2013年03月31日
土屋文明。岡本かの子。歌の花(六)。
出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
■ 土屋文明(つちや・ぶんめい、1890年・明治23年群馬県生まれ、1991年・平成3年没)。
吾が言葉にあらはし難く動く世になほしたづさはる此の小詩形 ◆『山下水』1948年・昭和23年
生みし母もはぐくみし伯母も賢からず我が一生(ひとよ)恋ふる愚かな二人 『青南集』1967年・昭和42年
さまざまの七十年すごし今は見る最もうつくしき汝を柩に ◆同上
終りなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りてかなしむ ◆同上
◎一首目は、敗戦後の、短歌、第二芸術論を受けての思いですが、「なほしたづさはる」と字余りの詩句に私は、短歌にかける彼の意思を感じて共感します。
◎二首目は思慕が沁みとおる美しい歌です。上句の終わりに「賢からず」と形容したうえで、下句の終りに「愚かな」と「逆説の言葉」を投げかけて、本当に大切な「恋ふる」人は決して賢しくはなかったと意味を強め、照らし出しています。上句は「*みし母も」「***みし伯母も」と詩句を変奏しての繰り返しのリズムが快く、下句は「恋ふる」まで流れるような旋律が一呼吸止まる「間(ま)」があるので、「愚かな二人」という言葉が強まって浮かび上がり、思慕の想いが沁みこんだ詩句が心に残ります。
◎三首目と四首目は、長年連れ添った妻が亡くなった際の悲しみの歌。死別れる最期のときに、三首目の歌を捧げられた女性を幸せだと思います。
◎四首目は、死の永遠の時を前にして、先に死なれたこと、その数年の差なんてなきに等しいと頭では理解しても、その差が心にどうしようもなくかなしい、との思いを、愛の歌に昇華しています。美しく悲しい鎮魂歌です。
● 岡本かの子(おかもと・かのこ、1889年・明治22年東京生まれ、1939年・昭和14年没)。
力など望まで弱く美しく生れしまゝの男にてあれ 『かろきねたみ』1912年・大正元年
かの子かの子はや泣きやめて淋しげに添ひ臥す雛に子守歌せよ 『愛のなやみ』1918年・大正7年
桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり 『浴身』1925年・大正14年
鶏頭はあまりに赤しよわが狂ふきざしにもあるかあまりに赤しよ
かなしみをふかく保ちてよく笑ふをんなとわれはなりにけるかも 『わが最終歌集』1929年・昭和4年
◎一首目は、幼い息子に語りかける歌ですが、常識的な「男は強くたくましく」とは逆に「弱く美しく」そして
「生れしまゝの」と願うこの人はすごいなと思います。「力など望まで」と言える母だから、芸術家の岡本太郎が育った気がします。(大阪郊外育ちの私は、大阪万博のシンボル「太陽の塔」を小学校から遠望して絵にも描いたりしました。創作者の彼に親しみを感じます)。
◎二首目も子育てする自分に言い聞かせる歌です。添い臥す自分の子どもを「雛(ひな)」と美しく呼んでいます。情感があふれるような歌、とても好きです。
◎三首目は、桜の花につつまれ自らを重ね歌いかける美しい歌。「いのち一ぱいに咲く」の「一ぱいに」は前後の「いのち」と「咲く」にかかりイメージがあふれます。「生命(いのち)をかけてわが眺めたり」、上句と下句の「いのち」のくりかえし表現が歌に感情のゆたかな波を生んでいます。とても心打つ詩句です。
◎四首目も、鶏頭の赤い花を歌っていますが、花の色合いと個性そのままに、まったく異なる世界が生まれています。詩人、特に抒情詩人として生まれついた者の宿命は、花鳥風月、生き物にも風や海や空や土、あらゆるものに感情移入して自分のこととして感じてしまう、ことだと私は思います。距離を置き突き放し観察し分析することの対極で、そのもののなかに自分を見つけ感じ、自分のなかにそのものを見つけ感じてしまう、感受性の器、塊であることの性(さが)です。彼女はその典型のように感じます。
◎五首目も、人間味あるなあと感じ入ってしまう、生きた歳月に思いは深みをましていけることを教えてくれる歌だと思います。
彼女は激しい生き方をしました。たぶんそのようにしか生きられなかったのだと思います。彼女の心と生き様から生まれた歌に、人間として、女性としての深い魅力を感じます。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
こだまのこだま 動画
☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
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詩集 こころうた こころ絵ほん
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詩集 こころうた こころ絵ほん
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
■ 土屋文明(つちや・ぶんめい、1890年・明治23年群馬県生まれ、1991年・平成3年没)。
吾が言葉にあらはし難く動く世になほしたづさはる此の小詩形 ◆『山下水』1948年・昭和23年
生みし母もはぐくみし伯母も賢からず我が一生(ひとよ)恋ふる愚かな二人 『青南集』1967年・昭和42年
さまざまの七十年すごし今は見る最もうつくしき汝を柩に ◆同上
終りなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや有りてかなしむ ◆同上
◎一首目は、敗戦後の、短歌、第二芸術論を受けての思いですが、「なほしたづさはる」と字余りの詩句に私は、短歌にかける彼の意思を感じて共感します。
◎二首目は思慕が沁みとおる美しい歌です。上句の終わりに「賢からず」と形容したうえで、下句の終りに「愚かな」と「逆説の言葉」を投げかけて、本当に大切な「恋ふる」人は決して賢しくはなかったと意味を強め、照らし出しています。上句は「*みし母も」「***みし伯母も」と詩句を変奏しての繰り返しのリズムが快く、下句は「恋ふる」まで流れるような旋律が一呼吸止まる「間(ま)」があるので、「愚かな二人」という言葉が強まって浮かび上がり、思慕の想いが沁みこんだ詩句が心に残ります。
◎三首目と四首目は、長年連れ添った妻が亡くなった際の悲しみの歌。死別れる最期のときに、三首目の歌を捧げられた女性を幸せだと思います。
◎四首目は、死の永遠の時を前にして、先に死なれたこと、その数年の差なんてなきに等しいと頭では理解しても、その差が心にどうしようもなくかなしい、との思いを、愛の歌に昇華しています。美しく悲しい鎮魂歌です。
● 岡本かの子(おかもと・かのこ、1889年・明治22年東京生まれ、1939年・昭和14年没)。
力など望まで弱く美しく生れしまゝの男にてあれ 『かろきねたみ』1912年・大正元年
かの子かの子はや泣きやめて淋しげに添ひ臥す雛に子守歌せよ 『愛のなやみ』1918年・大正7年
桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり 『浴身』1925年・大正14年
鶏頭はあまりに赤しよわが狂ふきざしにもあるかあまりに赤しよ
かなしみをふかく保ちてよく笑ふをんなとわれはなりにけるかも 『わが最終歌集』1929年・昭和4年
◎一首目は、幼い息子に語りかける歌ですが、常識的な「男は強くたくましく」とは逆に「弱く美しく」そして
「生れしまゝの」と願うこの人はすごいなと思います。「力など望まで」と言える母だから、芸術家の岡本太郎が育った気がします。(大阪郊外育ちの私は、大阪万博のシンボル「太陽の塔」を小学校から遠望して絵にも描いたりしました。創作者の彼に親しみを感じます)。
◎二首目も子育てする自分に言い聞かせる歌です。添い臥す自分の子どもを「雛(ひな)」と美しく呼んでいます。情感があふれるような歌、とても好きです。
◎三首目は、桜の花につつまれ自らを重ね歌いかける美しい歌。「いのち一ぱいに咲く」の「一ぱいに」は前後の「いのち」と「咲く」にかかりイメージがあふれます。「生命(いのち)をかけてわが眺めたり」、上句と下句の「いのち」のくりかえし表現が歌に感情のゆたかな波を生んでいます。とても心打つ詩句です。
◎四首目も、鶏頭の赤い花を歌っていますが、花の色合いと個性そのままに、まったく異なる世界が生まれています。詩人、特に抒情詩人として生まれついた者の宿命は、花鳥風月、生き物にも風や海や空や土、あらゆるものに感情移入して自分のこととして感じてしまう、ことだと私は思います。距離を置き突き放し観察し分析することの対極で、そのもののなかに自分を見つけ感じ、自分のなかにそのものを見つけ感じてしまう、感受性の器、塊であることの性(さが)です。彼女はその典型のように感じます。
◎五首目も、人間味あるなあと感じ入ってしまう、生きた歳月に思いは深みをましていけることを教えてくれる歌だと思います。
彼女は激しい生き方をしました。たぶんそのようにしか生きられなかったのだと思います。彼女の心と生き様から生まれた歌に、人間として、女性としての深い魅力を感じます。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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2013年03月29日
釈迢空。みな 旅びと。歌の花(五)。
出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
■ 釈迢空(しゃく・ちょうくう、1887年・明治20年大阪府生まれ、1953年・昭和28年没)。
みなぎらふ光り まばゆき
昼の海。
疑ひがたし。
人は死したり。 『春のことぶれ』1930年・昭和5年
なき人の
今日は、七日になりぬらむ。
遇ふ人も
あふ人も、
みな 旅びと
愚痴蒙昧(ぐちもうまい)の民として 我を哭(な)かしめよ。あまりに惨(ムゴ)く 死にしわが子ぞ 『倭をぐな』1955年・昭和30年
◎三首とも、戦争で亡くしたわが子を想う悲しみの歌、胸をうたれます。
◎一首目、二首目は、詩といってもおかしくありません。三十一文字という最小限の短歌の決まりごとをまもりつつ、
一気に続けて書き下ろさずに改行と詩行の並びのかたち、それと一体の、余白、呼吸を止める「間(ま)」、そして詩行の初めと終りの音の響きあい(押韻にちかいもの)にこだわった創作歌であり、抒情詩に限りなく近いといえます。
◎一首目は、初めの二行の情景のイメージがとても鮮明に美しく心に浮かびあがります。その詩の世界のなか続く二行に断念の痛切な想いが突き抜けます。それらを支え溶け合っているのは主調音の母音イi音の、引き締まった音でとても多くなっています。
四行ともに最後の音の母音は「まばゆきkI」「うみmI」「がたしsI」「たりrI」と引き締め閉じられ改行の余白、無音、間(ま)を呼びます。
1、2、4行目の最初の音も「みmIな」「ひhIる」「ひhIと」と呼び合っています。
特に最終行は「人は死にたりhItowa SHInItarI」、死SHIという鋭い音をイI音が包み、この詩全体の緊張感を高めて終わります。意味とイメージと音が詩想にいったいとなり溶け込んだ美しく悲しい詩です。
◎二首目は、同じ主題を歌いながら、受ける印象が大きく異なり、無常観、諦念が滲んでいます。終りの3行は胸に焼き付いて忘れなくなる詩句です。この感じ方の違いをささえているのが、主調音が母音アA音と開かれた広がってゆく音であることと、子音のN音、m音のやわらかなこもる音が多いこと、とくにその子音N音と母音A音の組み合わせの「なNA」が繰り返されているからです。
3、4行目で「遇AふU」「あふAU」と頭韻し、並べながら漢字とひらがなに変奏しています。
1、3、4、5行目の詩行の終わりも、「人のHITOnO」「HITOmO」「HiTOmO」「旅びとBITO」と変奏しながら母音O音での脚韻の木魂が詩行をささえています。美しく悲しい言葉の調べ、抒情詩です。
◎三首目は、詩想の強さ、吐き出さずにはいられない思いの強さが、詩行の形を整え「創る」作業を嫌った、裸のままで生まれ出ることを望んだ、直情の歌です。「(哭かしめ)よyO」と「子ぞkOzO」の上句と下句の最後の音、母音オO音が思いの強さを波動のように、ドン、ドンと読む心に押し放ちます。悲しいけれど忘れられなくなる強い響きの歌です。
今回の最後に付け加えますが、釈迢空は、民族学者、日本国文学者として著名な折口信夫(おりくち・しのぶ)の歌人としてのペンネームです。彼の古代からの歌謡や和歌、国語、言葉についての考察は、教えられるところの多い豊かなものだと私は思います。(彼の論考は青空文庫でも読むことができます)。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
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出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
■ 釈迢空(しゃく・ちょうくう、1887年・明治20年大阪府生まれ、1953年・昭和28年没)。
みなぎらふ光り まばゆき
昼の海。
疑ひがたし。
人は死したり。 『春のことぶれ』1930年・昭和5年
なき人の
今日は、七日になりぬらむ。
遇ふ人も
あふ人も、
みな 旅びと
愚痴蒙昧(ぐちもうまい)の民として 我を哭(な)かしめよ。あまりに惨(ムゴ)く 死にしわが子ぞ 『倭をぐな』1955年・昭和30年
◎三首とも、戦争で亡くしたわが子を想う悲しみの歌、胸をうたれます。
◎一首目、二首目は、詩といってもおかしくありません。三十一文字という最小限の短歌の決まりごとをまもりつつ、
一気に続けて書き下ろさずに改行と詩行の並びのかたち、それと一体の、余白、呼吸を止める「間(ま)」、そして詩行の初めと終りの音の響きあい(押韻にちかいもの)にこだわった創作歌であり、抒情詩に限りなく近いといえます。
◎一首目は、初めの二行の情景のイメージがとても鮮明に美しく心に浮かびあがります。その詩の世界のなか続く二行に断念の痛切な想いが突き抜けます。それらを支え溶け合っているのは主調音の母音イi音の、引き締まった音でとても多くなっています。
四行ともに最後の音の母音は「まばゆきkI」「うみmI」「がたしsI」「たりrI」と引き締め閉じられ改行の余白、無音、間(ま)を呼びます。
1、2、4行目の最初の音も「みmIな」「ひhIる」「ひhIと」と呼び合っています。
特に最終行は「人は死にたりhItowa SHInItarI」、死SHIという鋭い音をイI音が包み、この詩全体の緊張感を高めて終わります。意味とイメージと音が詩想にいったいとなり溶け込んだ美しく悲しい詩です。
◎二首目は、同じ主題を歌いながら、受ける印象が大きく異なり、無常観、諦念が滲んでいます。終りの3行は胸に焼き付いて忘れなくなる詩句です。この感じ方の違いをささえているのが、主調音が母音アA音と開かれた広がってゆく音であることと、子音のN音、m音のやわらかなこもる音が多いこと、とくにその子音N音と母音A音の組み合わせの「なNA」が繰り返されているからです。
3、4行目で「遇AふU」「あふAU」と頭韻し、並べながら漢字とひらがなに変奏しています。
1、3、4、5行目の詩行の終わりも、「人のHITOnO」「HITOmO」「HiTOmO」「旅びとBITO」と変奏しながら母音O音での脚韻の木魂が詩行をささえています。美しく悲しい言葉の調べ、抒情詩です。
◎三首目は、詩想の強さ、吐き出さずにはいられない思いの強さが、詩行の形を整え「創る」作業を嫌った、裸のままで生まれ出ることを望んだ、直情の歌です。「(哭かしめ)よyO」と「子ぞkOzO」の上句と下句の最後の音、母音オO音が思いの強さを波動のように、ドン、ドンと読む心に押し放ちます。悲しいけれど忘れられなくなる強い響きの歌です。
今回の最後に付け加えますが、釈迢空は、民族学者、日本国文学者として著名な折口信夫(おりくち・しのぶ)の歌人としてのペンネームです。彼の古代からの歌謡や和歌、国語、言葉についての考察は、教えられるところの多い豊かなものだと私は思います。(彼の論考は青空文庫でも読むことができます)。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
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2013年03月27日
土岐善麿。古泉千樫。吉井勇。歌の花(四)。
出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
■ 土岐善麿(とき・ぜんまろ、1885年・明治18年東京生まれ、1980年・昭和55年没)。
手の白き労働者こそ哀しけれ。
国禁の書を
涙して読めり。 『黄昏に』1912年・明治45年
歌といへばみそひともじのみじかければたれもつくれどおのが歌つくれ 『空を仰ぐ』1925年・大正14年
上舵、上舵、上舵ばかりとつてゐるぞ、あふむけに無限の空へ 『作品Ⅰ』1933年・昭和8年
遺棄死体数百といひ数千といふいのちふたつをもちしものなし 『六月』1940年・昭和15年
あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ 『夏草』1946年・昭和21年
子らみたり召されて征(ゆ)きしたたかひを敗れよとしも祈るべかりしか ◆同上
◎この歌人の歌にこれまで出会う機会が私にはありませんでしたが、心の深い、心に響く歌をいいなと感じます。
◎一首目は、大正デモクラシーの前夜の時代の歌。「労働者」「国禁の書」という言葉が時代と社会を刻みます。石川啄木の晩年の詩「はてしなき議論の後」と木魂しあっています。
◎二首目は、歌人として自らに言い聞かせる歌。わたしの心も木魂し「おのが歌つくれ」と響き続けます。
◎三首目は、心にいつも忘れず刻みつけていたい歌。戦時中の歌です。政治も戦争も人間を「数字」としてしか見ず扱わず、「ひとりひとりのいのち」に関心をもちません。詩歌は「ひとりひとりのいのち」からこそ生まれる歌、そこからしか生まれません。この歌の心をもつ人が文学を知る人だと私は思います。
◎四首目と五首目は、敗戦後のとても苦く、心に痛い歌。その場にいなかった者が、事後的に安全な場所から、小賢しく批判することに私は同調しないし、好きではありません。このような苦しい思いをまず聞き、受け止め、自分がそのような状況に置かれたときどうするか、そのような状況に置かれないようどうするか、考えることのほうが、よほど大切なことだと思います。
■ 古泉千樫(こいずみ・ちかし、1886年・明治19年千葉県生まれ、1927年・昭和2年没)
朝なればさやらさやらに君が帯むすぶひびきのかなしかりけり 『屋上の土』1928年・昭和3年
しみじみとはじめて吾子(あこ)をいだきたり亡きがらを今しみじみ抱(いだ)きたり
たたなづく稚柔乳(わかやはちち)のほのぬくみかなしきかもよみごもりぬらし
◎三首とも人肌のあたたかみがそのまま包んだ心のぬくもりが、伝わってくる、人間味の匂う静かなとても良い歌、愛(かな)しみを知り歌う、すぐれた歌人だと感じます。
◎一首目は、愛する女性が朝、和服の帯を結ぶ時間を歌います。その絹がすれあう音の表現「さやえらさやら」という詩句はとても美しく耳元に聞こえてくるようです。下句も「ひびきのかなしかりけり」とひらがなで表記していることで、歌全体が、旋律のように、静かな調べを奏でています。この歌の「かなし」は、「愛し」、悲しさと愛のまざりあった思い、愛(いと)しさと切なさを奏でています。
◎二首目は、子を亡くした悲しみの歌。自らに言い聞かせるように、静かに繰り返されるふたつの詩句、「しみじみ」、そして「いだきたり」の調べは、悲歌そのものです。二回目の「今しみじみ」を六音で字足らず(「と」を省略)にしていて、一音の無音に想いが余韻となって沁み響きます。続く最後の詩句を「抱(いだ)きたり」も漢字表記で詩句を強めています。
◎三首目は、愛する妻の美しい乳房のぬくもりに、妊娠した愛(かな)しい喜びを感じとっている歌。「たたなづく稚柔乳」という詩句は古風ですが、乳房の柔らかな山のような優しいまるみを、思い浮かばせてくれます。表記は稚柔乳だけ詩行に埋もれないよう漢字としながら、他はすべてひらがなで、やわらかな形の表音文字の特徴そのままに、言葉の調べ、静かな音楽が、心にしっとりぬくもりを伝えてくれます。
■ 吉井勇(よしい・いさむ、1886年・明治19年東京生まれ、1960年・昭和35年没)。
叱られて悲しきときは円山(まるやま)に泣きにゆくなりをさな舞姫 『祇園歌集』1915年・大正4年
気のふれし落語家(はなしか)ひとりありにけり命死ぬまで酒飲みにけり 『毒うつぎ』1918年・大正7年
◎一首目は、花柳界にいりびたった歌人の、京都の祇園の舞妓の歌集からですが、この歌はまだ幼さが残る女性の悲しみを思う気持ちが素直で、心に響いてきます。
◎二首目も、デカダン、退廃的、頓狂な生き方しかできなかった落語家が亡くなったときの悲しみの歌。生き様への共鳴と自分に重ねる思いの強さが、響いてきます。
二首の歌を通して私は、どのような生き様から生み出されるに係わらず、歌が他者の心にまで響き沁みてゆく、その一番のちからは、込められた思いの強さ、切実さ、真率さだと、とても当たり前のことを、改めて強く思います。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
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詩集 こころうた こころ絵ほん
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
■ 土岐善麿(とき・ぜんまろ、1885年・明治18年東京生まれ、1980年・昭和55年没)。
手の白き労働者こそ哀しけれ。
国禁の書を
涙して読めり。 『黄昏に』1912年・明治45年
歌といへばみそひともじのみじかければたれもつくれどおのが歌つくれ 『空を仰ぐ』1925年・大正14年
上舵、上舵、上舵ばかりとつてゐるぞ、あふむけに無限の空へ 『作品Ⅰ』1933年・昭和8年
遺棄死体数百といひ数千といふいのちふたつをもちしものなし 『六月』1940年・昭和15年
あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ 『夏草』1946年・昭和21年
子らみたり召されて征(ゆ)きしたたかひを敗れよとしも祈るべかりしか ◆同上
◎この歌人の歌にこれまで出会う機会が私にはありませんでしたが、心の深い、心に響く歌をいいなと感じます。
◎一首目は、大正デモクラシーの前夜の時代の歌。「労働者」「国禁の書」という言葉が時代と社会を刻みます。石川啄木の晩年の詩「はてしなき議論の後」と木魂しあっています。
◎二首目は、歌人として自らに言い聞かせる歌。わたしの心も木魂し「おのが歌つくれ」と響き続けます。
◎三首目は、心にいつも忘れず刻みつけていたい歌。戦時中の歌です。政治も戦争も人間を「数字」としてしか見ず扱わず、「ひとりひとりのいのち」に関心をもちません。詩歌は「ひとりひとりのいのち」からこそ生まれる歌、そこからしか生まれません。この歌の心をもつ人が文学を知る人だと私は思います。
◎四首目と五首目は、敗戦後のとても苦く、心に痛い歌。その場にいなかった者が、事後的に安全な場所から、小賢しく批判することに私は同調しないし、好きではありません。このような苦しい思いをまず聞き、受け止め、自分がそのような状況に置かれたときどうするか、そのような状況に置かれないようどうするか、考えることのほうが、よほど大切なことだと思います。
■ 古泉千樫(こいずみ・ちかし、1886年・明治19年千葉県生まれ、1927年・昭和2年没)
朝なればさやらさやらに君が帯むすぶひびきのかなしかりけり 『屋上の土』1928年・昭和3年
しみじみとはじめて吾子(あこ)をいだきたり亡きがらを今しみじみ抱(いだ)きたり
たたなづく稚柔乳(わかやはちち)のほのぬくみかなしきかもよみごもりぬらし
◎三首とも人肌のあたたかみがそのまま包んだ心のぬくもりが、伝わってくる、人間味の匂う静かなとても良い歌、愛(かな)しみを知り歌う、すぐれた歌人だと感じます。
◎一首目は、愛する女性が朝、和服の帯を結ぶ時間を歌います。その絹がすれあう音の表現「さやえらさやら」という詩句はとても美しく耳元に聞こえてくるようです。下句も「ひびきのかなしかりけり」とひらがなで表記していることで、歌全体が、旋律のように、静かな調べを奏でています。この歌の「かなし」は、「愛し」、悲しさと愛のまざりあった思い、愛(いと)しさと切なさを奏でています。
◎二首目は、子を亡くした悲しみの歌。自らに言い聞かせるように、静かに繰り返されるふたつの詩句、「しみじみ」、そして「いだきたり」の調べは、悲歌そのものです。二回目の「今しみじみ」を六音で字足らず(「と」を省略)にしていて、一音の無音に想いが余韻となって沁み響きます。続く最後の詩句を「抱(いだ)きたり」も漢字表記で詩句を強めています。
◎三首目は、愛する妻の美しい乳房のぬくもりに、妊娠した愛(かな)しい喜びを感じとっている歌。「たたなづく稚柔乳」という詩句は古風ですが、乳房の柔らかな山のような優しいまるみを、思い浮かばせてくれます。表記は稚柔乳だけ詩行に埋もれないよう漢字としながら、他はすべてひらがなで、やわらかな形の表音文字の特徴そのままに、言葉の調べ、静かな音楽が、心にしっとりぬくもりを伝えてくれます。
■ 吉井勇(よしい・いさむ、1886年・明治19年東京生まれ、1960年・昭和35年没)。
叱られて悲しきときは円山(まるやま)に泣きにゆくなりをさな舞姫 『祇園歌集』1915年・大正4年
気のふれし落語家(はなしか)ひとりありにけり命死ぬまで酒飲みにけり 『毒うつぎ』1918年・大正7年
◎一首目は、花柳界にいりびたった歌人の、京都の祇園の舞妓の歌集からですが、この歌はまだ幼さが残る女性の悲しみを思う気持ちが素直で、心に響いてきます。
◎二首目も、デカダン、退廃的、頓狂な生き方しかできなかった落語家が亡くなったときの悲しみの歌。生き様への共鳴と自分に重ねる思いの強さが、響いてきます。
二首の歌を通して私は、どのような生き様から生み出されるに係わらず、歌が他者の心にまで響き沁みてゆく、その一番のちからは、込められた思いの強さ、切実さ、真率さだと、とても当たり前のことを、改めて強く思います。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
こだまのこだま 動画
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詩集 こころうた こころ絵ほん
2013年03月25日
斎藤茂吉。前田夕暮。北原白秋。歌の花(三)。
出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
■ 斎藤茂吉(さいとう・もきち、1882年・明治15年山形県生まれ、1953年・昭和28年没)。
死に近き母に添寝(そゐね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天(てん)に聞ゆる 『赤光』1913年・大正2年
短歌ほろべ短歌ほろべといふ声す明治末期のごとくひびきて ◆『白き山』1949年・昭和24年
焼あとにわれは立ちたり日は暮れていのりも絶えし空(むな)しさのはて 『ともしび』1950年・昭和25年
◎一首目の歌は、母の死という悲痛な主題。心に沁み入るように感じられるのは、言葉の意味とイメージに浮かぶ
「添い寝」しながら天にまで広がる「かはづ」の声に包まれている姿の哀しさがまずあります。
意味・イメージと溶けあるように流れている調べも重要で、まず初句の「死に近きSHInICHIKaKI」一語は、母音イI音の鋭さが、SHI、CHI、KIと細く歯の隙間から息を吐く子音との組合せで高まっていて、これだけでこの歌が厳粛な調べだと宣言します。次に「しんしんSHInSHIn」も同じ調べの特徴をもちつつ、日本語の読者に伝統語としての静寂な世界をもたらします。哀しさが美しく響いてゆく歌だと感じます。
◎二首目は、敗戦後の短詩形、第二芸術論に対し、感慨のように歌われています。反論も擁護もしていません。私自身は、言葉の芸術、文学のスタイルと方法について、こっちが優れてこっちは劣っている、というような縄張り好きな傲慢な批評屋は嫌いです。科学的合理的な進歩観にたち何もかも点数化し優劣判定ができるとの単純なドグマに冒された視点は批評のための批評でとても偏狭です。本当に詩歌が好きな人は、それぞれの形で生まれた歌の良さを、感じとり心に響かせる人です。戦争の勝敗、国際政治力学での優位性、政治上の主義・イデオロギー・党派性を、文学にまで短絡的に結びつけ、詩歌のさまざまな形の優位性を論じるのは、愚かで有害だと私は考えます。
◎三首目も、敗戦後の直情の歌。私は写実、叙景に閉じこもるアララギらしい彼の他の歌より、心に響き、いい歌だと感じます。
■ 前田夕暮(まえだ・ゆうぐれ、1883年・明治16年神奈川県生まれ、1951年・昭和26年没)。
自然がずんずん体のなかを通過する――山、山、山 『水源地帯』1932年・昭和7年
あいあいと人の子の泣く声ひびきみなかみ青き麦畑のみゆ 『耕土』1946年・昭和21年
ともしびをかかげてみもる人々の瞳はそそげわが死に顔に ◆『夕暮遺歌集』1951年・昭和26年
◎一首目は、作者の表現したいものが、ふさわしい、これしかない、言葉のかたちをとって、まっすぐに心に飛び込んでくるようです。読む私さえそれを体感できるような臨場感を感じさせる優れた歌だと思います。
◎二首目は、「人のこの泣く声」の「ひびき」を表現する詩句「あいあい」の情感が私はとても好きです。五十音の冒頭の二音のそれ自体の調べの美しさ、「愛」の音のイメージを含んで響くこともあり、これだけで好きな歌です。
下句の「み」と「む」の子音M音の重なりから「みゆMiYU」とやわらかく終わる調べも、意味・イメージに浮かぶ情景と溶け合い、遥かで美しいと感じます。なつかしさをかもしだすような歌です。
◎三首目は、死の直前の、辞世の歌。「人々HITObito」の音が「瞳HITOmi」を呼んだ気がしますが、死の直前で思い浮かべる祈りのような言葉には、自分のそのような時までに思いを馳せさせる、厳粛さが強く心に迫って感じられる力があります。
■ 北原白秋(きたはら・はくしゅう、1885年・明治18年福岡県生まれ、1942年・昭和17年没)。
ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫(ふる)ひそめし日 『桐の花』1913年・大正2年
病める子はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑(ばた)の黄なる月の出
下(お)り尽す一夜(ひとよ)の霜やこの暁(あけ)をほろんちょちょちょと澄む鳥のこゑ 『白南風』1934年・昭和9年
◎一首目は、薄紫に咲いたヒヤシンスが美しく眼に浮かびます。「初(はじ)めて」と「初(そ)める」は意味が重複していますが、ともにひらがなで目立たないので静かな強調になっています。何に対して「ふるえた」かは匂わすだけで語らず歌っていることで、歌の印象が深まりと広がりをもっていると思います。初恋ととる読者が多いと思いますが、ちがっていてもかまいません。歌は原因と結果の因果関係を説明し納得させることではなく、はじめて心ふるえたその時花が咲いた、というただそのことを、心に感じて響かせるものだからです。
◎二首目は、白秋らしい病的な異国情緒を醸し出しています。「病める子」「ハモニカ」「黄なる月」、強いイメージを生み出す詩句を、「夜」の「もろこし畑」という特異な情景に投げ込んで、幻想的な、非日常的な、映画のような世界を作り出していて、不思議な魅力があります。
◎三首目は、鳥の澄んだ声をあらわした「ほろんちょちょちょ」という響きがこの歌のいのちです。日本全国に残る民謡や童謡をふかく知り、自らも創った白秋の詩句の音楽性についての感性には、汲み尽くせぬ泉のような豊かさ、深い魅力を湛えていると私は思います。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。
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■ 斎藤茂吉(さいとう・もきち、1882年・明治15年山形県生まれ、1953年・昭和28年没)。
死に近き母に添寝(そゐね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天(てん)に聞ゆる 『赤光』1913年・大正2年
短歌ほろべ短歌ほろべといふ声す明治末期のごとくひびきて ◆『白き山』1949年・昭和24年
焼あとにわれは立ちたり日は暮れていのりも絶えし空(むな)しさのはて 『ともしび』1950年・昭和25年
◎一首目の歌は、母の死という悲痛な主題。心に沁み入るように感じられるのは、言葉の意味とイメージに浮かぶ
「添い寝」しながら天にまで広がる「かはづ」の声に包まれている姿の哀しさがまずあります。
意味・イメージと溶けあるように流れている調べも重要で、まず初句の「死に近きSHInICHIKaKI」一語は、母音イI音の鋭さが、SHI、CHI、KIと細く歯の隙間から息を吐く子音との組合せで高まっていて、これだけでこの歌が厳粛な調べだと宣言します。次に「しんしんSHInSHIn」も同じ調べの特徴をもちつつ、日本語の読者に伝統語としての静寂な世界をもたらします。哀しさが美しく響いてゆく歌だと感じます。
◎二首目は、敗戦後の短詩形、第二芸術論に対し、感慨のように歌われています。反論も擁護もしていません。私自身は、言葉の芸術、文学のスタイルと方法について、こっちが優れてこっちは劣っている、というような縄張り好きな傲慢な批評屋は嫌いです。科学的合理的な進歩観にたち何もかも点数化し優劣判定ができるとの単純なドグマに冒された視点は批評のための批評でとても偏狭です。本当に詩歌が好きな人は、それぞれの形で生まれた歌の良さを、感じとり心に響かせる人です。戦争の勝敗、国際政治力学での優位性、政治上の主義・イデオロギー・党派性を、文学にまで短絡的に結びつけ、詩歌のさまざまな形の優位性を論じるのは、愚かで有害だと私は考えます。
◎三首目も、敗戦後の直情の歌。私は写実、叙景に閉じこもるアララギらしい彼の他の歌より、心に響き、いい歌だと感じます。
■ 前田夕暮(まえだ・ゆうぐれ、1883年・明治16年神奈川県生まれ、1951年・昭和26年没)。
自然がずんずん体のなかを通過する――山、山、山 『水源地帯』1932年・昭和7年
あいあいと人の子の泣く声ひびきみなかみ青き麦畑のみゆ 『耕土』1946年・昭和21年
ともしびをかかげてみもる人々の瞳はそそげわが死に顔に ◆『夕暮遺歌集』1951年・昭和26年
◎一首目は、作者の表現したいものが、ふさわしい、これしかない、言葉のかたちをとって、まっすぐに心に飛び込んでくるようです。読む私さえそれを体感できるような臨場感を感じさせる優れた歌だと思います。
◎二首目は、「人のこの泣く声」の「ひびき」を表現する詩句「あいあい」の情感が私はとても好きです。五十音の冒頭の二音のそれ自体の調べの美しさ、「愛」の音のイメージを含んで響くこともあり、これだけで好きな歌です。
下句の「み」と「む」の子音M音の重なりから「みゆMiYU」とやわらかく終わる調べも、意味・イメージに浮かぶ情景と溶け合い、遥かで美しいと感じます。なつかしさをかもしだすような歌です。
◎三首目は、死の直前の、辞世の歌。「人々HITObito」の音が「瞳HITOmi」を呼んだ気がしますが、死の直前で思い浮かべる祈りのような言葉には、自分のそのような時までに思いを馳せさせる、厳粛さが強く心に迫って感じられる力があります。
■ 北原白秋(きたはら・はくしゅう、1885年・明治18年福岡県生まれ、1942年・昭和17年没)。
ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫(ふる)ひそめし日 『桐の花』1913年・大正2年
病める子はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑(ばた)の黄なる月の出
下(お)り尽す一夜(ひとよ)の霜やこの暁(あけ)をほろんちょちょちょと澄む鳥のこゑ 『白南風』1934年・昭和9年
◎一首目は、薄紫に咲いたヒヤシンスが美しく眼に浮かびます。「初(はじ)めて」と「初(そ)める」は意味が重複していますが、ともにひらがなで目立たないので静かな強調になっています。何に対して「ふるえた」かは匂わすだけで語らず歌っていることで、歌の印象が深まりと広がりをもっていると思います。初恋ととる読者が多いと思いますが、ちがっていてもかまいません。歌は原因と結果の因果関係を説明し納得させることではなく、はじめて心ふるえたその時花が咲いた、というただそのことを、心に感じて響かせるものだからです。
◎二首目は、白秋らしい病的な異国情緒を醸し出しています。「病める子」「ハモニカ」「黄なる月」、強いイメージを生み出す詩句を、「夜」の「もろこし畑」という特異な情景に投げ込んで、幻想的な、非日常的な、映画のような世界を作り出していて、不思議な魅力があります。
◎三首目は、鳥の澄んだ声をあらわした「ほろんちょちょちょ」という響きがこの歌のいのちです。日本全国に残る民謡や童謡をふかく知り、自らも創った白秋の詩句の音楽性についての感性には、汲み尽くせぬ泉のような豊かさ、深い魅力を湛えていると私は思います。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
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2013年03月24日
新しい詩「潮騒、愛(かな)しみの」をHP公開しました。
私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「潮騒、愛(かな)しみの」を、公開しました (クリックでお読み頂けます)。
詩「潮騒、愛しみの」
お読みくださると、とても嬉しく思います。
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2013年03月23日
太田水穂。会津八一。歌の花(二)。
出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、個性的な歌人たちの歌の花を数首ずつ、私が感じとれた言葉を添えて咲かせています。生涯をかけて歌ったなかからほんの数首ですが、心の歌を香らせた歌人を私は敬愛し、歌の魅力が伝わってほしいと願っています。
出典に従い基本的には生年順です。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
■ 太田水穂(おおた・みずほ、1876年・明治9年長野県生まれ、1955年・昭和30年没)。
君が手とわが手とふれしたまゆらの心ゆらぎは知らずやありけん 『つゆ草』1902年・明治35年
すさまじくみだれて水にちる火の子鵜(う)の執念の青き首みゆ 『鷺鵜』1933年・昭和8年
◎一首目は、鉄幹と同時代の、恋の歌。上句は、「手と」「手と」が男と女の微妙な距離を浮かび上がらせつつ、音の繰り返しが快く、続く「たまゆら」「心ゆらぎ」の「ゆら」の音が、意味の上での微妙な心の揺れと、よく溶け合っています。最後の「知らずやありけん」という強い問いかけも、異性を思う切ない思いの強さを響かせていて、美しいと感じます。
◎二首目は、鵜飼の歌。かがり火を灯す清流で、鵜に魚を呑み込ませ吐きださせる小舟での漁の情景が、とても鮮やかです。「みだれて水にちる火 mIdarete mIzuniI chIru hI」はかくれた子音との組合せで変奏する子音Iイ音の鋭さが臨場感、緊迫感を高めています。後半の「鵜の執念の青き首」という強くふさわしく言い換えられない詩句を見出したことで、この歌に高まりゆくエネルギーが生まれたのだと、私は感じます。
■ 会津八一(あいず・やいち、1881年・明治14年新潟市生まれ、1956年・昭和31年没)。
ひかり なき とこよ の のべ の はて に して なほ か きく らむ やまばと の こゑ 『寒燈集』1947年・昭和22年
すべ も なく やぶれし くに の なかぞら を わたらふ かぜ の おと ぞ かなしき
◎一見してわかるように、独特の表記法を生み出した詩人です。私自身は、表現方法を模索し試み生み出そうとする芸術家の意思が好きだし、失わずにいつも創作を試みています。
そのうえで、この歌人の試みについて次のように感じます。
良い点は、①ひらがなという表音文字だけにしたことで、一音一音をより敏感に伝え感じとれること。また、②ひらがなの文字のやわらかな字体・かたちが、やさしさ、やわらかさ、澄んだ雰囲気を浮かべだしていること。
悪い点は、①助詞「の」まで含め詩句一語一語ごとに一文字間を空けるので、詩の流れが「ブツ切り」になり、音の流れ旋律が失われている。②歌人が作歌するとき、読むときにも、このように「ブツ切り」には息を吐いたり止めたりしないから、数多い字間は呼吸の「間(ま)」となっていないため、作為、人工的に感じてしまう。言葉の音楽性、流れと間を損ねていることで、この詩形は美しいとは私には感じられません。
ひらがなの字体のやわらかさは美しいのだから、三十一文字をすべてひらがなで連ねて息の「間」は読むものの自然に任せるほうが、詩形として美しいと私は思います。その場合も、詩想が表記法のやわらかさと溶け合う内容でないと失敗すると思いますが。
◎一首目は、暗い野辺の果てに響くやまばとの声が聞こえてくるようです。でもこの詩形だからこそ詩想がもっともふさわしく表現されている、とまではいえないと感じます。
◎二首目は、直情の歌。この歌は、敗戦のかなしい、むなしい思いが、詩形のひらがなの、風に飛んでしまうような弱さ、軽さと、切れ切れに断ち切られた、とつとつとした心と、あっていて、詩想と詩形がいったいに溶け合い、詩情を深め強めていて、美しいと感じます。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
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■ 太田水穂(おおた・みずほ、1876年・明治9年長野県生まれ、1955年・昭和30年没)。
君が手とわが手とふれしたまゆらの心ゆらぎは知らずやありけん 『つゆ草』1902年・明治35年
すさまじくみだれて水にちる火の子鵜(う)の執念の青き首みゆ 『鷺鵜』1933年・昭和8年
◎一首目は、鉄幹と同時代の、恋の歌。上句は、「手と」「手と」が男と女の微妙な距離を浮かび上がらせつつ、音の繰り返しが快く、続く「たまゆら」「心ゆらぎ」の「ゆら」の音が、意味の上での微妙な心の揺れと、よく溶け合っています。最後の「知らずやありけん」という強い問いかけも、異性を思う切ない思いの強さを響かせていて、美しいと感じます。
◎二首目は、鵜飼の歌。かがり火を灯す清流で、鵜に魚を呑み込ませ吐きださせる小舟での漁の情景が、とても鮮やかです。「みだれて水にちる火 mIdarete mIzuniI chIru hI」はかくれた子音との組合せで変奏する子音Iイ音の鋭さが臨場感、緊迫感を高めています。後半の「鵜の執念の青き首」という強くふさわしく言い換えられない詩句を見出したことで、この歌に高まりゆくエネルギーが生まれたのだと、私は感じます。
■ 会津八一(あいず・やいち、1881年・明治14年新潟市生まれ、1956年・昭和31年没)。
ひかり なき とこよ の のべ の はて に して なほ か きく らむ やまばと の こゑ 『寒燈集』1947年・昭和22年
すべ も なく やぶれし くに の なかぞら を わたらふ かぜ の おと ぞ かなしき
◎一見してわかるように、独特の表記法を生み出した詩人です。私自身は、表現方法を模索し試み生み出そうとする芸術家の意思が好きだし、失わずにいつも創作を試みています。
そのうえで、この歌人の試みについて次のように感じます。
良い点は、①ひらがなという表音文字だけにしたことで、一音一音をより敏感に伝え感じとれること。また、②ひらがなの文字のやわらかな字体・かたちが、やさしさ、やわらかさ、澄んだ雰囲気を浮かべだしていること。
悪い点は、①助詞「の」まで含め詩句一語一語ごとに一文字間を空けるので、詩の流れが「ブツ切り」になり、音の流れ旋律が失われている。②歌人が作歌するとき、読むときにも、このように「ブツ切り」には息を吐いたり止めたりしないから、数多い字間は呼吸の「間(ま)」となっていないため、作為、人工的に感じてしまう。言葉の音楽性、流れと間を損ねていることで、この詩形は美しいとは私には感じられません。
ひらがなの字体のやわらかさは美しいのだから、三十一文字をすべてひらがなで連ねて息の「間」は読むものの自然に任せるほうが、詩形として美しいと私は思います。その場合も、詩想が表記法のやわらかさと溶け合う内容でないと失敗すると思いますが。
◎一首目は、暗い野辺の果てに響くやまばとの声が聞こえてくるようです。でもこの詩形だからこそ詩想がもっともふさわしく表現されている、とまではいえないと感じます。
◎二首目は、直情の歌。この歌は、敗戦のかなしい、むなしい思いが、詩形のひらがなの、風に飛んでしまうような弱さ、軽さと、切れ切れに断ち切られた、とつとつとした心と、あっていて、詩想と詩形がいったいに溶け合い、詩情を深め強めていて、美しいと感じます。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
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2013年03月21日
佐々木信綱。与謝野鉄幹。歌の花(一)。
今回まで数回にわたり、出典の2冊の短歌アンソロジーの花束から、私が特に感じるところのあった歌人とその歌を聴きとってきました。
とりあげなかった歌人についても、心に強く響く好きな歌はおおくありますので、今回からは個性的な歌人たちのいいと感じた歌を数首ずつみつめなおし、私が感じ思った言葉を添えていきたいと思います。
生涯をかけて歌ったなかからほんの数首しか咲かせられませんが、でも私は歌い心の歌を香らせた歌人を敬愛し好きだという気持ちをいつも強くもっています。少しでも香りの魅力が伝わってほしいと願います。
あくまで私の今の心に響いた歌ですので、読者の方それぞれが違う歌を良いと感じるのはとても自然なことです。わたしは歌壇での権威も著名度もあまり知らず関心もありません。詩壇についても同じです。
詩歌は花です。ひそやかに咲く美しい花があり、その花に響きうたれる心があるとだけ、感じていただけたらそれでいいと思います。
出典に従い基本的には生年順です。各回の人数も決めずに、詩歌、短歌はいいなという思いのままに記していきます。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
■ 佐々木信綱(ささき・のぶつな、1872年・明治5年、三重県鈴鹿市生まれ、1963年・昭和38年没)。
みづうみを越えてにほへる虹の輪の中を舟ゆく君が舟ゆく 『新月』1912年・大正元年
二本(ふたもと)の柿の木(こ)の間の夕空の浅黄に暮れて水星は見ゆ 『椎の木』1936年・昭和11年
あき風の焦土が原に立ちておもふ敗(やぶ)れし国はかなしかりけり 『山と水と』1951年・昭和26年
◎一首目は、上句の叙景の鮮明なイメージが遥かに広がる美しさと、下句のリズム感が浮かび沈む進む舟の動きそのものに溶け合ってゆくようです。君という一語から思慕もかもし出され、抒情歌へと高まっています。
◎二首目は、歌われ映し出される映像が、リズム感にのりながら、柿の木、背景の空、そして最後の一語で宇宙遥か彼方の水星まで一挙に遠くの一点に焦点が絞り込まれ、鮮やかに心に浮かび輝きます。
◎三首目は、直情の歌、敗戦後の思いが、私の心にも、苦く滲み込んできます。
■ 与謝野鉄幹(よさの・てっかん、1873年・明治6年京都市生まれ、1935年・昭和10年没)。
野に生ふる、草にも物を、言はせばや。
涙もあらむ、歌もあるらむ。 『東西南北』1892年・明治29年
われ男(を)の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子 『紫』1901年・明治34年
情(なさけ)すぎて恋みなもろく才あまりて歌みな奇なり我をあはれめ
◎一首目は、明星派そのものの抒情、ロマンがあふれ、みずみずしい若い感情の歌で、私はとても好きです。野の草の涙や歌を聴きとり、言葉にするのが詩人だと思います。
◎二首目は、有名な歌で、自らのことを、「***の子」を変奏させて歌います。リズムが単調で奥行きの深い美しい歌ではありませんが、それでも、与謝野鉄幹という、個性そのもの、こんな歌ほかの人には絶対に歌えない、そう感じさせる突出した心の輝きが私は好きです。
◎三首目も、鉄幹が自らの個性と自身の歌をよく知っていたと教えてくれます。「情けすぎ」「恋」多くもろくないと詩人でありえませんが、鉄幹の歌は「才あまりて」「奇」で、主張が勝ち頭で作ってしまい、晶子のような本物の抒情歌は歌えませんでした。でも人間味あふれる彼が好きだし、雑誌「明星」を推し進めた情熱を敬愛しています。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
こだまのこだま 動画
☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
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詩集 こころうた こころ絵ほん
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詩集 こころうた こころ絵ほん
とりあげなかった歌人についても、心に強く響く好きな歌はおおくありますので、今回からは個性的な歌人たちのいいと感じた歌を数首ずつみつめなおし、私が感じ思った言葉を添えていきたいと思います。
生涯をかけて歌ったなかからほんの数首しか咲かせられませんが、でも私は歌い心の歌を香らせた歌人を敬愛し好きだという気持ちをいつも強くもっています。少しでも香りの魅力が伝わってほしいと願います。
あくまで私の今の心に響いた歌ですので、読者の方それぞれが違う歌を良いと感じるのはとても自然なことです。わたしは歌壇での権威も著名度もあまり知らず関心もありません。詩壇についても同じです。
詩歌は花です。ひそやかに咲く美しい花があり、その花に響きうたれる心があるとだけ、感じていただけたらそれでいいと思います。
出典に従い基本的には生年順です。各回の人数も決めずに、詩歌、短歌はいいなという思いのままに記していきます。どちらの出典からとったかは◆印で示します。名前の前●は女性、■は男性です。
■ 佐々木信綱(ささき・のぶつな、1872年・明治5年、三重県鈴鹿市生まれ、1963年・昭和38年没)。
みづうみを越えてにほへる虹の輪の中を舟ゆく君が舟ゆく 『新月』1912年・大正元年
二本(ふたもと)の柿の木(こ)の間の夕空の浅黄に暮れて水星は見ゆ 『椎の木』1936年・昭和11年
あき風の焦土が原に立ちておもふ敗(やぶ)れし国はかなしかりけり 『山と水と』1951年・昭和26年
◎一首目は、上句の叙景の鮮明なイメージが遥かに広がる美しさと、下句のリズム感が浮かび沈む進む舟の動きそのものに溶け合ってゆくようです。君という一語から思慕もかもし出され、抒情歌へと高まっています。
◎二首目は、歌われ映し出される映像が、リズム感にのりながら、柿の木、背景の空、そして最後の一語で宇宙遥か彼方の水星まで一挙に遠くの一点に焦点が絞り込まれ、鮮やかに心に浮かび輝きます。
◎三首目は、直情の歌、敗戦後の思いが、私の心にも、苦く滲み込んできます。
■ 与謝野鉄幹(よさの・てっかん、1873年・明治6年京都市生まれ、1935年・昭和10年没)。
野に生ふる、草にも物を、言はせばや。
涙もあらむ、歌もあるらむ。 『東西南北』1892年・明治29年
われ男(を)の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子 『紫』1901年・明治34年
情(なさけ)すぎて恋みなもろく才あまりて歌みな奇なり我をあはれめ
◎一首目は、明星派そのものの抒情、ロマンがあふれ、みずみずしい若い感情の歌で、私はとても好きです。野の草の涙や歌を聴きとり、言葉にするのが詩人だと思います。
◎二首目は、有名な歌で、自らのことを、「***の子」を変奏させて歌います。リズムが単調で奥行きの深い美しい歌ではありませんが、それでも、与謝野鉄幹という、個性そのもの、こんな歌ほかの人には絶対に歌えない、そう感じさせる突出した心の輝きが私は好きです。
◎三首目も、鉄幹が自らの個性と自身の歌をよく知っていたと教えてくれます。「情けすぎ」「恋」多くもろくないと詩人でありえませんが、鉄幹の歌は「才あまりて」「奇」で、主張が勝ち頭で作ってしまい、晶子のような本物の抒情歌は歌えませんでした。でも人間味あふれる彼が好きだし、雑誌「明星」を推し進めた情熱を敬愛しています。
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
◆印をつけた歌は『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)から。
次回も、美しい歌の花をみつめます。
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『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
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2013年03月19日
河野裕子の短歌。恋の歌、愛の歌、感性の花。
ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
今回の歌人は河野裕子(かわの・ゆうこ、1946年・昭和21年熊本県生まれ)です。
私が特に好きな18首を選びました。
最初の5首は、恋の歌で、とてもいいと思います。青春を生きる女性の若さ、
みずみずしい感受性、こころとからだの華やぎ、ときめきが、いちどに咲き出したような
みなぎる力が美しいと感じます。花が咲きそよ風にゆれながら歌っているようです。
次の6首は、子を授かった、身ごもった女性、産んだばかりの女性の歌です。
感受性ゆたかなこの歌人だから生まれたと思える、素晴らしい歌だと思います。肉体的に産むという経験を
知らない私にも、そのかけがえのない体験のそばに、歌をとおして寄り添わせてくれるように
感じます。
次の3首からは、母としての、子育ての喜びとそのたいへんさ、よく伝わってきます。懸命な姿に心が温まるのは、歌の基調音のように見えないけれども澄んでいる体温のぬくもりの、愛が流れているからだと思います。
最後にあつめた4首は、叙景の歌ですが、抒情歌ともいえます。感情に染め上げられているからです。
この歌人が、自分を取り巻く世界の音楽を聴き取る感性のみずみずしさ、そして受け止めたものを、言葉を選び歌とする才能がとてもゆたかだと教えてくれます。
歌の調べ、言葉の音楽は美しく流れながら、鮮やかなイメージ、情景が、読む心に広がります。
彼女は、生きることは悲しみも苦労も多いけれど、わるくない、生きて感じてみようと、静かに思わせてくれる歌があることを気づかせてくれる、人間らしい、優れた歌人だと私は思います。
『森のやうに獣のやうに』1972年・昭和47年
青林檎与へしことを唯一の積極として別れ気に来り
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと
ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり
今刈りし朝草のやうな匂ひして寄り来しときに乳房とがりゐき
『ひるがほ』1976年・昭和51年
あるだけの静脈透けてゆくやうな夕べ生きいきと鼓動ふたつしてゐる
まがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す
産むことも生まれしこともかなしみのひとつ涯とし夜の灯り消す
しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ
われの血の重さかと抱きあげぬ暖かき息して眠りゐる子を
胎児つつむ嚢(ふくろ)となりきり眠るとき雨夜のめぐり海のごとしも
『桜森』1980年・昭和55年
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
子を叱る母らのこゑのいきいきと響くつよさをわがこゑも持つ
『森のやうに獣のやうに』
振りむけばなくなりさうな追憶の ゆふやみに咲くいちめんの菜の花
『ひるがほ』
土鳩はどどつぽどどつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ
『桜森』
水位徐徐に上がれるごとした黄昏れて四囲にみち来るかなかなのこゑ
『はやりを』1984年・昭和59年
暗がりに柱時計の音を聴く月出るまへの七つのしづく
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
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今回の歌人は河野裕子(かわの・ゆうこ、1946年・昭和21年熊本県生まれ)です。
私が特に好きな18首を選びました。
最初の5首は、恋の歌で、とてもいいと思います。青春を生きる女性の若さ、
みずみずしい感受性、こころとからだの華やぎ、ときめきが、いちどに咲き出したような
みなぎる力が美しいと感じます。花が咲きそよ風にゆれながら歌っているようです。
次の6首は、子を授かった、身ごもった女性、産んだばかりの女性の歌です。
感受性ゆたかなこの歌人だから生まれたと思える、素晴らしい歌だと思います。肉体的に産むという経験を
知らない私にも、そのかけがえのない体験のそばに、歌をとおして寄り添わせてくれるように
感じます。
次の3首からは、母としての、子育ての喜びとそのたいへんさ、よく伝わってきます。懸命な姿に心が温まるのは、歌の基調音のように見えないけれども澄んでいる体温のぬくもりの、愛が流れているからだと思います。
最後にあつめた4首は、叙景の歌ですが、抒情歌ともいえます。感情に染め上げられているからです。
この歌人が、自分を取り巻く世界の音楽を聴き取る感性のみずみずしさ、そして受け止めたものを、言葉を選び歌とする才能がとてもゆたかだと教えてくれます。
歌の調べ、言葉の音楽は美しく流れながら、鮮やかなイメージ、情景が、読む心に広がります。
彼女は、生きることは悲しみも苦労も多いけれど、わるくない、生きて感じてみようと、静かに思わせてくれる歌があることを気づかせてくれる、人間らしい、優れた歌人だと私は思います。
『森のやうに獣のやうに』1972年・昭和47年
青林檎与へしことを唯一の積極として別れ気に来り
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと
ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり
今刈りし朝草のやうな匂ひして寄り来しときに乳房とがりゐき
『ひるがほ』1976年・昭和51年
あるだけの静脈透けてゆくやうな夕べ生きいきと鼓動ふたつしてゐる
まがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す
産むことも生まれしこともかなしみのひとつ涯とし夜の灯り消す
しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ
われの血の重さかと抱きあげぬ暖かき息して眠りゐる子を
胎児つつむ嚢(ふくろ)となりきり眠るとき雨夜のめぐり海のごとしも
『桜森』1980年・昭和55年
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
子を叱る母らのこゑのいきいきと響くつよさをわがこゑも持つ
『森のやうに獣のやうに』
振りむけばなくなりさうな追憶の ゆふやみに咲くいちめんの菜の花
『ひるがほ』
土鳩はどどつぽどどつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ
『桜森』
水位徐徐に上がれるごとした黄昏れて四囲にみち来るかなかなのこゑ
『はやりを』1984年・昭和59年
暗がりに柱時計の音を聴く月出るまへの七つのしづく
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
☆ お知らせ ☆
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2013年03月17日
中城ふみ子の短歌。『乳房喪失』悲しく燃え尽くして。
ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
今回の歌人は中城ふみ子(なかじょう・ふみこ、1922年・大正11年帯広市生まれ、1954年・昭和29年没)です。
歌集タイトルにある『乳房喪失』、乳癌のため32歳で夭逝されていますが、死の前の短い期間に、激しく燃え尽くした歌人、その歌に漂う悲壮感と切迫した想いに心打たれます。17首選びました。
最初の5首は、人との距離感についての鋭敏な感覚、尖って感じられる齟齬感、砂を噛んでしまうような、この人の生きにくさが、離婚をめぐる時間のなかで、夫と子を通して歌われていると感じます。
おそらく誰もがも程度の差はあれもっている、自我、エゴという生命力が、周囲と関係を上手く結んでいけない悲しみに、この歌人の露出した神経がふるえているようです。
次の5首には、彼女の自我の強さがむき出しになり、神経がヒリヒリ痛んでいるような激しさがあります。自己への厳しさに尖ってしまうとき他者や世界と摩擦し傷を負わせ虐げてしまうように感じる意識。
芸術家はこのような横顔を持たずに生きられない生き物ですが、その自己意識が研ぎ澄まされた歌になっています。
次の3首は、乳癌そのものから生まれた歌。悲しみが凝結した歌だと感じます。
最後の4首は、自ら死ぬことを悟った、辞世の歌であることを意識した者だけが、歌える歌。死を目の前にしながら、苦しみの最中での言葉だからでしょうか、ほのかな明るみのようにうかびあがる花のまぼろしは、とても美しい、と感じます。
この間際まで、このように歌うことを意思し行った彼女は、芸術家、歌人としての生来の資質、運命のもとに生まれ、その重みに押しひしがれ潰されそうになりながらも、生き抜いた人だと私は思います。
生き難く、おそらく周囲の人を傷つけずにはいられなかった、そのことを知りつつ苦しみ悲しみながらも、最期まで歌い続けた激しく悲しい彼女と彼女の歌に、私の心は揺れうごき、響きあいます。
『乳房喪失』1954年・昭和29年
追ひつめられし獣の目と夫の目としばし記憶の中に重なる
春のめだか雛の足あと山椒の実それらのものの一つかわが子
灼(や)きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ
われに最も近き貌(かほ)せる末の子を夫がもて甘しつつ育てゐるとぞ
子を抱きて涙ぐむとも何物かが母を常凡に生かせてくれぬ
美しく漂ひよりし蝶ひとつわれは視野の中に虐(しひた)ぐ
原色のかなしみをきりきり突きつけるこの画よ立ちてひもじきときに
音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか
大楡の新しき葉を風揉めりわれは憎まれて熾烈に生きたし ●
もゆる限りはひとに与へし乳房なれ癌の組成を何時よりと知らず
失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲(わら)ふがにひそかに成さる ●
『花の原型』1955年・昭和30年
遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受取れ
死後のわれは身かろくどこへも現れむたとえばきみの肩にも乗りて
息きれて苦しむこの夜もふるさとに亜麻の花むらさきに充ちてゐるべし
無き筈の乳房いたむとかなしめる夜々もあやめはふくらみやまず ●
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)、
●印『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
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歌集タイトルにある『乳房喪失』、乳癌のため32歳で夭逝されていますが、死の前の短い期間に、激しく燃え尽くした歌人、その歌に漂う悲壮感と切迫した想いに心打たれます。17首選びました。
最初の5首は、人との距離感についての鋭敏な感覚、尖って感じられる齟齬感、砂を噛んでしまうような、この人の生きにくさが、離婚をめぐる時間のなかで、夫と子を通して歌われていると感じます。
おそらく誰もがも程度の差はあれもっている、自我、エゴという生命力が、周囲と関係を上手く結んでいけない悲しみに、この歌人の露出した神経がふるえているようです。
次の5首には、彼女の自我の強さがむき出しになり、神経がヒリヒリ痛んでいるような激しさがあります。自己への厳しさに尖ってしまうとき他者や世界と摩擦し傷を負わせ虐げてしまうように感じる意識。
芸術家はこのような横顔を持たずに生きられない生き物ですが、その自己意識が研ぎ澄まされた歌になっています。
次の3首は、乳癌そのものから生まれた歌。悲しみが凝結した歌だと感じます。
最後の4首は、自ら死ぬことを悟った、辞世の歌であることを意識した者だけが、歌える歌。死を目の前にしながら、苦しみの最中での言葉だからでしょうか、ほのかな明るみのようにうかびあがる花のまぼろしは、とても美しい、と感じます。
この間際まで、このように歌うことを意思し行った彼女は、芸術家、歌人としての生来の資質、運命のもとに生まれ、その重みに押しひしがれ潰されそうになりながらも、生き抜いた人だと私は思います。
生き難く、おそらく周囲の人を傷つけずにはいられなかった、そのことを知りつつ苦しみ悲しみながらも、最期まで歌い続けた激しく悲しい彼女と彼女の歌に、私の心は揺れうごき、響きあいます。
『乳房喪失』1954年・昭和29年
追ひつめられし獣の目と夫の目としばし記憶の中に重なる
春のめだか雛の足あと山椒の実それらのものの一つかわが子
灼(や)きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ
われに最も近き貌(かほ)せる末の子を夫がもて甘しつつ育てゐるとぞ
子を抱きて涙ぐむとも何物かが母を常凡に生かせてくれぬ
美しく漂ひよりし蝶ひとつわれは視野の中に虐(しひた)ぐ
原色のかなしみをきりきり突きつけるこの画よ立ちてひもじきときに
音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか
大楡の新しき葉を風揉めりわれは憎まれて熾烈に生きたし ●
もゆる限りはひとに与へし乳房なれ癌の組成を何時よりと知らず
失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲(わら)ふがにひそかに成さる ●
『花の原型』1955年・昭和30年
遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受取れ
死後のわれは身かろくどこへも現れむたとえばきみの肩にも乗りて
息きれて苦しむこの夜もふるさとに亜麻の花むらさきに充ちてゐるべし
無き筈の乳房いたむとかなしめる夜々もあやめはふくらみやまず ●
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)、
●印『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)
次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
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2013年03月14日
田川紀久雄の『慈悲』。あなたの微笑みが。
詩人の田川紀久雄さんが新しい本『慈悲』(2013年3月20日、漉林書房、2000円)を出版されました。
この本の表紙絵は画家であるご自身の作品で、優しくぬくもりが溶けた色あいの女性が佇んでいます。どのような本であるかは、あとがきの次の言葉に書き尽されていますので、以下に抜粋します。
「あとがき」
末期ガン以後ひたすら言葉を書き続けている。それは書かずにはいられないからだ。(略)要は書きたいことだけを書いているに過ぎない。(略)末期ガンを患ったあとの魂の軌道を報告しているとしかいいようがない。(略)。この本もまだ私は生きているぞという報告なのだ。(略)。
私は、詩人とは書かずにはいられないものも書いている人、ただそれだけだと考えています。
そして文学は、投げ込まれた時間のなかで、なぜ生きているのか、真理を求め問いかけてもわからない人間が、それでも今生き感じて心に抱いている、自分にとってほんとうのこと、真実を、言葉の花として咲かせること、だと考えています。感動の花の姿は、色とりどり、個性豊かな違いがあればあるほど、いいと思います。
田川さんの花は、とても素朴な、だからこそ、いちばん美しいと感じてしまう、小さな野の花です。こころのはだかの思いです。見つめ、感じ、微風をともに感じ、同じ瞬間ともにふるえることが、野の花を愛することだと私は思います。
私の心が木魂した言葉を、とても自由に、以下に抜き出しました。読者ひとりひとりの方が、野の花のいろんな表情を、この本から聴きとって頂けたらと願います。
☆ お知らせ
詩語りライブ「いのちを語ろう 第10回」
田川紀久雄 宮澤賢治「青森挽歌」、自作詩『慈悲』
坂井のぶこ 麻生知子詩集、自作詩『浜川崎から』
野間 明子 自作詩
日時:2013年3月16日(土)午後2時より(午後1時40分開場)。
場所:東鶴堂ギャラリー。JR鶴見駅徒歩5分、京急鶴見駅徒歩2分。
鶴見中央4‐16‐2 田中ビル3F(TEL045‐502‐3049)。
料金:2000円
この本の表紙絵は画家であるご自身の作品で、優しくぬくもりが溶けた色あいの女性が佇んでいます。どのような本であるかは、あとがきの次の言葉に書き尽されていますので、以下に抜粋します。
「あとがき」
末期ガン以後ひたすら言葉を書き続けている。それは書かずにはいられないからだ。(略)要は書きたいことだけを書いているに過ぎない。(略)末期ガンを患ったあとの魂の軌道を報告しているとしかいいようがない。(略)。この本もまだ私は生きているぞという報告なのだ。(略)。
私は、詩人とは書かずにはいられないものも書いている人、ただそれだけだと考えています。
そして文学は、投げ込まれた時間のなかで、なぜ生きているのか、真理を求め問いかけてもわからない人間が、それでも今生き感じて心に抱いている、自分にとってほんとうのこと、真実を、言葉の花として咲かせること、だと考えています。感動の花の姿は、色とりどり、個性豊かな違いがあればあるほど、いいと思います。
田川さんの花は、とても素朴な、だからこそ、いちばん美しいと感じてしまう、小さな野の花です。こころのはだかの思いです。見つめ、感じ、微風をともに感じ、同じ瞬間ともにふるえることが、野の花を愛することだと私は思います。
私の心が木魂した言葉を、とても自由に、以下に抜き出しました。読者ひとりひとりの方が、野の花のいろんな表情を、この本から聴きとって頂けたらと願います。
☆ お知らせ
詩語りライブ「いのちを語ろう 第10回」
田川紀久雄 宮澤賢治「青森挽歌」、自作詩『慈悲』
坂井のぶこ 麻生知子詩集、自作詩『浜川崎から』
野間 明子 自作詩
日時:2013年3月16日(土)午後2時より(午後1時40分開場)。
場所:東鶴堂ギャラリー。JR鶴見駅徒歩5分、京急鶴見駅徒歩2分。
鶴見中央4‐16‐2 田中ビル3F(TEL045‐502‐3049)。
料金:2000円
2013年03月13日
大野誠夫の短歌。根っからの抒情歌人。
ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
今回の歌人は大野誠夫(おおの・のぶお、1914年・大正3年、茨城県生まれ、1984年・昭和59年没)です。
彼の歌も私は初めて知りましたが、哀しみ、哀感が響く抒情歌が心に響いてきて好きになりました。10首を選びました。
一、二、四首目は、夜、雪、裸木、星座、女性、音楽と、世界中のロマン派、抒情詩人が好む情景が歌われ、抒情歌そのもので、私はいいなと感じます。
三、五首目には敗戦後の世相が焼くつけられています。白きマフラーは生き残った特攻隊員、丈高き群れは進駐軍、媚びる戦敗国民、ともに深い苦味が滲んでいるような歌です。
六、七、八首目の歌から、この歌人が心やさしい文学者だったことが、とてもよく伝わってきます。
最後の2首は、過ぎ去った愛の時間、愛しあった人を情愛深く想う追憶の歌です。愛を失われても尊いものとして追わずにいられない資質の、天性の、根っからの抒情歌人だと感じます。
出典にある一枚の彼の写真の風貌は、私にはなんとなく作家の太宰治と似ていると感じられるのは、同じ時代を生きていたことと、語り口や心のかたちに似通うものを感じるからです。
歌は本来抒情的なものですが、殺戮と殺伐の散文の時代に生きた抒情歌人と出会えて、私は嬉しく思います。
『薔薇祭』1951年・昭和26年
降誕祭ちかしとおもふ青の夜曇りしめらひ雪ふりいづる
裸木とひかりあをめる星の座のあるに任せて今は眠らむ
兵たりしものさまよへる風の市白きマフラーを巻きゐたり哀し
ゆるやかに踊る女体は匂ふらむワルツの洩るる窓に雪ふる
丈高き群の会話に日本語ありひそかに媚びるこゑまじりつつ
『水観』1986年・昭和61年
夜の室の大蜘蛛草に移したりいつよりか殺生を好まずなりぬ
寂しかるわれをいかばかり慰めし銀幕の星の虚像を愛す
人前に見せぬ泪を劇場の薄闇にゐてとどめんとせず
引き寄せて椿の蔭に奪ひしが唇はいまもひとを忘れず
たのしかり思ひのみいまも残りゐて窓白むまで何語りしや
出典:『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)。
次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
こだまのこだま 動画
☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
☆ Amazonでのネット注文がこちらからできます。
詩集 こころうた こころ絵ほん
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詩集 こころうた こころ絵ほん
今回の歌人は大野誠夫(おおの・のぶお、1914年・大正3年、茨城県生まれ、1984年・昭和59年没)です。
彼の歌も私は初めて知りましたが、哀しみ、哀感が響く抒情歌が心に響いてきて好きになりました。10首を選びました。
一、二、四首目は、夜、雪、裸木、星座、女性、音楽と、世界中のロマン派、抒情詩人が好む情景が歌われ、抒情歌そのもので、私はいいなと感じます。
三、五首目には敗戦後の世相が焼くつけられています。白きマフラーは生き残った特攻隊員、丈高き群れは進駐軍、媚びる戦敗国民、ともに深い苦味が滲んでいるような歌です。
六、七、八首目の歌から、この歌人が心やさしい文学者だったことが、とてもよく伝わってきます。
最後の2首は、過ぎ去った愛の時間、愛しあった人を情愛深く想う追憶の歌です。愛を失われても尊いものとして追わずにいられない資質の、天性の、根っからの抒情歌人だと感じます。
出典にある一枚の彼の写真の風貌は、私にはなんとなく作家の太宰治と似ていると感じられるのは、同じ時代を生きていたことと、語り口や心のかたちに似通うものを感じるからです。
歌は本来抒情的なものですが、殺戮と殺伐の散文の時代に生きた抒情歌人と出会えて、私は嬉しく思います。
『薔薇祭』1951年・昭和26年
降誕祭ちかしとおもふ青の夜曇りしめらひ雪ふりいづる
裸木とひかりあをめる星の座のあるに任せて今は眠らむ
兵たりしものさまよへる風の市白きマフラーを巻きゐたり哀し
ゆるやかに踊る女体は匂ふらむワルツの洩るる窓に雪ふる
丈高き群の会話に日本語ありひそかに媚びるこゑまじりつつ
『水観』1986年・昭和61年
夜の室の大蜘蛛草に移したりいつよりか殺生を好まずなりぬ
寂しかるわれをいかばかり慰めし銀幕の星の虚像を愛す
人前に見せぬ泪を劇場の薄闇にゐてとどめんとせず
引き寄せて椿の蔭に奪ひしが唇はいまもひとを忘れず
たのしかり思ひのみいまも残りゐて窓白むまで何語りしや
出典:『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)。
次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
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2013年03月11日
願い、祈る。詩「いま、ここで」、『日本現代詩選』。
願いと祈りを、東日本大震災でお亡くなりになった方々、今なお苦しみ悲しみを抱いて生活していらっしゃる方々に捧げます。
想いを込め、詩「いま、ここで」を、『日本現代詩選 第36集』(2013年3月1日、日本詩人クラブ刊)に掲載しました。
ホームページの「新しい詩」にも公開しました。
詩「いま、ここで」 (クリックしてお読み頂けます)。
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2013年03月08日
司茜の詩。愛と書く。
詩人の司茜(つかさ・あかね)さんの詩3篇「おっちんして」「二上山」「へいわ」を、私のHP「愛のうたの絵ほん」の「好きな詩・伝えたい花」に掲載させて頂きました。
司茜の詩「おっちんして」「二上山」「へいわ」 (クリックしてお読み頂けます)。
詩「おっちんして」は昨年2012年7月に詩誌「山脈 第二次」で発表された新しい作品、詩「二上山」と詩「へいわ」は、詩集『塩っ辛街道』(2010年思潮社)収録作品です。この詩集で第22回富田砕花賞を受賞されました。
詩「おっちんして」は、詩人が幼少のとき空襲を逃れるため大阪から疎開した若狭の原風景が源にあり、私は心を揺り動かされます。
なつかしい第二の故郷でのゆったりとした子育ての時を愛情に染められて思い起こす詩句に、若狭に原発ドームが林立している現在への想いが覆い被さります。若狭の海の波の音の「しゃわりしゃわり」という表現はとても美しいと感じます。
それだけに現在感じずにはいられない詩人の言葉「おかしくはない/なさけなく/かなしい」が、私の心に木魂する想いが痛みを伝えてくれます。ひらがなのかたちも、やわらかな想いの揺れ動きをそのまま、心に注ぎ込んでくれるようです。
詩「二上山」は関西弁、大阪・河内(かわち)弁の作品です。詩人は大阪現東大阪市のお生まれで、私の故郷は隣ですので、言葉の響きに深い親しみを感じます。
方言のやわらかな弾む独特なリズムと音の特徴を、会話体の、詩句と試練に溶かしこみ活かしていて、言葉の音楽が息づいています。口語詩の良さと可能性はこんなところにあると私は思います。
詩「へいわ」は、展開を織り込んだ詩です。やわらかな言葉で、「へいわって なに」、と身近な人に問いかけ、想いを聴きとっていきます。猫にも尋ねるおかしみに詩人の感受性のやわらかさと、優しい心の温かさを感じます。
ラジオから流れ聴こえる音声も織り込み今そこで聞いているかのように読者を誘い込んで最後にさりげなく、記す詩人の答え。「私は/半紙に/愛と書く」。とても美しいと私は感じ、感動します。
今、詩は量産されているけれど、どうしてこんなに「愛の詩、愛の歌」がないのだろう、と私は感じています。大切に思うもの、何ものにも変えられないものを、心に抱いているなら、詩人は「へいわ」を問い、作品に「愛と書く」人であってほしいと私は願います。
原発ドームの経済効果には決して変えられないものがある、故郷を愛する人から決して奪ってはいけないものがある、悲しんでいる人がいることを忘れてはいけないときがある、そのことを、この詩人は、やわらかな作品で心を暖めるようにして教えてくれます。
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司茜の詩「おっちんして」「二上山」「へいわ」 (クリックしてお読み頂けます)。
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詩「おっちんして」は、詩人が幼少のとき空襲を逃れるため大阪から疎開した若狭の原風景が源にあり、私は心を揺り動かされます。
なつかしい第二の故郷でのゆったりとした子育ての時を愛情に染められて思い起こす詩句に、若狭に原発ドームが林立している現在への想いが覆い被さります。若狭の海の波の音の「しゃわりしゃわり」という表現はとても美しいと感じます。
それだけに現在感じずにはいられない詩人の言葉「おかしくはない/なさけなく/かなしい」が、私の心に木魂する想いが痛みを伝えてくれます。ひらがなのかたちも、やわらかな想いの揺れ動きをそのまま、心に注ぎ込んでくれるようです。
詩「二上山」は関西弁、大阪・河内(かわち)弁の作品です。詩人は大阪現東大阪市のお生まれで、私の故郷は隣ですので、言葉の響きに深い親しみを感じます。
方言のやわらかな弾む独特なリズムと音の特徴を、会話体の、詩句と試練に溶かしこみ活かしていて、言葉の音楽が息づいています。口語詩の良さと可能性はこんなところにあると私は思います。
詩「へいわ」は、展開を織り込んだ詩です。やわらかな言葉で、「へいわって なに」、と身近な人に問いかけ、想いを聴きとっていきます。猫にも尋ねるおかしみに詩人の感受性のやわらかさと、優しい心の温かさを感じます。
ラジオから流れ聴こえる音声も織り込み今そこで聞いているかのように読者を誘い込んで最後にさりげなく、記す詩人の答え。「私は/半紙に/愛と書く」。とても美しいと私は感じ、感動します。
今、詩は量産されているけれど、どうしてこんなに「愛の詩、愛の歌」がないのだろう、と私は感じています。大切に思うもの、何ものにも変えられないものを、心に抱いているなら、詩人は「へいわ」を問い、作品に「愛と書く」人であってほしいと私は願います。
原発ドームの経済効果には決して変えられないものがある、故郷を愛する人から決して奪ってはいけないものがある、悲しんでいる人がいることを忘れてはいけないときがある、そのことを、この詩人は、やわらかな作品で心を暖めるようにして教えてくれます。
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2013年03月07日
斎藤史の短歌。眼に見えぬものを、歌う人。
ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
今回の歌人は斎藤史(さいとう・ふみ、1909年・明治42年東京生まれ、2002年・平成14年没)です。
好きな歌10首を選びました。
一首目は、歌において、イメージの鮮明さもまた大きな魅力であることを思い出させてくれます。三十一文字と言う限られた字数でありながら、伝えられるものは限りなくひろがっていること。この歌は、雪の山のずっと奥ふかくまで、またウサギと重なる白い色彩そのものの無限のひろがり、見開かれた眼をとおして、このうさぎの眼に映しだされてきた世界、そして死の世界までへも、その入り口としてこの歌があります。
二、三、四首目の歌は、この歌人が、表面的には眼に見えないけれど、たしかにあると感じられる密やかなものに、想いを馳せ、美しく歌う人であることを教えてくれます。
五、六首目の歌も、死もまたそのように見えないけれども生に寄り添うようにある、よりおおきな拡がりとして感じ取られ、歌われています。
最後の4首は、年老いた女性として、内省する静かな歌ですが、諦念とさびしさの想いに梳かされるかのように、逆に今はもうないもの、失われてしまったもの、若い女の華やぎ、婚姻の楽しさ、恋のうたが、想いの強さのままに浮き出されているように感じます。
どの歌も想いが静かに流れる言葉の調べが美しく、心に響いてきます。
『うたのゆくへ』1953年・昭和28年
白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り
しなやかに熱きからだのけだものを我の中に馴らすかなしみふかき
花が水がいつせいにふるへる時間なり眼に見えぬものを歌ひたまへな
『ひたくれなゐ』1976年・昭和51年
雪が沁むかぎりなく沁むみづうみのその内奥の暗緑世界
おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり生は
死の側(がは)より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生(せい)ならずやも
『秋天瑠璃』1993年・平成5年
言葉使はぬひとり居つづく夕まぐれもの取落し<あ>と言ひにけり
戀のうた我には無くて 短歌とふ艶(えん)なる衣まとひそめしが
老いたりとて女は女 夏すだれ そよろと風のごとく訪ひませ
婚姻色の魚らきほひてさかのぼる 物語のたのしきはそのあたりまで
出典:『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)。
次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
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今回の歌人は斎藤史(さいとう・ふみ、1909年・明治42年東京生まれ、2002年・平成14年没)です。
好きな歌10首を選びました。
一首目は、歌において、イメージの鮮明さもまた大きな魅力であることを思い出させてくれます。三十一文字と言う限られた字数でありながら、伝えられるものは限りなくひろがっていること。この歌は、雪の山のずっと奥ふかくまで、またウサギと重なる白い色彩そのものの無限のひろがり、見開かれた眼をとおして、このうさぎの眼に映しだされてきた世界、そして死の世界までへも、その入り口としてこの歌があります。
二、三、四首目の歌は、この歌人が、表面的には眼に見えないけれど、たしかにあると感じられる密やかなものに、想いを馳せ、美しく歌う人であることを教えてくれます。
五、六首目の歌も、死もまたそのように見えないけれども生に寄り添うようにある、よりおおきな拡がりとして感じ取られ、歌われています。
最後の4首は、年老いた女性として、内省する静かな歌ですが、諦念とさびしさの想いに梳かされるかのように、逆に今はもうないもの、失われてしまったもの、若い女の華やぎ、婚姻の楽しさ、恋のうたが、想いの強さのままに浮き出されているように感じます。
どの歌も想いが静かに流れる言葉の調べが美しく、心に響いてきます。
『うたのゆくへ』1953年・昭和28年
白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り
しなやかに熱きからだのけだものを我の中に馴らすかなしみふかき
花が水がいつせいにふるへる時間なり眼に見えぬものを歌ひたまへな
『ひたくれなゐ』1976年・昭和51年
雪が沁むかぎりなく沁むみづうみのその内奥の暗緑世界
おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり生は
死の側(がは)より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生(せい)ならずやも
『秋天瑠璃』1993年・平成5年
言葉使はぬひとり居つづく夕まぐれもの取落し<あ>と言ひにけり
戀のうた我には無くて 短歌とふ艶(えん)なる衣まとひそめしが
老いたりとて女は女 夏すだれ そよろと風のごとく訪ひませ
婚姻色の魚らきほひてさかのぼる 物語のたのしきはそのあたりまで
出典:『現代の短歌 100人の名歌集』(篠弘編著、2003年、三省堂)。
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2013年03月05日
五島美代子の短歌(二)。人間の心と感受性の歌。
ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
前回に続き歌人は五島美代子(ごとう・みよこ、1898年・明治31年東京生まれ、1978年・昭和53年没)の人間性ゆたかな歌、今回は15首です。
最初の6首には、この歌人のいのちと人間と社会を見つめるまなざしの深さを感じます。文学や詩歌は、人間には決してわからない「真理」を主張するのではなく、生きている時間、瞬間の真実を言葉で伝えようとする芸術だと私は考えていますが、これらの歌に私は彼女の真実を聞く想いがします。
特に6首目の「凡愚」という言葉にそのことを強く感じます。「正義」や「真理」や「主義」や「合理性」の錦の御旗を平然と掲げ戦争を正当化する者たちは、自らを謙虚に「凡愚」とは決して認めないからです。けれど政治経済的な力のバランスが変わると、掲げていた御旗はあっさりは正反対のものにすげられてしまうことが、人類史にはあふれているからです。
次の2首は、母への、最後の7首は長女への、鎮魂歌です。悲しく、痛く、心打たれる歌です。このような歌には余計な感想はじゃまで、読者のこころが直に自分の心に感じゆれるほかにない、そのようなよい歌だと私は感じます。
五島美代子の歌につよく思うのは、少なくとも私にとって、好きだなと感じ、読んでよかったと感じ、心ゆたかになれたと感じるのは、心と感受性に強く焼きつけられ人間としての想いが言葉にせずにいられなくてふるえだした歌だということです。
そして表現の仕方という点では、詩歌は言葉の芸術だから言葉を大切に表現するのは当たり前のことですが、理性・知性・機智で言葉を道具として巧みに用いて形作ること自体が目的化してしまい目立ってしまうのは(前衛的だともてはやされても一時的な流行にすぎず)貧弱なことで、より素晴らしく他者に伝わり心に響く表現とは、息遣いのように息するように、肉声の強弱や抑揚やかすれに感情や想いがくるまれて届けられるような、愛する人の声が間近に聞こえてくるような言葉だということです。いいかえると、演奏の伴わない言葉だけによる歌、それが良い詩歌だと私は思います。
だから私は(歌壇での評価は知らず気にしませんが)、彼女の歌が好きだし、とても心に響く良い歌だと思います。
自選歌集『そらなり』1971年・昭和46年
自(し)が子らを養ふと人の子を屠(ほふ)りし鬼子母神のこころ時にわが持つ
愛情のまさる者先づ死にゆきしとふ方丈記の飢饉(ききん)描写はするどし
親は子に男女(をとこをみな)は志ふかき方より食をゆづりしと
ベートーヴェンが見たりし月夜こよひひそかにこの国照らせり敗れし国を
半面のかがやき思ひわがねむるこの半球は春の闇なり
戦争中より明らかに眼ひらきゐしといふ人らと異なり凡愚のわれは
われと娘と深夜よそひしなきがらの母の重みは今も手にあり
われ一人やしなひましし母の乳焼かるる日まで仄(ほの)に赤かりき
この向きにて初(うひ)におかれしみどり児の日もかくのごと子は物言はざりし(長女ひとみ急逝)
花に埋もるる子が死に顔の冷めたさを一生(ひとよ)たもちて生きなむ吾か
棺の釘打つ音いたきを人はいふ泣きまどゐて吾はきこえざりき
わが胎(たい)にはぐくみし日の組織などこの骨片には残らざるべし
冥路(よみぢ)まで追ひすがりゆく母われの妄執を子はいとへるならむ
亡き子来て袖ひるがへしこぐとおもふ月白き夜の庭のブランコ
元素となりしのみにはあらざらむ亡き子はわれに今もはたらく
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
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詩集 こころうた こころ絵ほん
前回に続き歌人は五島美代子(ごとう・みよこ、1898年・明治31年東京生まれ、1978年・昭和53年没)の人間性ゆたかな歌、今回は15首です。
最初の6首には、この歌人のいのちと人間と社会を見つめるまなざしの深さを感じます。文学や詩歌は、人間には決してわからない「真理」を主張するのではなく、生きている時間、瞬間の真実を言葉で伝えようとする芸術だと私は考えていますが、これらの歌に私は彼女の真実を聞く想いがします。
特に6首目の「凡愚」という言葉にそのことを強く感じます。「正義」や「真理」や「主義」や「合理性」の錦の御旗を平然と掲げ戦争を正当化する者たちは、自らを謙虚に「凡愚」とは決して認めないからです。けれど政治経済的な力のバランスが変わると、掲げていた御旗はあっさりは正反対のものにすげられてしまうことが、人類史にはあふれているからです。
次の2首は、母への、最後の7首は長女への、鎮魂歌です。悲しく、痛く、心打たれる歌です。このような歌には余計な感想はじゃまで、読者のこころが直に自分の心に感じゆれるほかにない、そのようなよい歌だと私は感じます。
五島美代子の歌につよく思うのは、少なくとも私にとって、好きだなと感じ、読んでよかったと感じ、心ゆたかになれたと感じるのは、心と感受性に強く焼きつけられ人間としての想いが言葉にせずにいられなくてふるえだした歌だということです。
そして表現の仕方という点では、詩歌は言葉の芸術だから言葉を大切に表現するのは当たり前のことですが、理性・知性・機智で言葉を道具として巧みに用いて形作ること自体が目的化してしまい目立ってしまうのは(前衛的だともてはやされても一時的な流行にすぎず)貧弱なことで、より素晴らしく他者に伝わり心に響く表現とは、息遣いのように息するように、肉声の強弱や抑揚やかすれに感情や想いがくるまれて届けられるような、愛する人の声が間近に聞こえてくるような言葉だということです。いいかえると、演奏の伴わない言葉だけによる歌、それが良い詩歌だと私は思います。
だから私は(歌壇での評価は知らず気にしませんが)、彼女の歌が好きだし、とても心に響く良い歌だと思います。
自選歌集『そらなり』1971年・昭和46年
自(し)が子らを養ふと人の子を屠(ほふ)りし鬼子母神のこころ時にわが持つ
愛情のまさる者先づ死にゆきしとふ方丈記の飢饉(ききん)描写はするどし
親は子に男女(をとこをみな)は志ふかき方より食をゆづりしと
ベートーヴェンが見たりし月夜こよひひそかにこの国照らせり敗れし国を
半面のかがやき思ひわがねむるこの半球は春の闇なり
戦争中より明らかに眼ひらきゐしといふ人らと異なり凡愚のわれは
われと娘と深夜よそひしなきがらの母の重みは今も手にあり
われ一人やしなひましし母の乳焼かるる日まで仄(ほの)に赤かりき
この向きにて初(うひ)におかれしみどり児の日もかくのごと子は物言はざりし(長女ひとみ急逝)
花に埋もるる子が死に顔の冷めたさを一生(ひとよ)たもちて生きなむ吾か
棺の釘打つ音いたきを人はいふ泣きまどゐて吾はきこえざりき
わが胎(たい)にはぐくみし日の組織などこの骨片には残らざるべし
冥路(よみぢ)まで追ひすがりゆく母われの妄執を子はいとへるならむ
亡き子来て袖ひるがへしこぐとおもふ月白き夜の庭のブランコ
元素となりしのみにはあらざらむ亡き子はわれに今もはたらく
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
こだまのこだま 動画
☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
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詩集 こころうた こころ絵ほん
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詩集 こころうた こころ絵ほん
2013年03月03日
五島美代子の短歌(一)。母も育ちたし、子を、娘を愛して。
ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
今回の歌人は五島美代子(ごとう・みよこ、1898年・明治31年東京生まれ、1978年・昭和53年没)です。
私は出典の本を通読しながら、好きな歌に印をつけ、その数が多い歌人をとりあげていますが、いちばん多くその印をつけていたのが、初めて出会ったこの歌人でした。彼女のようなヒューマニズム、人間性あふれた歌人がもっと知られてよいと私は感じます。二回に分けて見つめます。
今回は17種です。短歌が難しい言葉を選ばなくても、とても豊かな心を伝えられる歌だということを、この歌人は教えてくれます。
最初の10首は、胎に子を宿したときから孫との時間まで長い年月に歌われていますが、この作者が一貫して、幼い子、稚い子どものすぐそばで、優しいまなざしをそそぎ、見守り、ともに過ごす時間を慈しんだひとだと伝わってきて、私はとてもよいと感じます。この人は子どもに与えながら、より多くのものを得ることができたひとだと感じ、私も暖かいちからを受けとれて、好きだなと思えます。
次の5首は、思春期の娘を、母のまなざしで見守る歌です。
これらの歌に私は以前みつめた詩人・征矢泰子の詩「征矢泰子の詩(二)。はなのようだ。娘に。」とのこだまを感じずにいられません。
どちらの詩も短歌も、母と娘のあいだでしかわからない細やかな思いと感情の交わりが美しいと思います。
最後の2首は、この歌人が子どもに深い愛情を注ぎながらも、対等な人間どうしが、ともに育つものと考え生きたことが伺えます。奉仕でもなく犠牲でもなく、愛し合って生きようとするメッセージに私は共感します。
優しく思いの深い人の心を歌う歌人に出会えたことを、私は嬉しく思います。
自選歌集『そらなり』1971年・昭和46年
胎動のおほにしづけきあしたかな吾子の思ひもやすけかるらし
あぶないものばかりも持ちたがる子の手から次次にものをとり上げてふつと寂し
いひたいことにつき当つて未だ知らない言葉吾子はせつなく母の目を見る
母を分けて得つるいもうとかき抱(いだ)き吾子が睫(まつげ)のとみにか黒さ
手さぐりに母をたしかめて乳のみ児は灯火管制の夜をかつがつ眠る
あけて待つ子の口のなかやはらかし粥(かゆ)運ぶわが匙に触れつつ
ひたひ髪吹き分けられて朝風にもの言ひむせぶ子は稚(いとけ)なし
一つとりしえびがにを手にいきみゐる小童(こわつぱ)よ勁(つよ)く大きく育てよ
起きくるいつの間にかわれも本気になりてゐる三歳(みつ)の子さまざまにわが愛ためす
おばあちやまはほどけてゐるといはれたり まことほどけてこの子と遊べる
手の内に飛び立たむとする身じろきの娘(こ)は母われを意識すらしも
女身(にょしん)の道さからひかねてをとめづく娘(こ)はまみうるみ時にすなほなり
ひそやかに花ひらきゆくこの吾子(わこ)の身内(みうち)のものにおもひ至りつ
花とけもの一つに棲(す)めるをとめ子はひる深くねむり眠りつつ育つ
眠りつづけ眠り足らひて起きくればきよとんと春の日のをとめなり
母われも育ちたし育ちたしと思へば吾子をおきても行くなり
力いつぱい生ききりて吾の枯るるときおのづから子に移るものあらむ
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
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今回の歌人は五島美代子(ごとう・みよこ、1898年・明治31年東京生まれ、1978年・昭和53年没)です。
私は出典の本を通読しながら、好きな歌に印をつけ、その数が多い歌人をとりあげていますが、いちばん多くその印をつけていたのが、初めて出会ったこの歌人でした。彼女のようなヒューマニズム、人間性あふれた歌人がもっと知られてよいと私は感じます。二回に分けて見つめます。
今回は17種です。短歌が難しい言葉を選ばなくても、とても豊かな心を伝えられる歌だということを、この歌人は教えてくれます。
最初の10首は、胎に子を宿したときから孫との時間まで長い年月に歌われていますが、この作者が一貫して、幼い子、稚い子どものすぐそばで、優しいまなざしをそそぎ、見守り、ともに過ごす時間を慈しんだひとだと伝わってきて、私はとてもよいと感じます。この人は子どもに与えながら、より多くのものを得ることができたひとだと感じ、私も暖かいちからを受けとれて、好きだなと思えます。
次の5首は、思春期の娘を、母のまなざしで見守る歌です。
これらの歌に私は以前みつめた詩人・征矢泰子の詩「征矢泰子の詩(二)。はなのようだ。娘に。」とのこだまを感じずにいられません。
どちらの詩も短歌も、母と娘のあいだでしかわからない細やかな思いと感情の交わりが美しいと思います。
最後の2首は、この歌人が子どもに深い愛情を注ぎながらも、対等な人間どうしが、ともに育つものと考え生きたことが伺えます。奉仕でもなく犠牲でもなく、愛し合って生きようとするメッセージに私は共感します。
優しく思いの深い人の心を歌う歌人に出会えたことを、私は嬉しく思います。
自選歌集『そらなり』1971年・昭和46年
胎動のおほにしづけきあしたかな吾子の思ひもやすけかるらし
あぶないものばかりも持ちたがる子の手から次次にものをとり上げてふつと寂し
いひたいことにつき当つて未だ知らない言葉吾子はせつなく母の目を見る
母を分けて得つるいもうとかき抱(いだ)き吾子が睫(まつげ)のとみにか黒さ
手さぐりに母をたしかめて乳のみ児は灯火管制の夜をかつがつ眠る
あけて待つ子の口のなかやはらかし粥(かゆ)運ぶわが匙に触れつつ
ひたひ髪吹き分けられて朝風にもの言ひむせぶ子は稚(いとけ)なし
一つとりしえびがにを手にいきみゐる小童(こわつぱ)よ勁(つよ)く大きく育てよ
起きくるいつの間にかわれも本気になりてゐる三歳(みつ)の子さまざまにわが愛ためす
おばあちやまはほどけてゐるといはれたり まことほどけてこの子と遊べる
手の内に飛び立たむとする身じろきの娘(こ)は母われを意識すらしも
女身(にょしん)の道さからひかねてをとめづく娘(こ)はまみうるみ時にすなほなり
ひそやかに花ひらきゆくこの吾子(わこ)の身内(みうち)のものにおもひ至りつ
花とけもの一つに棲(す)めるをとめ子はひる深くねむり眠りつつ育つ
眠りつづけ眠り足らひて起きくればきよとんと春の日のをとめなり
母われも育ちたし育ちたしと思へば吾子をおきても行くなり
力いつぱい生ききりて吾の枯るるときおのづから子に移るものあらむ
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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2013年03月01日
三ヶ島葭子の短歌。悲しみ、苦しみ、夭逝。歌。
ここ百年ほどの時間に歌われた詩歌から、短歌の形で咲いた心の花をみつめています。
今回の歌人は三ヶ島葭子(みかじま・よしこ、1886年・明治19年埼玉県生まれ、1913年・昭和2年没)です。
生年没年からわかるように彼女は二十代でなくなりました。
内面を自己凝視し、あふれるものを真率に吐露する、まっすぐな歌風なので、家庭内の不和からの苦しみと悲しみが、言葉に滲んでいます。
彼女の歌に感じるのは、鋭敏な感受性が本来の資質のままにのびゆけずに、時代と生活の制約に押し込められ歪められた呻きと痛みです。
ただ、忘れてはならないのは、彼女はそのようにしか生きられない生活の中でさえ歌ったことです。歌に対する資質と強い意思がなければできないことです。
夫との不和。子どもと引き離されたこと。そんななかでも、歌った姿は、金子みすゞもそうですが、この時代に生きた多くの女性が声にすらできなかった思いを、今もわたしに教え感じとらせてくれます。
彼女の歌から私の心に強く響いた歌を9首選びました。
最初の4首は、子どもを歌っていますが、特に2首目と3首目の赤ん坊にそそぐまなざしの愛情の深さがあって初めて感受できる歌は、とても美しいと思います。
7首目の引き離された子を思う歌は悲しいとしか、いいようがありません。
5、6、8、9首目の歌に、彼女の自己凝視の強さと、歌にして書きつけることで、辛うじて生きているような、危うさ、絶望の断崖の淵に立ち尽くす叫びにちかい声が響いています。
どれも悲しく苦しい歌ですが、その懸命さを歌として伝えてくれたことに、私は心を打たれます。
『三ヶ島葭子全歌集』1934年・昭和9年まづ何をおぼえそむらむ負はれてはかまどに燃ゆる火など覗く子
親のかほけさやうやくに見いでたる瞳はいまだ水のごとしも
鈴ふればその鈴の音を食はむとするにやあはれわが子口あく
らんぷの灯届かぬ部屋に寝たる子の柔き髪寄りて撫でつも
たまゆらのわれの心に漲(みなぎ)りしかの憎しみを人は知らぬなり
死にたりと聞きて心のおちつきぬ死にたる弟思ひつつねむ
さかりゐる一人の吾子を思ひつつ眼つぶりて飯かきこみぬ
惜しきもの一つも無しと思ひつつ室の真中にひとり立りをり
今にして人に天甘ゆる心あり永久(とは)に救はれがたきわれかも
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
次回も、歌人の心の歌の愛(かな)しい響きに耳を澄ませます。
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今回の歌人は三ヶ島葭子(みかじま・よしこ、1886年・明治19年埼玉県生まれ、1913年・昭和2年没)です。
生年没年からわかるように彼女は二十代でなくなりました。
内面を自己凝視し、あふれるものを真率に吐露する、まっすぐな歌風なので、家庭内の不和からの苦しみと悲しみが、言葉に滲んでいます。
彼女の歌に感じるのは、鋭敏な感受性が本来の資質のままにのびゆけずに、時代と生活の制約に押し込められ歪められた呻きと痛みです。
ただ、忘れてはならないのは、彼女はそのようにしか生きられない生活の中でさえ歌ったことです。歌に対する資質と強い意思がなければできないことです。
夫との不和。子どもと引き離されたこと。そんななかでも、歌った姿は、金子みすゞもそうですが、この時代に生きた多くの女性が声にすらできなかった思いを、今もわたしに教え感じとらせてくれます。
彼女の歌から私の心に強く響いた歌を9首選びました。
最初の4首は、子どもを歌っていますが、特に2首目と3首目の赤ん坊にそそぐまなざしの愛情の深さがあって初めて感受できる歌は、とても美しいと思います。
7首目の引き離された子を思う歌は悲しいとしか、いいようがありません。
5、6、8、9首目の歌に、彼女の自己凝視の強さと、歌にして書きつけることで、辛うじて生きているような、危うさ、絶望の断崖の淵に立ち尽くす叫びにちかい声が響いています。
どれも悲しく苦しい歌ですが、その懸命さを歌として伝えてくれたことに、私は心を打たれます。
『三ヶ島葭子全歌集』1934年・昭和9年まづ何をおぼえそむらむ負はれてはかまどに燃ゆる火など覗く子
親のかほけさやうやくに見いでたる瞳はいまだ水のごとしも
鈴ふればその鈴の音を食はむとするにやあはれわが子口あく
らんぷの灯届かぬ部屋に寝たる子の柔き髪寄りて撫でつも
たまゆらのわれの心に漲(みなぎ)りしかの憎しみを人は知らぬなり
死にたりと聞きて心のおちつきぬ死にたる弟思ひつつねむ
さかりゐる一人の吾子を思ひつつ眼つぶりて飯かきこみぬ
惜しきもの一つも無しと思ひつつ室の真中にひとり立りをり
今にして人に天甘ゆる心あり永久(とは)に救はれがたきわれかも
出典:『現代の短歌』(高野公彦編、1991年、講談社学術文庫)。
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