性愛を、肯定的にとらえた歌です。
     肉体を、乳房を、筋肉を、直接的に、良いもの、喜びとして歌う言葉には、まぶしさがあります。作品が書かれた時代を思うと、彼女はかなり勇気のある表現者、本当のことを伝えようと願う先駆者だったように感じます。
     性愛を隠すもの、陰湿なもの、とばかり捉えることに対して、私もこの詩人と同じ年齢の頃、反発する思いを抱いていました。
     女性の乳房は、男性の筋肉は美しい。そのような思いを私は詩『ほら貝』をはじめとする作品に込めてきました。この詩人が海に思いを託したことにも、素直な共感を覚えます。
     海はいのちの母、抒情の母だからです。

     愛、性愛、肉体を、蔑まない、否定しない、肯定的に、大切なものとして、感じ、歌い、伝えたい。この願いは、若者の「生きたい」、「生きていきたい」という切実な思いと結びついています。
     若者が生きることに向きあい、死と生を強く意識する時が必ずあると思います、愛しあい、交わりあい、子どもを生み、育てていく、そのように生きることを受け入れ決意する時です。
     自分のからだを、他者のからだを、大切なものとして、愛し合う心の大きさのなかに溶かし込んで、生の方向へ、歩みだしてほしい、この詩を読んでそう、思います。


      歓喜の生るる処
              中田信子


    ふくれ上つた大地に
    脂肪の多い海に
    健康に燃ゆる二人の肉体に
    歓喜は翼を広げて跳ね上る

    おお愛する人よ、見よ
    豊饒な畑に
    鍬(くわ)を振る農夫! あなたの額に輝く汗の玉
    私が摘んだ果物の芳烈な匂
    私が掘つた太つた甘藷
    莢(さや)もはち切れそうな大豆小豆
    限りない喜は 二人が素足でふみしめた土より生れるのだ

    おお愛する人よ、更らに見よ
    緋ちりめんに輝く若い海は
    華やかな唄をうたつて
    二人の心を慰めてくれる
    青味走つて吹く風に
    あなたの船は軽く走つて私を離れ、私に近づく
    群れ重なつた魚は 跳ね上つて陽をのむ
    おお限りない喜は 板一枚が生死を分つ海より生れるのだ

    おお愛する人よ、更に更に見よ
    華やかな二人の肉体を
    含らんだ私の乳房
    はち切れさうなあなたの筋肉
    二人の心は太陽の様にもえてゐる

    陽は薔薇色に
    二人の愛を 健康を祝福してくれる
    二人は疲れた身体を静かに抱き合つて
    永遠の生命を歓喜してうたふ
    おお私たち二人の限りない幸福はそこから生れるのだ

    ふくれ上つた大地に
    脂肪の多い海に
    健康に燃ゆる二人の肉体に
    歓喜は翼を拡げて跳ね上る


    次回も、女性の詩人の詩に耳を澄ませます。

     ☆ お知らせ ☆
    『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

     イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

        こだまのこだま 動画
      
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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月19日

    武内利栄の詩。悲歌の、感動。

     約100年ほど前、明治時代からの詩を、女性の詩人の作品という視点でみつめなおしています。
    『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされた詩について、詩想を記しています。

     今回みつめる詩人は、武内利栄(たけうち・りえ、1901年明治34年~1958年昭和33年)です。

     個人誌「をみな」発行。上京「女人芸術」に参加。小説『山風の唄』『武内利栄作品集』(1990年)、童謡・童話など。この短い略歴から私は、この詩人の文学への志の強さと、やわらかな心のやさしさを思います。

     作品の末尾に(1945年8月下旬 疎開地にて)と記されています。日本の敗戦直後に、本土空襲から逃れた疎開地で生まれた、「汗のしずく」です。
     一読、心深く打たれました。悲しいけれど、この詩を感じとることができてよかったと思いました。

     詩は感動です。ひとの心にいちばん強く響く感動は、悲しみ、悲歌です。
     萩原朔太郎やポー、優れた抒情詩人が言っています。でも、古くからの世界の文学、詩歌、古くからの日本の歌謡、和歌、物語、詩歌そのものが、そのことを教えてくれます。源氏物語は、もののあわれ、ああと心にもれる声そのもの、平家物語もそうです。ひとの心にとって、変わらない真実だと私は思います。

     とても悲しい詩です。詩人の思いのゆれ動き、一言一言が、私の心に沁みこんでくる、悲しい詩、心の詩です。
    伝えたいと願わずにいられない、詩です。


      行水
              武内利栄


    百合の花がむぞうさに咲いている。
    なでしこ コスモス 千日紅なども
    咲きあふれる農家の庭へ
    古びた盥(たらい)をすえ、
    顔と両手に火傷したむすめに
    行水をつかわせる。

    このあいだまで
    小型機がうなりつづけた
    茨城の空も爽かにすみわたり、
    日立あたりへながれる雲が
    淡いかげを刷いてゆくばかり。

    くろずんだ盥に
    まんまんとたたえた湯へ
    腕のきかぬむすめをたすけいれる
    わたしの指さきのこのふるえ。

    肩から背へ
    背から腰へ
    あたたかい湯をそそげば、
    十七の少女のなめらかな肌は
    しゃぼんの泡をうかせて匂い
    ぬれたうぶ毛もほそぼそひかる。

    だが
    ぐるぐる巻かれた繃帯(ほうたい)の両手を
    木の切り株のようにされた両手を
    おずおずと虚空(くう)にうかせ、
    しょんぼりと盥に坐るむすめの
    かわりはてたこのすがたは。

    焼け焦げた皮膚に
    黄土のような薬をば
    ぶあつく塗られ
    かたちのくずれた顔を
    顔とも思えぬその顔をかたむけ、
    ものの音をきいているらしいむすめの
    かわりはてたこのすがたは。

    たんねんに垢をおとしてやりながら
    わたしはおもう
    一つのことを。
    野をわたる風のごとく
    たえずわたしの心に鳴りひびく
    ただ一つのことを。

    それにしても
    少しもおごらぬ
    この庭の花々たちよ。

    ひと眼をさけて
    むすめのからだをなでさすり
    洗いきよめるわたしの頬につたうこれは
    泪ではない。

    汗だ。
    そぼくにちぢんだ母の皮膚から
    しぼりだされる汗のしずくだ。


    次回も、女性の詩人の詩に耳を澄ませます。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月17日

    伊藤野枝の詩。若い感情を強く。

     約100年ほど前、明治時代からの詩を、女性の詩人の作品という視点でみつめなおしています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされた詩について、詩想を記しています。

     今回の詩人は、伊藤野枝 (いとう・のえ、1895年明治28年~1923年大正12年)です。
     この詩は、野枝が、平塚らいてうの婦人運動誌『青踏』の主幹を引き継いだ1912年大正元年の11月号で発表されています。17歳の若さです。
     彼女は28歳のとき関東大震災後の混乱期に、大杉栄とともに憲兵に虐殺されました。女性に参政権などない時代に置かれていたことを忘れてはならないと思います。短い生涯を激しく生き抜いた女性です。

    (女性の生き方、恋愛についての発言、著作は『伊藤野枝全集 上下』に収録され、インターネットの青空文庫でも読めます。)

     私がこの詩に惹きつけられるのは、真率な感情が吐露されているからです。
     詩の本来の裸の姿に感じる美しさです。若さと感情のゆれうごき。
     表現に幼さと拙さがあるにしても、それを欠点から美点へと変えてしまう、感情の強さをしぶきのように浴びます。
     今の若いミュージシャンの歌詞と響きあうもの、現代詩からは久しく失われている大切なものを感じます。

     海の渦巻く波のような揺り返す動き、潮騒が耳に聞こえてくるような、強い潮風の匂いを鼻腔に吸い込んでしまうような、この情景に包みこんでしまうような力があります。

     恋愛感情の波といってもいいかもしれません。愛に強く惹かれるからこそ、激しい孤独に晒される。感情の波間に裸で飛び込み泳ぎ抜こうとした女性の心の声、海鳥への語りかける声に心うたれます。

     作品の末尾に、――東の磯の渚にて ケエツブロウ=海鳥の名(方言ならん)、と記されています。


      東の渚
             伊藤野枝


    東の磯の離れ岩、
    その褐色の岩の背に、
    今日もとまったケエツブロウよ、
    何故にお前はそのように
    かなしい声してお泣きやる。

    お前のつれは何処へ去た
    お前の寝床はどこにある――
    もう日が暮れるよ――御覧、
    あの――あの沖のうすもやを、

    何時までお前は其処にいる。
    岩と岩との間の瀬戸の、
    あの渦をまく恐ろしい、
    その海の面をケエツブロウよ、
    いつまでお前はながめてる
    あれ――あのたよりなげな泣き声――
    海の声まであのように
    はやくかえれとしかっているに
    何時まで其処にいやる気か
    何がかなしいケエツブロウよ、
    もう日が暮れる――あれ波が――

    私の可愛いいケエツブロウよ、
    お前が去らぬで私もゆかぬ
    お前の心は私の心
    私もやはり泣いている、
    お前と一しょに此処にいる。

    ねえケエツブロウやいっその事に
    死んでおしまい! その岩の上で――
    お前が死ねば私も死ぬよ
    どうせ死ぬならケエツブロウよ
    かなしお前とあの渦巻へ――


    次回も、女性の詩人の詩に耳を澄ませます。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月16日

    久宗睦子さんの詩をHPで紹介しました。

     詩人・久宗睦子(ひさむね・むつこ)
    さんの詩を、私のホームページ「愛のうたの絵ほん」の「好きな詩・伝えたい花」で紹介しました。

      久宗睦子の詩「愛河」「月下香幻想」「水族館で」 (クリックでお読み頂けます)。
     
     私も、おとずれ、みつめ、香りにつつまれ、響きあえる想いに生きたい、と願います。


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  • Posted by 高畑耕治 at 20:28

    2012年10月16日

    久宗睦子の詩。言葉の華をたち昇らせて。

     今回は詩人・久宗睦子(ひさむね・むつこ、1929年生まれ)の詩をみつめます。出典は『新・日本現代詩文庫99 久宗睦子詩集』(2012年、土曜美術社出版販売)です。

     詩は、心に根付き咲く言葉の花です。思いは花の姿として再び生まれることで、薄められ忘れられることなく咲き続ける花となります。久宗さんの詩にはこのことを強く意識させる香りがあります。香りに包まれ、はっと気づく私がいます。

     詩誌『馬車』を長く主宰し現在も書き続けていらっしゃるこの詩人は、幅広く多様で豊かな主題と作風をおもちですので、読者の感性と心のありようで好きだと感じる作品はさまざまに異なると思います。久宗さんの心の花の表情すべてを書き記したいけれど難しいので、私がもっとも心うたれる、好きな花たちと、その香りが揺り起こしてくれた詩想を記します。

     私を惹きつけて離さない花たちからは、作者が多感な思春期に戦時下の台湾で、強く心に焼きつけられた記憶、思いが今なお香っています。

     過去の出来事を思い起こしとどめる方法には様々あって、たとえば客観視点で事実を捉えようとするルポルタージュという方法があります。また映画や小説は創作ですが、出来事を外から再構成するという点ではこれに通じるものがあります。
     一方で、もっとも直接的なのはその時その時間に書きつけられた日記です。そして時を経た後の回想録での叙述です。この本の何箇所かで『アンネの日記』のアンネ・フランクと同年の生まれであることに運命的なものを感じている作者がいます。

     日記を残し亡くなったアンネを想う詩人は、生き続けて、回想録という姿ではなく、詩の花の姿で咲かせました。
     昇華。
     かけがえのない時、けして忘れられない記憶、思いを、言葉でたち昇る華、いつまでも咲き続ける花の姿にしました。

     芸術家であるこの詩人は、時の流れ、現在と過去を重ね合わせ織りこみ作品に溶かし込みます。彼女の詩には、けして忘れられないその時と、今いる作者との心の交感が愛(かな)しく響いています。
     戦時、生と死がすぐ隣りあわせであったあの時、亡くなった人が、その時の姿のまま今、作品を通して生きている、語っている、会話してくれると、私は感じてしまいます。
     抱き合うように、慈しみ合うように、離れていた時間はひとつに交り合いながら、生の向こうに去ったひと、亡くなったけれども今も想いにいるひとへ、花を香らせています。
     静かな鎮魂の花

     惨すぎる過去の事実を主題としながら、作品がとても美しいのは、詩人がともに生きていたその人はいつまでも美しく生きていてほしい、そうでなければならないんだという願いそのものを花として香らせているからです。

     泥池に咲く蓮の花
     絶望に陥りそうなまなざしに射しこむ願いの光。
     私の詩は心の根っこにあるこの想いから芽生え花咲きます。
     この詩人の花が根付いている心は、私とつながっている、そう感じられる、だからこれらの美しい花のゆらめきを、みつめずにはいられない、みつめていたい、と私は願います。

     私のホームページ「愛のうたの絵ほん」の「好きな詩・伝えたい花」に、心から好きな美しい花が咲きました。

      久宗睦子の詩「愛河」「月下香幻想」「水族館で」 (クリックでお読み頂けます)。
     
     私も、おとずれ、みつめ、香りにつつまれ、響きあえる想いに生きたい、と願います。


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  • Posted by 高畑耕治 at 20:25

    2012年10月13日

    『現代生活語詩集2012 空と海と大地と』に参加しました。

     『現代生活語詩集2012 空と海と大地と』(全国生活語詩の会・編、2012年10月10日、竹林館)が発売されました。北海道から沖縄まで153名の詩人の作品が話しかけてくれます。
     
     私は大阪で生まれ育ちましたので「Ⅴ 関西」に参加しています。
     日本全国をひとり旅するように読み、心にやきつけたいと願っています。

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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月12日

    英美子の詩。あなたの母を念はないか。

     20世紀のはじめ近代詩が生まれた時代からの、女性の詩をみつめています。『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)から、好きな詩、考えたいテーマの光りを放っていると感じた詩について、私の詩想を記します。

     今回の詩人は英美子(はなぶさ・よしこ、1892年明治25年~1983年昭和58年)、この詩人とも初めて出会い、初めて作品を読みました。
     『美子恋愛詩集』(1932年昭和7年)というとても魅力的なタイトルの詩集に収録されていますが、この作品は女と男の関係を、鋭く問い訴えかける作品です。

     想いの強さが、詩句と詩行の強さと間の呼吸、リズムとそのままなっていて、自由口語詩が陥りがちな、抑揚のないのっぺりとした叙述とはちがう、詩の言葉として、心にとびこんできます。

     この詩を読んで私には次の想いが心に呼び起こされました。
     マスコミのニュースでは日常的に、政治家の失言が報道され後追いで取り消し、謝罪が繰り返されたりします。
    そのなかには、女性侮蔑、女性を物としか、肉体としか、家事と子育ての召使としか、見ることができない、感じることもできない、あぜんとさせられるものがひょっこり浮びあがります。あんまりひどい下劣な表現なので書く気になれません。
     私がその都度、思わずにいられないのは、英美子が明治時代に書いたこの作品の言葉そのものです。

     こんなことが言えるなんて、お前を生んでくれた女性であったお母さんは、どんなに悲しいだろう。
     お前を育ててくれた女性であったお母さんは、本当にかわいそう。
     お前は政治屋の看板をぶらさげる前に、人の子として失格、もう顔をさらすな。母を汚すな。
     
     作品は、私のこのような生の感情ではなく、自分の経験にろ過された心の言葉を深く静かにすくいあげた詩の言葉です。だからこそ、その問いかけには強く迫ってくる真実が響いています。


      砂塵を浴びながら
                  英美子


    松毬(まつかさ)で作られた
    雌鳥と雛(ひな)のコレクションを置いて
    その男は、去つて了つた。

    女性とは、雌鳥に過ぎない
    卵を孵化(かへ)し、ひなを育てる
    矮鶏(ちゃぼ)のめすに過ぎない! と。

    君よ、立止まれ
    実に、松毬は母を想ふまい
    だが、あなたは、あなたの母を念はないか。

    私は、
    さう! 雌鳥ほどにうつけ者だつた
    男らの言ふことを、いつも本気で聞いてゐた
    だが、信じる者と、偽る者と
    何れが、真の不幸者であるかは宿題だ。

    祈りを識る、めんどり
    切な希ひを有つ、めんどり
    いつも青空を凝視する
    太陽を思ふ
    恥を知る雌鳥は
    砂塵を浴びながら、ものを念ふ。


     「だが、あなたは、あなたの母を念はないか。」の問いかけは、いつまでも私の心を揺らし続けます。

     そして、最終連の詩句は、とても切実で、まっすぐで、強く、気高さを解き放つようです。
    「祈りを識る」、「切な希ひを有つ」、「いつも青空を凝視する」、「太陽を思ふ」、「恥を知る」、「ものを念ふ」女性は、「砂塵を浴びながら」も美しい。
    そのように、感じとらせてくれる、ひとりの女性の心から生み出された真実の言葉、この詩が私は好きです。

     次回も心に響く女性の詩をみつめます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月10日

    詩のアンソロジー集二冊に想ったこと

     立ち寄った図書館の棚に見つけた二冊の詩のアンソロジー集を読んでみました。
     一冊は、『ことばの流星群 *明治・大正・昭和の名詩集』(大岡信・編、2004年、集英社)。1984年日本ペンクラブ編の『愛の詩集 ことばよ花咲け』(集英社)を再編集したものだそうです。
     もう一冊は『心の詩集 文藝別冊』(2000年、河出書房新社)です。
     今回はこの二冊に感じたことを率直に綴ります。

    『ことばの流星群』。アカデミックな詩人が編んだアカデミックなアンソロジーですが、失望しました。
     戦前「明治・大正」「昭和Ⅰ」は、男性のエリート詩人しか見る視野と感性がない。
     後半、戦後「昭和Ⅱ」は読まないほうがいいと思いました。詩が嫌いになります。こんなアンソロジーを出すから、詩は誰からも相手にされなくなったのだと感じました。良い詩人もなかには選んでいるけれど、選ぶ作品が編者の嗜好に偏り悪い。
     明治、大正、昭和・Ⅰ(戦前)にはいい詩があるけれど。それ以後は言葉の瓦礫。
     頭がいい人たちが、幼稚に、遊んでいます。こんなの詩じゃないと感じる感性がまともです。詩の暗黒時代。
    忘れさられてほしいアンソロジーです。詩がほんとうに好きな人間には耐えがたい。
     この一冊だけだと私が詩が嫌いだと思われかねないので、バランスを保つようもう一冊の感想を加えました。

     『心の詩集』。面白く、楽しく読めました。アカデミックではない詩人、童謡、歌謡、ミュージシャンの歌詞までごっちゃにまぜこぜにしたおもちゃ箱のようです。
     名を知られた詩人に加え、金子みすゞ、まど・みちお、サトウハチロー、中島みゆき、忌野清志郎、井上陽水、喜納昌吉、尾崎豊、ビートたけしまで詰め込んでいます。

     このような編集になるのは、特に戦後生まれの世代の良い詩人の良い詩を編集者が見つけられない、知らないからだろう、上にあげたミュージシャンの歌詞のほうに言葉遊びの現代詩人より詩を感じているからだろう、と思いました。

     前者については、知られていない良い詩人がいて、良い詩が今もあることを、私は伝えていこうと思います。

     後者については次のように思います。
     私自身が、現代詩ではなく、ミュージシャンの歌に感受性、心を育まれました。私は、童謡や、ここにあげられたミュージシャンの歌が好きです。だからジャンルの境界線をつくって閉じこもるのはつまらないと思います。アカデミックな詩壇の詩人の詩、商業詩誌の楽屋仲間の詩の多くがつまらないのはその典型だと思っています。

     そのうえで、詩を書く一人として残念に思うのは、これらのミュージシャンの歌詞が、言葉の詩として選ばれより前面に編集されてしまう事実です。これらの歌詞はメロディーと声と演奏といったいの本来の全体の姿から、言葉だけはぎとられた仮の姿です。文字を読む読者に向けて書かれた言葉ではなく、声で歌い伝えようと創作されたものです。それでも、時代の心を伝える詩として歌詞が選ばれてしまうのは、言葉による詩を創作している詩人がいて言葉の詩があることが忘れられている、知られていない、相手にされていない事実をまざまざと見せられるようです。

     詩人が創作する詩は、本で読みとるとき、朗読で耳にするとき、(メロディーからはがされた)歌の歌詞では伝えることがとてもできないような、感動や美しさやメッセージを湛えていないと読者に差し出せないと、私は思っています。
     歌の歌詞よりもっともっと素朴で純な想いの響きであるか、歌の歌詞よりもっともっと広がりと深さと動きと果てしのない時間を湛えた言葉による豊かな世界、それが詩です。そのような世界を創作し伝えるのが詩人です。

     詩の暗黒時代はもう終わりにしたい。宇宙空間は圧倒的に闇だけれど、星は遍在し輝いています。星のひかり、詩を、私は伝えたい、二冊のアンソロジーを読んでその思いを強くしました。


     ☆ お知らせ ☆
    『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

     イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

        こだまのこだま 動画
      
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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月09日

    詩誌『たぶの木』創刊号を公開しました。

     私のホームページ『愛のうたの絵ほん』に、新しい詩誌『たぶの木』の創刊号を公開しました。
      
       詩誌『たぶのき』 創刊号 (漉林書房)
     

     漉林書房の詩人・田川紀久雄さんによる編集・発行で、手作りの小さな詩誌です。

     参加詩人は、田川紀久雄、坂井のぶ子、山下佳恵、高畑耕治です。

     作品を活字で読める喜びを感じます。ぜひご覧ください。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月08日

    大塚楠緒子の詩。女心に咎ありや。

     女性の詩人の作品をみつめています。今回からは近代詩(新体詩)が生れた明治にもう一度さかのぼってみます。中公文庫の『日本の詩歌』や筑摩書房の『現代詩集』にあまりにも女性の詩が欠けている偏りについて記しましたが、今回次の特集を読んで私のその感覚は間違っていないと感じました。

     今回からしばらくは『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録された作品を読みとっていきます。
     図書館で借りて読みましたが、とても優れた特集だと感じます。良い詩、心に響く詩がこんなにあったのに知らなかったと痛感しました。
     この特集は発行年時点でご存命の方は自薦の作品となっています。生年の早い方から掲載されていますので、私もその順に読み進めます。
     
     そのうえで、この特集にたまたま選ばれていないけれど良い詩人たちがいらっしゃることは忘れずに、他の出会いの機会を待ちたいと考えます。
     また、おそらくアンソロジーの性質上、制限行数を越える作品は対象から外されています。一作品だけで詩人の人間性と生きざま、作品の豊かな拡がりと深さ奥行きを知ることは無理です。私が取りあげられなかった詩人、作品にこそ共感する読者もいらっしゃると思います。

     詩人の多くの作品からたまたま選ばれた一作品が、私の感性に通いあう好みのもので心に響き、私が書きたいテーマを投げかけてくれるものだったという出会い、それは偶然であることを忘れず謙虚に、ただその出会いを伝えたいとの想いには素直に、書いていきます。
     

     初回は、大塚楠緒子(おおつか・くすおこ、1875年明治8年~1910年明治43年)の詩です。私はこの詩人を知らず作品も今回初めて読みました。
     「太陽」1905年明治38年1月第十一巻第一号に初出。日露戦争を背景にしています。
     この特集でもこの詩人の次に同じ戦争を背景にした与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」が掲載されています。(次のブログで書きました「戦争を厭う歌。『日本歌唱集』(五)」)。

      お百度詣
               大塚楠緒子


    ひとあし踏みて夫(つま)思ひ、
    ふたあし国を思へども、
    三足(あし)ふたゝび夫おもふ、
    女心に咎ありや。

    朝日に匂ふ日の本の、
    国は世界に唯一つ。
    妻と呼ばれて契りてし、
    人も此世に唯ひとり。

    かくて御国(みくに)と我夫(つま)と
    いづれ重しととはれなば
    たゞ答へずに泣かんのみ
    お百度まうであゝ咎ありや


     作品は近代詩の曙光といわれる島崎藤村の『若菜集』などと同じように、文語の七五調、音数律のリズム感の快さが散文ではない詩として感じとらせてくれます。
     私は、世間一般の論調が、戦争讃美の勇ましさを善と叫んでいる時代に、このような静かな心の真実を作品とした作者を尊敬します。
     晶子の詩のような強靭さとは違う問いかけ方をこの詩人はします、自問するように。
    女心に咎ありや。」
     国と愛する人を計りにかける、隠れキリスタンへの踏み絵のような問い詰めに対して、晶子のように真正面に反論する方法ではなく、この詩人のありのままの想いで抵抗します。
    たゞ答へずに泣かんのみ

     私は、人間には真理は示せないけれど、心の真実をふるわせ伝えようとすることはできる、それが詩だと思います。
     晶子と楠緒子は、それぞれの個性のふるえだす形で、偽りのない心の真実を歌っているから、表情はちがうそれぞれの詩が、心を打つのだと思います。この詩に出会えてよかった、そう感じます。

     次回も、心に響く女性の詩人の詩をみつめます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月06日

    茨木のり子の詩(二)。感受性の海の真珠

     今回も詩人・茨木のり子の詩を、茨木のり子詩集『落ちこぼれ』を通して見つめます。
     彼女の詩の、子ども心につながる感性と、戦争・時代への眼差しの深さを前回記しました。

     もうひとつ、彼女の詩をとても個性的に輝かせているのは、心を直撃する言葉のメッセージが響いていることです。
     私は、詩という文学形式の魅力は、作品全体で大きく心を包むように伝えるものと、詩句一言・詩行一行で鋭く時めかせ突き刺すもの、この二つにあると考えています。
     茨木のり子の言葉のメッセージは、この後者のとても優れた結晶だと感じます。
     つぎの良く知られた詩には、この良さが光り、心に射し込み、跳ね散らばった粒子はいつまでも心から消えません。

    初出は詩集『自分の感受性くらい』(花神社)です。

      自分の感受性くらい
            茨木のり子


    ぱさぱさに乾(かわ)いてゆく心を
    ひとのせいにはするな
    みずから水やりを怠(おこ)たっておいて

    気難かしくなってきたのを
    友人のせいにはするな
    しなやかさを失ったのはどちらなのか

    苛立(いらだ)つのを
    近親のせいにはするな
    なにもかも下手だったのはわたくし

    初心消えかかるのを
    暮しのせいにはするな
    そもそもが ひよわな志にすぎなかった

    駄目(だめ)なことの一切を
    時代のせいにはするな
    わずかに光る尊厳の放棄(ほうき)。

    自分の感受性くらい
    自分で守れ
    ばかものよ


     直接的なメッセージは、鋭い光であるだけに、光を感じとれない無機物にはまったく意味をなさないものです。 詩は感受性の繊細なふるえ合いですが、感受性が干からび捨て凝り固まった震えを拒むものには、なにも伝わりません。
     小説は大きな散文の塊を少なくとも読み終えれば何かしらを投げかけうる文学形式であるのに比べて、詩は受け手の心のやわらかさで共鳴の大きさは無から無限までの幅をもちます。

     茨木のり子の言葉のメッセージは、感受性ゆたかな読み手には、無限が顔をのぞかせている青空のような美しさが響いています。
     彼女の個性的な詩作品たちのいたるところで、まぶしく光る言葉たち。私に心に射し込んだ光は、ときめきとなって次のように輝いています。

     詩「もっと強く」9連「女がほしければ奪うのもいいのだ/男がほしければ奪うのもいいのだ」
     詩「落ちこぼれ」最終連「落ちこぼれ/ 華々しい意志であれ」
     詩「みずうみ」6連「教養や学歴とはなんの関係もないらしい/人間の魅力とは/たぶんその湖のあたりから/発する霧(きり)だ」
     詩「汲む ―Y・Yに―」4連「すべてのいい仕事の核(かく)には/震(ふる)える弱いアンテナが隠されている きっと……」
     詩「この失敗にもかかわらず」4連「この失敗にもかかわらず/私もまた生きてゆかねばならない/なぜかは知らず/生きている以上 生きものの味方をして」

     忘れてならないのは、直接的な言葉のメッセージが、どのように生まれてきて響きだしているか、そのことによる違いです。茨木のり子の心うつ詩句のメッセージには必ず、彼女自身の心への自問の響きが重なって聞こえています。自分の心の底ふかくに見つけた言葉、心の海にみつけた真珠、だからまず彼女自身にとって大切な、かけがえのないものです。
     それをそっと伝えてくれるから、受けとるものも自分の心の底深く、知らなかった、見失っていた真珠を、見つける喜びをしることができるのだと、私は思います。
     茨木のり子は、詩句に光らせる厳しい言葉も、まず彼女自身に問い言い聞かせています。そうすることで彼女が見つけたものを、伝えようと差し出しています。

     彼女の周りで声高に叫ばれている考え方や思潮、世相や流行の主張、教えられた学問は、詩のメッセージではありません。心の海にぬれていないからです。感受性ゆたかなやわらかな心、詩を好きなひとには、それが心の
    真珠かどうかはすぐわかります。

     初出は詩集『倚(よ)りかからず』(筑摩書房)です。

      倚(よ)りかからず
            茨木のり子


    もはや
    できあいの思想には倚りかかりたくない
    もはや
    できあいの宗教には倚りかかりたくない
    もはや
    できあいの学問には倚りかかりたくない
    もはや
    いかなる権威(けんい)にも倚りかかりたくない
    ながく生きて
    心底学んだのはそれくらい

    じぶんの耳目
    じぶんの二本足のみで立っていて
    なに不都合のことやある

    倚りかかるとすれば
    それは
    椅子(いす)の背もたれだけ


     今回は最後に、私が詩の出発点で自分に言い聞かせ、心を痛め散乱させ、そのかけらをひろいあげた詩句を木魂させます。若いむき出しの硬く拙い表現ですが、伝えたかったものには、この優れた女性詩人の心と響きあうものを今も感じました。

      詩「鎮魂歌」(高畑耕治詩集『死と生の交わり』所収)。

     次回も、女性の詩人の詩を感じ取りたいと思います。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月04日

    茨木のり子の詩(一)。あたしも強くなろうっと!

     今回と次回は、茨木 のり子(いばらぎ のりこ、1926年 - 2006年)を感じ取り、詩想を記します。彼女の詩を読むにあたって、茨木のり子詩集『落ちこぼれ』(水内喜久雄選・著、はたこうしろう絵、2004年、理論社)を選びました。やさしい挿絵が添えられている手触り良い本が、個性豊かな詩人の世界へ道案内してくれました。

     本のあとがきに「私、解釈(かいしゃく)を加えないと判らないような詩は書いていないつもりです」という詩人の言葉が引用されていますが、まさにその通り、どの作品も直接読者の心に飛び込んくる思いがしました。素晴らしいことだと思います。

     「わたしが一番きれいだったとき」は、代表作にあげられる有名な詩ですが、とても心によく響きました。ほかにも、つぎのような子ども心が輝いている詩を、私は好きだなと感じました。
     たとえば詩「女の子のマーチ」最終連「あたしも強くなろうっと!」。
     また詩「癖」は、いじめっことの心の交流の機微が伝わってきて、思いが深まります。

     初出は詩集『見えない配達夫』(飯塚書店)です。

      わたしが一番きれいだったとき
            茨木のり子


    わたしが一番きれいだったとき
    街々はがらがらくずれていって
    とんでもないところから
    青空なんかが見えたりした

    わたしが一番きれいだったとき
    まわりの人達が沢山(たくさん)死んだ
    工場で 海で 名もない島で
    わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

    わたしが一番きれいだったとき
    誰もやさしい贈物(おくりもの)を捧げてはくれなかった
    男たちは挙手の礼しか知らなくて
    きれいな眼差(まなざし)だけを残し皆(みな)発っていった

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしの頭はからっぽで
    わたしの心はかたくなで
    手足ばかりが栗色(くりいろ)に光った

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしの国は戦争で負けた
    そんな馬鹿(ばか)なことってあるものか
    ブラウスの腕(うで)をまくり卑屈(ひくつ)な町をのし歩いた

    わたしが一番きれいだったとき
    ラジオからはジャズが溢(あふ)れた
    禁煙(きんえん)を破ったときのようにくらくらしながら
    わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

    わたしが一番きれいだったとき
    わたしはとてもふしあわせ
    わたしはとてもとんちんかん
    わたしはめっぽうさびしかった

    だから決めた できれば長生きすることに
    年とってから凄(すご)く美しい絵を描(えが)いた
    フランスのルオー爺(じい)さんのように
                      ね

     彼女が生きた戦争と戦後の時代をみつめていますが、最終連に特徴的な、負けない明るさと心の芯の強さが読むものを力づけてくれる、この詩人の優れた個性だと感じます。

     より直接的に戦争を見つめる詩にも心の底から考えさせられるような、確かさが詩句にあると感じます。
     詩「木の実」4連「もし それが わたしだったら……」や、詩「総督府へ行ってくる」の「日本がしてきたことを/そこに見た」は、強く心に残ります。
     なぜだろうか?
     私は、茨木のり子が人の心を、とても深く感じとれるから、よく知っているから、明るいところも暗いところも、輝きも闇も、ほほえみ、喜び、おかしみ、かなしみ、いろんな表情を、どれも拒まず受け入れ、大切に抱いて生きようと思っているからだと感じます。

     次の詩も戦争の影がおおうなかでも、あらわれでるひとの心、心から心への呼びかけあい、手をつなごうとする思いが沁み、透きとおっています。「静かに髪(かみ)をなでていたい」、この言葉に込められているもの、響いてくるもの。
     とても好きな詩です。

     初出は詩集『対話』(不知火社)です。

      知らないことが
            茨木のり子


    大学の階段教室で
    ひとりの学生が口をひらく
    ぱくりぱくりと鰐(わに)のようにひらく
    意志とはなんのかかわりもなく

    戦場である恐怖(きょうふ)に出会ってから
    この発作ははじまったのだ
    電車のなかでも
    銀杏(いちょう)の下でも
    ところかまわず目をさます
    錐体外路系統(すいたいがいろけいとう)の疾患(しっかん)

    学生は恥じてうつむき目を掩(おお)う
    しかし 年若い友らにまじり
    学ぶ姿勢をいささかも崩(くず)そうとはしない

    ひとりの青年を切りさいてすぎたもの
    それはどんな恐怖であったのか
    ひとりの青年を起きあがらせたもの
    それはどんな敬虔(けいけん)な願いであったのか

    彼(かれ)がうっすらと口をあけ
    ささやかな眠りにはいったとき
    できることなら ああそっと
    彼の夢の中にしのびこんで
    少し生意気な姉のように
    “あなたを知らないでいてごめんなさい”と
    静かに髪(かみ)をなでていたい

    精密な受信器はふえてゆくばかりなのに
    世界のできごとは一日でわかるのに
    “知らないことが多すぎる”と
    あなただけには告げてみたい。


      今回この詩に出会ってすぐ好きになったのは、知らないところで私の心から生れたつぎの作品と不思議に通い合うものを感じたからです。
       詩「青い空のあの白い」(高畑耕治HP・新しい詩)

     次回も茨木のり子の横顔を、少しちがう位置から見つめたいと思います。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年10月02日

    石垣りんの詩。不出来な絵、不出来な詩が好き。

     女性の詩人と詩をゆっくり読み進めてゆきます。
     今回は石垣りん(いしがきりん、1920年-2004年)です。
     ようやく読み終えた『現代日本文学大系93 現代詩集』(1973年、筑摩書房)は代表的な現代詩人の詩集が収録されていますが、女性の詩人は石垣りん、ただひとり、詩集『表札など』だけです。
     このことが彼女の作品についての詩壇的な評価のありかを教えてくれます。わたしは良く知られた詩「シジミ」だけしか読んだことがありませんでしたが、今回『石垣りん詩集』(1998年、ハルキ文庫。底本『石垣りん文庫』花神社)も読みました。

     率直な感想を記すと、私は第一詩集の『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』の収録詩が好きで、それ以降の『表札など』の作品より良い詩だと思います。現代詩として評価されたのは、それだけ詩歌としての本来のゆたかさをそぎ落とした結果だとも感じるからです。
     表現は知的に研ぎ澄まされ構築されていますが、失ったもののほうが大きいと感じるのは、私が現代詩の良い読者ではないからだとも思います。

     詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』には、共感してしまう、心うたれる、次のような詩と詩句があります。彼女は、戦争という時代と、戦前の「家」で女性が押付けられていた過酷な立場を、幼児から青春期にまともに浴びて、女ひとり働き家族をささえ戦後も耐えて生き抜いた人です。その肉声がこの詩集のたとえばつぎのような言葉にとても強く響いています。
    詩「屋根」の2連「その屋根の低さが/私の背中にのしかかる。」、
    詩「貧乏」の最終連1行目「このやりきれない記憶が」、
    詩「夫婦」の7連目「夫婦というものの/ああ、何と顔をそむけたくなるうとましさ/愛というものの/なんと、たとえようもない醜悪さ」、
    詩「私はこの頃」の3連「これはいのちあるものの/やがては滅びゆくものに与えられたいのちの真っ盛り」、
    詩「その夜」の4連「ああ疲れた/ほんとうに疲れた」


     この詩集には、「不出来な絵」という詩があって、たぶん現代詩としては評価されにくい、巧くない下手だと評される作品だと思います。
     でも私は彼女がなぜ詩を書いたか、何を詩にこめたか、が伝わってくる良い詩だと思います。詩人には評価されなかっただろうけれど、彼女がこの詩を捨てずに詩集に残したのは、詩人としての初心が描かれていてふかい愛着があったのだろうと感じます。


      不出来な絵
            石垣りん


    この絵を貴方(あなた)にさしあげます

    下手ですが
    心をこめて描きました

    向こうに見える一本の道
    あそこに
    私の思いが通っております。

    その向こうに展(ひら)けた空
    うす紫とバラ色の
    あれは私の見た空、美しい空

    それらをささえる湖と
    湖につき出た青い岬
    すべて私が見、心に抱き
    そして愛した風景

    あまりに不出来なこの絵を
    はずかしいと思えばとても上げられない
    けれど貴方は欲しい、と言われる

    下手だからいやですと
    言い張ってみたものの
    そんな依怙地(いこぢ)さを通してきたのが
    いま迄の私であったように
    ふと、思われ
    それでさしあげる気になりました

    そうです
    下手だからみっともないという
    それは世間体
    遠慮や見得(みえ)のまじり合い
    そのかげで
    私はひそかに
    でも愛している
    自分が描いた
    その対象になったものを
    ことごとく愛している
    と、きっぱり思っているのです

    これもどうやら
    私の過去を思わせる
    この絵の風景に日暮れがやってきても
    この絵の風景に冬がきて
    木々が裸になったとしても
    ああ、愛している
    まだ愛している
    と、思うのです
    それだけ、それっきり

    不出来な私の過去のように
    下手ですが精一ぱい
    心をこめて描きました。


     現代詩壇に評価された詩集『表札など』の詩からは、第一詩集のこの詩ような感性と心を吐露するような詩は姿を消しています。知性と批評性の鋭敏さが前面に出て、また言葉を削り、行間で語らせる、複数の解釈を可能とする暗喩を混ぜた現代詩らしい作品群です。一読者としての私にとっては、こころ打たれる詩ではないので、あまり好きではありません。
     ただ、次の詩は第一詩集にこめたものを、一篇の詩に凝縮し、昇華したような、厳しく言葉を選んだ美しさがあります。表現の仕方は変わっても、やはり、生き抜いた人間だけが語れるものが光っています。
     この詩人の生きざまをとおしてこの詩人だからこそ書けた、強く心に響き心に残る良い詩だと思います。

      くらし
            石垣りん


    食わずには生きてゆけない。
    メシを
    野菜を
    肉を
    空気を
    光を
    水を
    親を
    きょうだいを
    師を
    金もこころも
    食わずには生きてこれなかった。
    ふくれた腹をかかえ
    口をぬぐえば
    台所に散らばっている
    にんじんのしっぽ
    鳥の骨
    父のはらわた
    四十の日暮れ
    私の目にはじめてあふれる獣(けもの)の涙。


     次回も、女性の詩人と詩を見つめます。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05