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高畑耕治
高畑耕治

2012年11月30日

吉原幸子の詩。純真な抒情、願いを込めて。

 近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしています。
 『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされる詩について、詩想を記しています。

 今回の詩人は、吉原幸子(1932年昭和7年~2002年平成4年)です。詩集には『幼年連祷』『オンディーヌ』『昼顔』『発光』などがあります。

 彼女は『特集●20世紀女性詩選』の編集発行人の一人ですが、ここで自選している作品よりも、私が好きな詩2編を見つめることにしました。
 出典は『現代日本 女性詩人85』(高橋順子編著、2005年、新書館)です。(この本も『特集●20世紀女性詩選』を参考にして編著者が詩人を選び詩を鑑賞しています。影響を受けずに私独自の感性と考えで詩人と詩を選び伝えたかったので、自分が選び書いた後に読んでみました。私との違いを感じつつ、また共感するところもありました。良い本だと思います。)

 まず、1986年の詩集『樹たち 猫たち こどもたち』の収録された作品です。
 歌唱の歌詞として作られたので、詩句は長くはなく、繰り返し(リフレイン)を多用していて、一連と二連には対句で詩想を展開し変化させています。歌詞らしく形が整っていて、とてもシンプルで、リズミカルです。

 ほたるをみつめ、ほたるに寄り添い、ほたるの気持ち、ほたるになって歌う詩人の詩句には、感性のひかり、やわらかさ、優しい詩情が織りこめられていて、素朴で純真な抒情がとてもいいなと感じる、好きな詩です。


  ほたる
          吉原幸子


ホタルは 青い流れ星
空から落ちた 流れ星
(だからホタルは)
もういちど空へかえろうと
あんなにはげしく とぶのです
けれども空は
(けれども空は)
あんまり高くて とどかない

ホタルは 青い流れ星
空から落ちた 流れ星
(だからホタルは)
水にうつった星かげを
あんなに 恋しがるのです
けれども水は
(けれども水は)
あんまり深くて もぐれない

そうしていまは
ホタルは 草の葉の涙
ホタルは 草の葉の涙


 もう一篇は、1995年の詩集『発光』の収録作品です。
 言葉による、言葉の音楽の詩です。ひらがなの音とやわらかな形が、歌われている詩情とよく溶け合っています。
 この詩人の心のやわらかさと優しさが、美しく響いていて、情景も鮮明に浮かび上がってきます。

 一連、二連ともに、最後の二行に思いと願いの高まりが咲いていて、矛盾し合っているようでありながら、心というものを露わにしていて、ほんとうだな、そうだなと感じます。
 祈りに近い調べが心に響き沁みてゆく、いい詩だと思います。


  むじゅん
         吉原幸子


とほいゆきやまがゆふひにあかくそまる
きよいかはぎしのどのいしにもののとりがぢっととまって
をさなごがふたりすんだそぷらのでうたってゐる
わたしはまもなくしんでゆくのに
せかいがこんなにうつくしくては こまる

  *

とほいよぞらにしゅうまつのはなびがさく
やはらかいこどもののどにいしのはへんがつきささる
くろいうみにくろいゆきがふる
わたしはまもなくしんでゆくのに
みらいがうつくしくなくては こまる!

 『ラ・メール』そして『特集●20世紀女性詩選』という、本当に詩を愛し、女性の良い詩を伝えようとする、貴重なお仕事をされたことに、私は敬愛の思いを抱きます。

 次回は、これらの仕事のもう一人の編集発行人の詩人の歌に心の耳を澄ませます。

 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月28日

    山本かずこの詩。愛と性と美。裸身の問い。

     近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされる詩について、詩想を記しています。

     今回の詩人は、山本かずこ(やまもと・かずこ、1952年昭和27年生まれ)です。
     略歴には、詩集『渡月橋まで』(1982年)『西片日記』(1983年)『最も美しい夏』(1984年)『愛の力』(1985年)『ストーリー』(1987年)『リバーサイドホテル』(1989年)『愛人』(1990年)『失楽園』(1991年)などと記されています。
     出会う機会のこれまでなかった詩人でしたが、これを見ただけでもこの詩人の旺盛な創作力と情熱、そして一貫する主題「愛と性と美」への拘りの強さが感じとれて、私は共感を覚えます。

     次の詩は、1992年の詩集『愛の行為』のタイトル作品です。詩の末尾の中期にあるとおり画家エゴン・シーレの同名の絵をモチーフに、詩の言葉の流れに、シーレの絵が浮かび沈み見え隠れする思いがします。(この絵はインターネットで検索して見ることもできます。彼の絵について、早大の絵画論の講義で坂崎乙郎が、シーレの絵、デッサンの曲線は本当の技術がないと生みだせない描けない線だと繰り返し強調していたことが心に焼きついています。)

     同名のシーレの絵の強いメッセージをこの詩ほど感じとらせてくれるものはない、逆にこの詩のメッセージをシーレの絵ほど感じとらせてくれるものはない、絵があり詩が呼び覚まされたという時間の順序には関係のない、絵と詩の木魂、呼び合うものを、強く私は感じました。まるで描かれている抱き交わり合う男女そのもののように。

     この詩が性の交わりという一般的には隠される恥じらいとされる行為を描き、快楽、という言葉も使っていながら、卑猥でも下劣でもなく美しいと感じさせずにいないのは、性と愛と生と死を切りはなせないもの、生きているということを露わに直視させるものと、感受性全体で受け止めているからです。

     神という言葉、死という言葉も、作品の中に浮くことなく、問いとして、織りなされています。なぜ生きているのか? なぜ愛さずにいられないのか? なぜ身体を求めあわずにはいられないのか?
     この問いの強さが、頭の中の論理のように干乾びたものではなく、生身の肉体の重みをたたえて創り上げられているのは、優れた女性の詩人だからこそだとも感じます。

     ここには女の眼、女の眼が見ている、男には畏怖をおぼえさせる、肉体の子宮の血の世界感覚があります。
     妊娠してもいい、という言葉の繰り返しの強さが、最終行のさらに強い死への思いへと凝縮し、いのちの裸の姿、人間を照らし出し浮かび上がらせていて、美しいと、私は感じます。


      愛の行為
                  山本かずこ


     川のそばのホテルには 人の気配はなく 部屋があたたまるまで 私たちは洋服を着たまま抱きあっていた
     冬がくれば はっきりと見えることもあるのね 山のぜんたいのなかで たとえばじょうりょくじゅの位置など みどりはみどりのままだったわ
     好きという言葉以外にも きょうの私は じょうりょくじゅという言葉 みどりという言葉を発した
     だれもいないはずのホテルの部屋なのに あなたと私とを強くみつめている視線を感じる瞬間がある(神の視線といってもいいのかもしれない)
     愛の行為の最中に ふたりで同じ方向を(神の方向を)見ている(みつめかえしている)絵を思い出すこともあるのよ 覚醒した 意志をもった四つの眼球
     快楽のためになら
     (私は
     (きょう
     (妊娠してもいいと思っている
     はじらいもなく ともに裸であるということを さかのぼっていく 季節のはじまりが春だったとはかぎらないが 目を閉じれば 満開の 再びの 桜の季節につながっていてほしい けれど 快楽のためになら
     (私は
     (きょう
     (妊娠してもいいと思っている
     (私は
     (きょう
     (死んでもいいと思っている

       *「愛の行為」 エゴン・シーレの絵

     次回も女性の詩人の歌声に、心の耳を澄ませます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月26日

    立原えりかの詩。好き、愛してる。

      近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされる詩について、詩想を記しています。

     今回の詩人は、立原えりか(たちはら・えりか、1937年昭和12年生まれ)です。
     略歴には、童話作家、『いそがしい日の子守唄』『夢のなかのマリオに』、詩集『あなたが好き』と記されています。

     1991年の詩集『あなたが好き』の収録作品ですが、童話作家らしい、とても素直な心の詩です。
     好きという思いをあふれるままに言葉にしている、朗らかな純心さがやさしく、私はいいなと感じます。

     こんなストレートな心に響く表現、これこそ詩なのに、詩と認めたがらない、気難しい頭でっかちの現代詩人たちがいますが、つまらないことだし、心と感性を失っています。
     感動した心と、伝えたい思いのない、息づいていない言葉は、どんなに立派そうにみえてもガラクタでしかありません。童謡をいいと感じる心を失った物、ラブレターの情熱とときめきをわからなくなった物に、詩を語る資格はありません。

     だからこの詩人とこの作品を『20世紀女性詩選』におさめた編者の新川和江と吉原幸子は、流行や無責任な評判や権威などに関係なく、自分の心で、本当に好きな詩、良いと感じた詩、伝えたい女性の詩を選んでいると感じて素晴らしいなと思いました。

     よけいな回り道をしましたが、好き、好きと思いを限りなくならべ繰り返せる情熱がラブレターだけれど、この詩は作品として、最後の2行でその思いを高め美しい結晶にしています。

     「好き」という言葉と、「愛してる」という言葉ほど、心を揺りうごかす詩をいっぱいに含みこんでいる言葉はありません。

     誰もがいつも、ひそかに思ったり、伝えあっている大切な言葉、それがここにそっと詩句として置かれたことでなおさら輝きをましている、そう感じられるから詩は生まれて、読まれるのだと、私は思います。


      あなたが好き
               立原えりか
              

    あなたが好き
    生きてるから好き
    笑ってるから好き
    くすぐったがりやだから好き
    くいしんぼうだから好き
    ねごと言うから好き
    わがままだから好き
    わたしより大きいから好き
    うそがへただから好き
    つめがきれいだから好き
    いっしょうけんめいだから好き
    愛してくれるから好き
    愛してるから好き


     次回も女性の詩人の歌声に、心の耳を澄ませます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月24日

    滝いく子の詩。少女の眼を焼いた映像。

     近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされる詩について、詩想を記しています。

     今回の詩人は、滝いく子(たき・いくこ、1934年昭和9年生まれ)です。
     履歴には、詩集『娘よおまえの友だちが』『あなたがおおきくなったとき』『金色の蝶』『今日という日は』、ほかに評伝、エッセイなど、と記されています。

     1989年の詩集『今日という日は』の収録作品です。
     同じタイトルの征矢泰子のひらがなの詩を、前々回紹介しました。「征矢泰子の詩(一)。かぎりなくすきとおった、詩」。
     今回の滝いく子の作品は、タイトルは同じでありながら、まったく違う表現、けれどもどこかで通い合い響き合っていると感じさせる詩です。それこそ、詩という文学表現の豊かさ、だと私は思います。

     通いあっているもの、それは人間性、人間味ある感情をもっとも湛えているもの、なみだ、です。人間である限り、本当の野獣に堕してしまわない限り、世界中で通じる心の言葉、ひかりです。
     
     そのひかりの真実を伝えるための表現の仕方はまったく対象的です。
     征矢泰子は、こころの中のひだのふるえに沿うように一音一音ことばを拾いあげました。

     滝いく子は、この詩で、こころの中は書きません。こころも書きません。起こった出来事と母の行為と姿を、少女の眼で、そのまま映しとります。映像のように。
     とても、こわく、痛く、悲しい、出来事。そういう事実があったと、伝えるために。
     そのとき、一人の人間が、失われた幼い子の命と心を思いやり、あふれ、こぼれ、死んだ子の頬を濡らしたなみだがあったこと。

     この表現を選んだ詩人は、このことを感情を交えずに書くことが、きっと、人間である限り失われない心に響く、響き伝わる、そう信じ、願い、祈っていいます。
     私の心には響き、伝わり、心うたれました。通い合う涙がふるえだすのを感じたのは私だけではないと、私もまた信じ、願い、祈る一人の人間です。


      なみだ
                滝いく子


    あの日 わたしは
    炎天の満洲を歩いていた
    ボロボロの敗戦難民となってゆれながら
    ひもじさと恐れと疲れにもうろうとして
    眼の前も
    そうして 明日も見えなかったが
    ともかく 生きて 歩いていた
    赤い土ぼこりがひくく舞う足もとに
    ポツ ポツ と
    もう立ちあがれない人たちがしゃがみこみ
    無表情に 過ぎていく群を見送っていた
    みんな 黙っていた

    小さな草むらがあった
    かくれるように そこに おさなごがいた
    服も下着も奪われた姿で
    死んで
    全身が濃い灰色になっていた
    母とわたしは 草をむしっておさなごにかけた
    女の子ね、と母がいった
    こわかったろうに!
    見つめる母のなみだが 女の子の顔にこぼれおち
    女の子はまるで泣いているように
    わたしの母のなみだを頬に伝わらせて
    戦乱の満洲の炎天下にひとりぼっち
    黒ずんで横たわっていた


     次回も女性の詩人の歌声に、心の耳を澄ませます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月22日

    征矢泰子の詩(二)。はなのようだ。娘に。

     近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしています。
     前回に続き、詩人は征矢泰子(そや・やすこ、1934年昭和9年~1992年平成4年)の詩を見つめます。出典は『女たちの名詩集』(新川和江編、1992年新装版、思潮社)です。

     今回の2篇、詩「娘に」と詩「しるし」は、母親が娘を思いやる作品です。
     ひらがなは、生まれた当初から「おんなもじ」と呼ばれたように、女性の身体のやわらかでしなやかな曲線の美しさと結びついています。
     同時に、心の表情のやわらかな変化、機微、陰影の表現、心の歌、抒情を波うたせる言葉に、もっとも合っています。

     詩「娘に」は、思春期の少女から大人へなりつつある女性の初々しい花そのままの美しさとあやうさを捉え響かせていて、とても素晴らしいと思います。
     繰り返される「はなのようだ」という言葉、母親としても愛情と女性としての若さへの羨望も溶け合っているような、裸の心の美しさを、感じとらせてくれます。
     心のひだの表現というのは、このような詩句にこそふさわしい、そしてこの詩句の細やかさにはひらがなこそ、ふさわしい、そう思います。
     このように感じ言葉にできるこの詩人の感性が私はとても好きです。


      娘に
             征矢泰子


    ここからみると
    おまえはひとくきのはなのようだ
    そだつことにひとかけらのうたがいもなく
    ときどきはこっそり せのびさえしたくせに
    いまさら
    ふくらみはじめたわれとわがはなびらに
    とまどってじれている
    あまのじゃくなひとくきのはなのようだ
    いつしかうしろふりむくことをしって
    もういちど すべてのはじまるあのひとつぶのたねに
    もどってみたくていらだっている
    おまえはここからみると
    あめのなかでゆれている
    とほうにくれたういういしい
    ひとくきのはなのようだ
    さくことへのふくらみのうつくしさが
    まるでざんこくなばつのようにさえみえるほど
    まあたらしいひとくきの
    はなのようだ


     次の詩「しるし」は、より母親としてのまなざしと思いが深まり、娘の身体の大人の女性への成長をより近くでみつめている詩です。詩句も「はなびら」へとより細やかな性の成長にまでふみこんで思いやっています。
     美しいと同時に、女性にしか書けない、娘をもつ母親にしか書けない詩、そう感じます。でもそれ以上にこの詩人だからこそ書けた詩、このやわらかで繊細なこころと感性の詩人にしか書けない詩、と言えます。


      しるし
             征矢泰子


    ふいうちにとまどってうろたえたのは
    ははおやのほうだった
    ひらくにはまだかたすぎると
    ひとりぎめしていたうかつさ
    むしんなこころをしりめに
    そだっていくからだのおもたさを
    おもいやってかなしかったのは
    ははおやのほうだった
    なぜかむりじいに
    こじあけられたようなようしゃなさに
    うっすらとちをにじませてやっとひらいた
    ひよわいはなびらのことなど
    とうのほんにんにはみえもしなくて
    ふりかえったおもいのなかであしすくわれて
    むねゆすぶられているのは
    ははおやのほう だった
    おまえはもとのまま
    すみわたってあっけらかんと
    みつめるははおやのしせんがまぶしくて
    わらいながらにげていく


     このような心やさしいの抒情詩人の美しい作品がすぐ近くで咲いていたこと、咲いていると知ったことが、私はとても嬉しいです。

     次回も女性の詩人の歌声に、心の耳を澄ませます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月20日

    征矢泰子の詩(一)。かぎりなくすきとおった、詩。

     近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされる詩について、詩想を記しています。

     今回の詩人は征矢泰子(そや・やすこ、1934年昭和9年~1992年平成4年)です。
     略歴には、詩集『砂時計』『てのひら』『綱引き』『すこしゆっくり』『人のかたち・花のかたち』、ほかに童話、翻訳など、と記されています。

    『女性詩選』の一篇より私は『女たちの名詩集』(新川和江編、1992年新装版、思潮社)に採録されている詩に、強く惹かれるものを感じました。今まで知らず、初めて読んだ、私の両親の世代の詩人です。
     童話も書いているので、私と心の波長、心の色合いが似通っているのかもしれません。とても良いと感じた詩を、3篇、二回に分けてみつめます。

     いずれも、ひらがなだけの詩です。ひらがなの詩は、字体、字のかたちが曲線で柔らかなこと、初めにならう日本語だから幼さ・小学校のイメージと結ばれていること、一音一音を表音文字として音をひろうので、歌のように耳の意識が高まること、漢語のような概念の固まりを構築する論理から遠いこと、和歌と女性(おんなもじ)を思い起こさせ、心の抒情、愛情、祈りが匂うことなど、特徴がはっきりしています。
     だからこそ、詩人、書き手によって、まず好き嫌いがはっきりあります。そして創ろうと願う作品の詩想にふさわしいかどうかという、選択があります。
     そのうえで、内容が何もなくも、その特徴の強さで何となく良く見せてしまう魔力もあります。逆に良いように見えたけれど読んでみたら、つまらなかった、という罠もはらんでいます。

     この詩人の3篇は、ひらがなの特徴をとても生かしていて、またその特徴に生かされていて、素晴らしいと思いました。
     詩「なみだ」は、涙の流れる水性の動き、自由に姿かたちを変える柔らかさを詩想としているので、ひらがなととても調和しています。
     詩人が語りかける声、心を自分をみつめるまなざし、透きとおった澄みきったものへの願いも、美しく響いていて私はとても好きです。


      なみだ
                 征矢泰子


    なみだよなみだ
    わたしのもっているもののなかでたったひとつ
    かぎりなくすきとおったものよ
    なみだよなみだ
    わたしのもっているもののなかでただそれだけ
    とめどなくあふれつづけるものよ
    そしてなにより
    としつきのなかでふとり
    てあかにまみれておもくなっただけそれだけ
    つつましくだしおしみおくびょうにおしかくす
    ならいせいとなったわたしのなかで
    むしんでだいたんでむぼうでまあたらしいものよ
    おまえはぬらせ
    わたしのこころを
    としつきにちゅうじつなからだのなかで
    としつきにおいつけないこころを
    せめてあたたかく
    おまえはぬらせ
    なみだよなみだすきとおったものよ


     次回も征矢泰子の歌声に、心の耳を澄ませます。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月18日

    岸本マチ子の詩。お父さんなんか。娘の涙。

     近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされる詩について、詩想を記しています。

     今回の詩人は岸本マチ子(1934年昭和9年生まれ)です。
     略歴には、詩集『コザ中の町ブルース』『サシバ』『えれじい』その他評伝『海の旅―篠原鳳作の遠景―』などと記されています。

     1987年詩集『えれじい』の収録作品で、父と娘の心と愛情の交わりの世界に私は深く引き込まれました。年月の重なりの濃い霧がたちこめているいるようです。北原白秋の童謡『城ケ島の雨』の歌詞冒頭「雨はふるふる、城ケ島の磯に、利休鼠の雨がする。」を踏まえていて、利休鼠(りきゅうねずみ)とは色の名前です。

     愚直にしか生きられなかった父に対する娘の反発と尊敬、ふたりの距離感と、深い愛に、読むと涙が浮かんでしまう、美しく良い詩だと思います。この一連の詩想でも、母にくらべて父はとても影が薄いですが、この詩の父のように娘に心から尊敬される人がいることを嬉しく思います。

     以前書いたエッセイ詩のアンソロジー集二冊に想ったことでとりあげたアンソロジー『心の詩集 文藝別冊』(2000年、河出書房新社)で、作家・江國香織さんの「父に」という詩を見つけましたが、同じ意味で感動するとても良い詩でした。

     詩は人間の文学、だから人間味(ヒューマニズム、ユマニスム)の沁み込んだ、心と愛情の深さをすくいあげてくれる、肉声の言葉が、本当の詩、大切な詩。そう教えてくれるこの作品が私は好きです。


      父の色
                 岸本マチ子


    それは秋雨と呼びたい細い細い絹糸のような雨だった
    季節はずれの油壺は人っ子一人いず
    たった一軒残った海の家に
    父とわたしまるで忘れられたさざえのように押し黙って坐っていた
    なんだか短い時間でもあり無限の時が過ぎて行ったようでもあった
    ――ふふ さざえがさざえを食べてる
    ――別に笑うことはないさ このまま貝になるわけじゃなし
    ――それはそうだけどねえお父さん 利休鼠ってどんな色?
    ――どんなって・・・・・・こんな色かなあ
    ――えっ
    ――つまり俺のような色ってことさ
    ――フーンなんだかきたならしいさびしい色なんだ利休鼠って
    ――しぶといといって貰いたいね これでも精一杯の色なんだからさ
    父娘で行った旅のそれだけの会話なのに
    もう何年もずーっと私の胸の奥の底の方でうずき続けている
    利休鼠 まだわたしにはその色が分かっていない

    ろくでもない俳句などにうつつをぬかし
    人に騙されて無一文になってしまった父の
    まさかあの色が利休鼠だなんて
    ――お前にはわからないだろうけれど 人を騙すより
      騙されるほうがずーっといいんだよ
    ――そんなこと嘘よ お父さんなんか人間じゃない
      死んだほうがいいんだ こんなみじめな思いもう嫌や!
      くそ親父なんか死んじまえ しんじまえ しんじまえ
      ・・・・・・
    わたしも一緒に死のうとどんなに覚悟していたことか
    でも 父が死を決意したのはそれから随分あとのことだった
    ――あの時お父さんが死ななくて本当によかった
      だってわたし達もこうして生きてこれたんだものね
    そういってそっと涙をぬぐった母
    娘になんとののしられようと
    ――まだ死ねないまだだ と歯を喰いしばって生きてきた父は
    死ぬよりもつらい生を生きて密かに死ぬ時の決断力を
    やしなっていたらしい だから
    脳血栓でもう駄目だと分かった時のあのはればれとした顔
    実にいさぎよかった それなのに馬鹿な娘は
    ――お父さん死なないで! 死なないで!
    小さくなった父の頭をかきいだき声張り上げて泣いたのだ


     次回も女性の詩人の歌声に、心の耳を澄ませます。


     ☆ お知らせ ☆
    『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

     イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

        こだまのこだま 動画
      
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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月16日

    久坂葉子の詩。生きている、時に。

     近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされる詩について、詩想を記しています。

     今回の詩人は久坂葉子(くさか・ようこ、1931年昭和6年~1952年昭和27年)です。
     略歴は短く、小説を書き芥川賞候補ともなり、シナリオライターとして働き、21歳で自殺、没後1979年の『久坂葉子詩集』があります。

     とても当たり前のことかもしれませんが、私は、小説家も詩人も、作品を生きている時間に書いた、書くことに生きたことを、忘れずにいたいと思っています。
     読むことができ、心に伝わり、心ふるえる木魂になれるのは、生きているひとが書いた言葉です。
     たとえ遺書であっても。『きけわだつみの声』も死をまえにした生きていた若者たちの言葉。
     太宰治の心打つ小説も。
     文学作品は眼差しの強さと深さと痛みの鋭さは異なっていても必ず、死を前にした生きている人間の言葉です。

     その言葉に込められ響いているものが、他者の心に届きゆらす何かをもたないなら、作品が書かれた後、作者がどのように生きても死んでも、そこに詩はありません。
     く詩が書かれ生まれるのは、詩人が生きている時間です。たとえ死んでもそこに真実が響いている詩なら、病に倒れても、殺されても、自殺しても、響き続けます。好きな作品の作者が自殺していても、私が好きなのは作者が自殺したからではありません。生きて書いた作品が好きだからです。

     ひらがなだけの、七五調の、文語を交えたしずかな調べに、激しさを秘めている、美しい詩です。
     白と赤の対比は眩しく、死を見つめる静けさと、愛を思う激しさ、極度の冷たさと熱さの隔たり、張りつめた危うい強い感情が響いていて、私は心をうたれます。


      わがこひびとよ
              久坂葉子
         

    わがこひびとよ われしなば
    しろききぬにて まきたまへ
    わがむなもとの きぬの上(へ)に
    あかきはなをば のせたまへ
    こひのしるしの あかきはな
    つみなるこひの しるしにと

    わがこひびとよ われしなば
    あかきはなのみ あいせかし


     次回も女性の詩人の歌声に、心の耳を澄ませます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月14日

    塔和子の詩。雲の気持ち。

     近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされる詩について、詩想を記しています。

     今回の詩人は、塔和子(とう・かずこ、1929年昭和4年生まれ)です。
     略歴には、1944年昭和19年にハンセン病を発病、国立療養所大島青松縁に入園。詩集『はだか木』『分身』『エバの裔』『第一日の孤独』『聖なるものは木』『いちま人形』他と記されています。

     1983年の『いのちの宴』の収録作品です。お名前だけ知っていたこの詩人の略歴と詩に、今回初めて出会いました。
     一篇の詩に感じた思いだけを記すことしかできないのですが、詩集のタイトルからも感じるように、いのちをとても深くみつめる眼差しがここにはあります。

     短い、雲のかたちを、とらえ、言葉で映し出した、作品です。
     ただそれだけで、この雲に、ひとのいのちそのものになって空にあります。
     この詩を読んで私のこころに響く音。
     無常。諦念。いのち、ありのままを。
     信仰は? わかりません。
     『源氏物語』の浮舟などの心象風景に通い合うものを私は感じます。
     

      
            塔和子


    意志もなく生まれた
    ひとひらの形
    形である間
    形であらねばならない痛み

    風にあおられて
    流れる意志もなく流れ
    出合った雲と手をつなぎ
    意志ではなく
    へだてられてゆく距離

    叫ぼうと
    わめこうと
    広い宇宙からは
    かえってくる声もない

    そして
    消える意志もなく
    一方的に消される
      さびしさを
         ただようもの

     この作品を読んで、私の作品が木魂しだすのを感じました。空ではなく、海へ目はむけられていますが、おなじ眼差しだと思いました。だからこの詩に私は惹かれるのだと思います。

       詩「流氷」 (高畑耕治『死と生の交わり』所収)。

     次回も女性の詩人の歌声に、心の耳を澄ませます。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月12日

    西岡寿美子の詩。おかやん。方言の肉声が沁みる詩心。

     近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされる詩について、詩想を記しています。

     今回の詩人は、西岡寿美子(にしおか・すみこ、1928年昭和3年生まれ)です。
     略歴には、主要詩集『杉の村の物語』『おけさ恋うた』『紫蘇のうた』。他に『四国おんな遍路記』『土佐の手技師』など、詩誌「二人」編集発行と記されています。

     1973年の詩集『杉の裏の物語』に収録されている高知県の方言、土佐弁で書かれた詩です。

     方言詩の良さは、詩人の血肉である言葉を紡ぐので、濃密に細やかに言葉のゆたかさを表現できること、とても微妙、繊細な感情、ニュアンスをその言葉でしかあらわしようのない姿であらわせること、そして言葉の音楽性、イントネーションや抑揚をもっともゆたかにたゆたわせられることだと思います。
     一方で難しさは、その方言による詩の良さをどこまで感じとれるかは、読者がその言葉をどれくらい知っているかに大きく左右されてしまうことです。

     私は宮尾登美子の小説と坂本龍馬の大河ドラマでしか、土佐弁を知りませんでしたが、大阪育ちですので、西日本圏に共通している言葉のイントネーションとニュアンスを感じとれます。ですから、この詩の土佐弁の言葉すべての意味はわからないけれども、なんとなく全体の感じがわかります。でも、東日本や、沖縄、北海道で暮らしている方が、どれくらい感じとれるか、正直なところわかりません。

    作者が方言のこの長所と短所をふまえたうえで、土佐弁で書いたのは、おかやん(お母さん)に子どもとして、一緒に生活した時間に交し合ったその言葉で、話しかける詩だから、という必然性があります。この言葉でないと、表せない、というほどの。
    だから私は、部分的にわあからない箇所があっても、この濃密で繊細な世界に引き込まれます。

    最終連の表現はすごいなと感じます。
    もう一度生んでほしい、お母さんのへその緒から生きる力を注いでください。あかんぼの姿のままもう一度、泣き転がりたい、お母さん、お母さん。
    誰も言えないけれど心の底深く生まれ育ててくれた言葉のまんまで隠している強い感情のように思いました。

    作品の末尾に置かれている、作中の主な土佐弁の意味の説明を、先に置きます。この言葉だけつかんでいれば、わからない言葉があっても、この詩の世界を泳げると思うからです。響いている詩心の強さと豊かさはきっと伝わる、良い方言詩に出会えて嬉しく思います。


      たのむきに
                  西岡寿美子


    おかやん
    土のなかはぬくいか
    みちみちはやいしぐれに遇うたので
    うちはしっかいこごえてしもうた
    たのむき もちっとそっちへ寄っとうせ
    うちをそのねきへ入れとうせ

    おかやん
    うちは生きることが辛うなった
    ここにじいっとつくなんでいたい
    あかつちのなかにもぐりこうで
    おかやんの骨の鳴る音をきいていたい

    ものをいうてくれんでもええ
    なにをしてくれんでもええ
    生きちゅうあいだはきものも縫うたり
    荷もせたろうたり
    あかぎれにもめん糸をかがりつけて
    おかやんはむごいばあ働きづめぢゃったやいか

    これからはうちがしたげる
    うちが何でもしたげるきに
    そのままややこのようにまるんでおりよ
    そうはいうても もううちがおかやんにしてやれるのは
    雨や雪がしみこまんようにやぶれ傘をさしかけたり
    竹筒に山の花を切りこむような
    しようもないことばあしかないがやねえ

    からだもちんもうて
    漢字もろくに書けんかったのに
    こどもらは好き勝手に這い出し
    家はびんぼうで世帯のなんぎばっかりしておったのに
    なんであんなにはちはちしちょったんやろう
    行年六十二
    おかやんは人の世の晴れ間を伝うてきたとしんそこ思うか
    うちにはどうしたちそうは思えん
    とてもおかやんのように笑うてばっかりはようおらん

    うちは字もなろうた
    なみ以上に学校へも行かしてもろうた
    おかげで自分の口を養うばあのことはできる
    けんど そんなもんはこけや
    そんなもんだけではどもならん

    おかやんの半分も生きんうちから
    ちっとづつわがでにいのちをあかつちの穴にうめこみよる
    うちははなからのヒツテや
    やりこいところはおおかたずいむしにやられてしもうちょる
    やんがてかやの穂の秋折れみたいにうつぶしてしまうんやろう

    うちのまけや
    おかやん
    どうぞしてうちをもういっぺん孕んどうせ
    たのむきにはちきんの生汁(きしる)をうちのへその緒へ注(つ)いどうせ
    うちはうまれたまんまでそこらぢゅうおらびまわりとうなった
    おかやんよ
    おかやんよ
    よう


     次回も女性の詩人の歌声に、心の耳を澄ませます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月10日

    三井ふたばこの詩。愛(いと)しさの絵。

     近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしています。
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     今回の詩人は三井ふたばこ(みつい・ふたばこ、1919年大正8年~1990年平成2年)です。
     執筆の時期により、西條ふたばこの名の作品もあります。
     略歴には、詩集『後半球』『空気の痣』『たびげいにん唄』、評伝『父・西條八十』他と記されています。

     上記の特集には詩「後半球」が収録されています。
     整った詩世界ですが、知性とイメージの飛翔を核としていて、私の好みではありませんでした。
     『女たちの名詩集 ラ・メールブックスⅡ』(新川和江編、新装版1992年、思潮社)に咲いていた、好きな詩を見つめます。

     平明な言葉で娘に語りかける優しい言葉が心に響きます。
    娘の髪を梳(すく)母親。これだけで美しい絵画が思い浮かぶ情景です。男の入り込めない交感を想います。
     「この愛(いと)しい髪」という詩句も、女性だからの言葉です。

     タイトルの「みち」、そして平明な比喩も、この情景、詩情と溶け合っています。
     梳(す)いているか髪はさらさらと、「細い春雨」の線状のひかりと重なり、「運命のうねった小径(こみち)」と重なり「未来の国」のほうへ、かすみ、見えなくなりながらのびてゆきます。
    「わたしが死んでしまっても」という思いに溶けています。
    愛(いと)しさのやさしく響く、美しい絵のような、好きな詩です。


      みち(紘子に)
              三井ふたばこ


    あなたの髪を梳(す)きつゝ
    思うこと

    わたしが死んでしまっても
    なお のびつゞけるであろう
    この愛(いと)しい髪
    なお降りつづけるであろう
    今日のような細い春雨

    なお つゞくであろう
    運命のうねった小径(こみち)
    この一瞬 わたしの櫛(くし)は
    不気味な戦慄とともに
    みしらぬ未来の国をかすめる
    あなたの髪を梳きつつ
    思うこと


     次回も女性の詩人の歌声に、心の耳を澄ませます。


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    2012年11月08日

    小川アンナの詩。やわらかなからだとこころ。

     近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしています。
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     今回の詩人は小川アンナ(おがわ・アンナ、1919年大正8年生まれ)です。

     略歴には、詩集『にょしんらいはい』『沙中の金』『富士川右岸河川敷地図』『小川アンナ集』他と記されています。
     1970年に出版された『にょしんらいはい』の詩は、独特な世界を伝えてくれます。

     ひらがなで表現されていることで、読者はゆっくり一つ一つの音をひろい感じながら読むことになります。また、ひらがなの字体のやわらかな曲線をみつめ感じながら読み進みます。
     二篇の詩ともに、おんなのからだ、にくたいに、ゆびをすべらせるように、はだとひふの感覚を詩にすくいあげているようで、ひらがなでこそ表せるものとの調和を感じます。

     私には、二篇それぞれの詩の文字の並びの全体が、やわらかな女性のからだのようにも思われます。

     最初の詩は、亡くなった母を、ははのからだをとおして、想う、鎮魂の響きが尊敬の念ふかい愛情と織り交ぜられて沁みている詩です。「にょしん」は女身、女性のからだ、です。
     おんなとして生きた母、ははのからだ、生んでくれたあそこをあらいきよめ、深まってゆく思いはとても静謐で、私の思いも洗い清められるように感じます。
    最終2行の「ひとりのにんげんからなにかをしずかにおもくうけとっていきついでゆく」という詩句はとても美しく、心に響き続けます。
    からだで生きているという、当たり前だけれど日常あまり意識しないでいようとする隠されがちなことにある大切なものを、深い心の眼差しをもつこの優れた女性の詩人に教えられた思いがします。


      にょしんらいはい
                 小川アンナ


    おんなのひとを きよめておくるとき
    いちばん かなしみをさそわれるのは
    あそこをきれいにしてやるときです
    としとって これがおわりの
    ちょうどふゆのこだちのように しずかなさまになっているひとも
    おばあちゃんとよんでいたのに おもいのほかにうつくしい ゆきのあしたのように
    きよらかにしずまっているのをみいでたときなどは
    ひごろいたらなかったわたくしたちのふるまいが
    いかにくやしくなさけなく おもいかえされることでしょう

    そこからうまれた たれもかれもが
    けっして うみだされたときのくるしみなどを
    おもいやってあげることもなく
    それは ひっそりと わすれられたまま
    なんじゅうねんも ひとりのこころにまもられていたものです
    てもあしもうごかず ながやみにくるしむひとのかなしみは
    あそこがよごれ しゅうちにおおうてもなくて
    さらしものにするこころぐるしさ

    いくたびもいくたびも そこからうみ
    なやみくるしみいきて
    いまはもうしなえたそこを きよめおわって
    そっとまたをとじてやるとき
    わたしたちは ひとりのにんげんからなにかをしずかにおもくうけとって
    いきついでゆくとでもいうのでしょうか


     もう一篇は『女たちの名詩集 ラ・メールブックスⅡ』(新川和江編、新装版1992年、思潮社)で出会えた作品です。
     ひらがなでの、おんなのからだ、にくたいの感覚からの想いのひろがり、という共通の美しさをもちながら、こちらは「ちち」で感じる「愛」が表現されています。
     独特な詩ですが、「ぎゅっとせつなくいたんできます」、「ちちをもんでなやむ」というような詩句は、男性が想像して書くことができる領域を超えています。
     おんなのからだと、からだとおもいの密接なからまりあいからしか感じとれず、言葉に救いとれない、とても清潔な、この詩人だからこそ書くことができた美しく清潔な、女性の詩だと私は感じます。


      わたしらの愛
               小川アンナ


    わたしらの愛はちちをもんでかなしくせまる
    ならわしをもっています
    ですからそれはいつもちょくせつ的です
    ちぶさからしたたりおちるわたしらの愛を こどもはごくごくのみほします
    どおしてかちちにおしつけてくる愛を享け入れてしまうよわさをわたしらはもっています
    わかいおんなたちはそれをまっています
    よそのこがさらわれたといってわたしらのちちはいたみ
    愛している男がキリストのようにみえる時でも
    わたしらのちちはぎゅっとせつなくいたんできます
    そうキリストがもし女だったら彼はきっと万人に自分のちちをのませたでしょう
    わたしらはかなしい時でも
    それがちちを
    もんでせまってくるなら
    それを愛だと感じています
    わたしらの愛がたとえせかいにたいするときでも
    なんだかちちをもんでなやむのがわたしらのならわしです

    秋になると
    ちぶさを深くつつんで
    つつましい心になるのがわたしは大好きです


     次回も女性の詩人の歌声に、心の耳を澄ませます。

     ☆ お知らせ ☆
    『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

     イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

        こだまのこだま 動画
      
     ☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月06日

    山下千江の詩。涙うかぶ、心うたれる詩。

     この約百年間に女性の詩人が生み出し伝えてくれた詩に心の耳を澄ませ聞きとっています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされた詩について、詩想を記しています。

     今回の詩人は山下千江(やました・ちえ、1916年大正5年生まれ)です。
     略歴には、詩集『印象牧場』『見知らぬ人』『ものいわぬ人』『昭和詩大系・山下千江詩集』歌曲集『じぁがたら文』他と記されています。

     正直な告白をすると、私にとって、読んで涙が浮かんでしまう、泣いてしまう作品こそ、いちばん好きな、大切な、愛する、良いと感じる詩です。
     
     詩は言葉の音楽による感動だと思っていて、感動は、愛情、恋心、楽しみ、おかしみ、笑い、喜び、微笑み、怒り、嘆き、そして悲しみとさまざまな表情をもつ、とても豊かな人間の心の花々ですので、いろんな花があって、どの花も心に深く強くまっすぐに根ざしているなら、いいな、好きだなと、心ゆれてしまいますが。
     そのうえで、いちばんなのは、涙が自然に浮かんでしまう、うっと、胸がつまる詩です。

     山下千江の詩は、私にとってそのような詩でした。私が初めて出会えたのは次の作品です。
     とても静かな筆づかいで、第三者の視線で、外側から情景を描いているのが特徴的です。
     とても悲しく、美しく、心打たれます。


      わかれ
             山下千江


    ふくらみかけた紅梅に姿よく雪がつもった朝
    ベットの母に一枝折ってかざしてみせた

    母の口がきけなくなってから
    母娘はお互の眼の奥をのぞきこんで
    言葉よりも重い会話を交しあった

    娘がなぜわらいながら蕾(つぼみ)の枝をかざし
    つもった雪をみせようとしたかを
    母は深く受取ってこくりとうなずいた。

    涙よりもつづきのない
    つめたい「その日」がもう遠くはないことを
    紅梅の紅は娘にかわって母に語りかけた
    母はなぜ娘が「わらって」いたかを理解して
     小さく泣いた

    その泣声を娘は終生忘れ得ないであろう
    深く 重く そしてあわれにも浅い縁(えにし)

    そういうものであった
     (母と子というものは)

    野路の紅梅が一輪
    ふっくり開いた朝
    母の頬は白く冷たくなって
    閉じた眼は
    もう花の色をみることが出来なかった

    娘はまだぬくもりのさらぬ母の懐に一枝の紅梅を抱かせ
    声をのんで泣いた

    そして今度は自分で
    「さようなら お母さん」
                  といった


     もう一篇を『女たちの名詩集 ラ・メールブックスⅡ』(新川和江編、新装版1992年、思潮社)で読むことができました。
     私にとって、読んで涙が浮かんでしまう、泣いてしまう作品でした。
     今回はこれだけ記して、ゆっくり詩の花を見つめていただけたらと思います。
    私もこの詩をくり返し見つめにくると感じます。


      お団子のうた
     ――母とは何故こうもあわれが残るものなのか――
                  山下千江

    病弱な小さい娘が育つように と
    後家になりたての若い女は
    笠森稲荷へ生涯のお団子を断った

    神仏を信じるには
    神仏にそむかれすぎた母が
    その故に迷信を一切きらった母が
    「断ちもの」をしたということに
    娘はいつも重い愛情の負い目を感じてきた
    串がなくとも丸いアンコの菓子に
    「××団子」とうたってあれば
    老いても女はかたくなにそれを拒んだ
    「約束は守るためにするもの」
    せっぱつまった愚かな母の愛を
    賢い人間の信条が芋刺しにして
    女の幸うすい一生は閉じられた

    毎月十七日
    娘は母の命日に必らずお団子を供えるのだ
     義理固かったお母さん
     あなたはいろいろな約束を守りすぎて
     身動きの出来ない人生を送りましたね
     でも もう みんなおしまい
     あなたを苦しめぬいた人間の約束事は
     人間でなくなったあなたには無用のもの
     さあ 一生涯分お団子をたべて!

    明治の女の律気なあわれさ
    娘は片はしからお団子をほほばっては
    親のカタキ 親のカタキ と
    とめどのない涙をながしつづけた


     次回も、女性の詩人の作品に心の耳を澄ませてみます。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月04日

    小出ふみ子の詩。思慕を秘めた挽歌。

     この約百年間に女性の詩人が生み出し伝えてくれた詩に
     心の耳を澄ませ聞きとっています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされた詩について、詩想を記しています。

     今回の詩人は小出ふみ子(1913年大正2年生まれ)です。
     略歴には、詩集『花影抄』『都会への絶望』『花詩集』『レナとリナのための童話』、民話の絵本『はやたろう犬』。詩誌「新詩人」編集人とあります。
     
     小出ふみ子の詩は『女たちの名詩集 ラ・メールブックスⅡ』(新川和江編、新装版1992年、思潮社)にも収録されていて、この詩について詩人は「従軍して病死した夫への思慕を秘めた挽歌」だと語っています。
     満一歳の娘と実家に戻り、戦後まもない1948年に、詩集『花影抄』を出版していることに、詩人として生きる意志の強さを感じます。

     古代歌謡の昔から、愛の歌が途絶えることがないように、挽歌もまた歌い継がれてきました。
     思慕を秘めた挽歌。この作品の本質を伝える、これ以上の言葉はありません。
     思慕。亡くなってしまった、もう届かない遥かな人を愛する思い。
     挽歌。愛(いと)しさ沁みて痛い、悲しみ。
     この想いが、すべての詩行と詩句に沁みて、透明に澄んだ響きにしています。
     4月から5月の花の姿が遥かにひろがる景色が目に浮かび、花の香りと、薫る風につつまれる想いがします。

     作品全体の中で、ぽつり、ぽつり、と作品の形をこわすようにもれ出ておかれている詩句、詩行が私は好きです。
     たとえば、
    「三十路を迎えたのだもの」
    「あなたのゐない信濃路はかなしい」
    「いとしい恋情よ」

     巧みな表現を詩だ勘違いしている現代詩人はこれらの言葉を、「甘い安易な言葉」だと削り、「行間で、余情で語りなさい」と教える気が経験からします。
     でも私は逆に、形くずれてもれでる思い、言葉の破調は、そのこころからそのときにしか生まれない、一度きりの光り方なのだから、とても大切なかたち、美しい表現だと感じて心惹かれます。詩人の詩の息、いのちを伝える詩句です。

     亡くなってしまった、愛する人へ、語りかける言葉が、とても愛(かな)しく、心に響き、死と生を、永遠に想いを馳せさせてくれる、美しい詩だと私は感じます。


        花影抄
              小出ふみ子


    遥かなるひとよ
    かうお呼びせねばならぬほど わたしは老いてきた
    梅、桃、桜の うすももいろの花が一時に咲く信濃路の春
    おゝ その四月
    わたしは桃の花の散る縁先で あかい鏡台を前にしてお化粧をすると
    遥かなるひとよ
    わたしは老いた 三十路(みそぢ)を迎へたのだもの
    梅、桃、桜の一時に咲く信濃路はかなしい
    あなたのゐない信濃路はかなしい
    花の咲く四月がくると
    この曇重な空や 不透明な色彩を放つ花々は
    わたしに深い憂愁を投げかけ 限りない焦燥にかりたてる
    あなたを見詰め
    漂泊の旅路にわたしの青春をすりへらしてきた半生
    再びこの信濃路に梅、桃、桜の一時に咲く春を迎へる

    おゝ 遥かなるひとよ
    わたしが混濁の巷にゐたとき あなたの影がうすれ
    わたしのこゝろが 憂愁に沈んでゐたとき
    あなたの影は限りなく気高く 遠く
    清浄なまゝに秘めてきた いとしい恋情よ

    遥かなるひとよ
    白いさびしい梨の花咲く五月がきます
    五月がくれば 薫風が流れ この薫風の清らかさのなかで
    あなたの群落がこつそりと咲く
    おゝ その群落の影 梨の花散る影で
    三十路を迎へたわたしは
    紅 白粉をつけ 花簪(はなかんざし)をさして
    ひそやかな静寂のなかに虔(つつま)しく坐ると
    少女のやうな恥かしさで一杯になるのです


     次回も、女性の詩人の作品に心の耳を澄ませてみます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年11月02日

    栗原貞子の詩。広島の産婆と、人間の尊厳。

     この約百年間に女性の詩人が生み出し伝えてくれた詩に
     心の耳を澄ませ聞きとっています。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされた詩について、詩想を記しています。

     今回の詩人は栗原貞子(くりはら・さだこ、1913年大正2年生まれ)です。
     略歴には、主要詩集『黒い卵』―戦争中の反戦詩歌集。『私は広島を証言する』『ヒロシマというとき』などあげられています。

     作品の末尾に、 四五・八(1945年8月)とある、広島の原爆の惨劇から人間をみつめ、問いかける詩です。
     『核なき明日への祈りをこめて』(1990年)所収です。

     読むととても悲しくと苦しくなるので、眼をそむけたくなるけれど、そむけてはいけないと、心に強く訴えかけ迫ってくる詩です。
     原民喜、峠三吉の詩も、私は同じような思いで読み返しますが、あの日の出生が書かれた詩は今回初めて読みました。数え切れない死のなかであった出産。
    産婆の姿は、女性の尊さ、人間の尊厳そのものです。

     詩人の叫びに限りなく近い祈りが心に射し込み、響きやみません。
     伝えたい、いつもじっと見つめるのは苦しくてできないけれど、知る時間をもってほしい、忘れずに生きよう、そう強く願う詩です。


      生ましめんかな
                栗原貞子


    こわれたビルディングの地下室の夜だった。
    原子爆弾の負傷者たちは
    ローソク一本ない暗い地下室を
    うずめて、いっぱいだった。
    生まぐさい血の匂い、死臭。
    汗くさい人いきれ、うめきごえ
    その中から不思議な声がきこえて来た。
    「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
    この地獄の底のような地下室で
    今、若い女が産気づいているのだ。
    マッチ一本ないくらがりで
    どうしたらいいのだろう
    人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
    と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
    と言ったのは
    さっきまでうめいていた重傷者だ。
    かくてくらがりの地獄の底で
    新しい生命は生まれた。
    かくてあかつきを待たず産婆は
    血まみれのまま死んだ。
    生ましめんかな
    生ましめんかな
    己が命捨つとも


     次回も、女性の詩人の作品に心の耳を澄ませてみます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05