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高畑耕治
高畑耕治

2013年09月29日

種田山頭火。喰ひ入る瞳。自由律俳句(十八)

 自由律俳句を己の人生に重ねた強烈な個性の俳人、種田山頭火(たねだ・さんとうか。明治十五年・1882~年昭和十五年・1940年、山口県生まれ)を前回から見つめています。

 以下、出典から私の心に特に響いた句を選び、似通うものを感じた句にわけました。「☆放浪をうたう(一)(二)(三)」、「♪音楽的な、調べの歌(一)(二)(三)」、「★戦時の句」の7回としました。

 最終の今回は「★戦時の句」です。一句一句について、◎印の後に私の詩想を記していきます。

 種田山頭火の没年は昭和十五年・1940年、太平洋戦争勃発の前年、日中戦争の最中です。放浪の旅に生きた彼が、晩年に、戦時、戦争に翻弄される人の姿を凝視し、うたっていたことを知り、私は感銘を受けました。
 ここに、人間の心をうたう本物の詩人の姿を見ます。

 ★ 戦時の句

     街頭所見

  月のあかるさはどこを爆撃してゐることか

  ふたたびは踏むまい土を踏みしめて征く


◎一句目には、爆撃の愚かさと爆撃されている人を想う心、嘆きを私は感じます。
二句目は、当時、戦地へと出征する兵士を見送る際には「万歳」を唱えることを強制されていたなかで、禁じられていた表現に踏み込んでいます。戦争は死にに征くことだと。真実を表現しようとする作者の強い意思を私は感じます。

     戦死者の家

  ひつそりとして八ツ手花咲く


◎「お国のために死ぬことは美徳で喜ぶべきこと」と情を曲げ隠して演じることを強制されていた時代にも、死の悲しみを静かに想う鎮魂の句です。

     遺骨を迎ふ

  もくもくとしてしぐるる白い函をまへに

  山裾あたたかなここにうづめます


◎一句目は、戦地で殺され骨となあって故郷に戻ってきた戦死者、白い函の遺骨をまえに、強制された美徳を演じることを拒み、「しぐるる」、言葉を失い涙を流し悲しんでいます。本当の気持ち、真実のうたふだけが詩歌だからです。
 二句目は、死者への鎮魂の、弔いの言葉そのものです。遺骨を迎えた肉親は誰もがこのように涙し、言いたかったけれども、それさえ奪っていた社会の歪みを思います。

     遺骨を抱いて帰郷する父親

  ぽろぽろしたたる汗がましろな函に

  お骨声なく水のうへをゆく


◎悲しいうたです。戦死者はもう何も語れません。その無念の深さが染み出してくるような句です。

  みんな出て征く山の青さのいよいよ青く

◎村の男たちは狩り出されてゆき、戻ってきませんでした。二度と戻ってこれないだろうと思いつつ、戦地へ行くことを強制されました。山頭火の死へ送りこまれる「みんな」への眼差しを感じます。

     歓送

  これが最後の日本の御飯を食べてゐる、汗

  ぢつと瞳が瞳に喰ひ入る瞳


◎戦地へと征く兵士を見送る最後の別れの時にさえ、肉親も万歳と唱えることを強制されていました。
一句目は、殺し合いの場へ死ににいく人間の思いの真実を、二句目は、愛し合う肉親を引き離し奪った最後の別れの時の真実を、とても痛く、凝縮させています。悲しみが心に刻み込まれてくるような、とても強く迫ってくる句です。

     戦傷兵士

  足は手は支那に残してふたたび日本に


◎戦争の残酷を隠さず見据え、言葉にした山頭火の強い意思を感じます。あからさまな「反戦」の文字を叫ばなくても、ひとりひとりの心、思いの真実をまっすぐ見つめるとき、愛する者が殺し合いの場に連れ去られ苦しみ殺されることを喜ぶ者はいません。
 その当たり前のことさえ奪い行えなくさせてしまうのは、国家の、社会の。為政者の歪みと悪です。山頭火は心の真実を決して曲げずに句にすることを貫くことで、その間違いと醜さを照らし出しました。

 文学、詩歌だからこそ持ちえ伝えられるもの、暴力ではなく、人間から人間の心に伝わり揺らしい波立たせるものが、ここにあることを、種田山頭火は教えてくれます。

 出典『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房)

 次回は、種田山頭火が昭和十五年・1940年に亡くなった後、昭和二十年・1945年まで続いた戦争に、一兵卒として召集され、戦地で自由律俳句を創った俳人・山田句塔を見つめます。




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 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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  • Posted by 高畑耕治 at 19:00

    2013年09月27日

    種田山頭火。あの山なみの雪の。自由律俳句(十七)

     自由律俳句を己の人生に重ねた強烈な個性の俳人、種田山頭火(たねだ・さんとうか。明治十五年・1882~年昭和十五年・1940年、山口県生まれ)を前回から見つめています。

     以下、出典から私の心に特に響いた句を選び、似通うものを感じた句にわけました。「☆放浪をうたう(一)(二)(三)」、「♪音楽的な、調べの歌(一)(二)(三)」、「★戦時の句」の7回になります。

     今回は「♪音楽的な、調べの歌(三)」です。一句一句について、◎印の後に私の詩想を記していきます。

     ♪ 音楽的な、調べの歌(三)

      ふるさとはあの山なみの雪のかがやく

    ◎とても美しい音楽的な句。冒頭の句「ふるさとfUrUsatO」は母音ウU音で静かにうたいだし、「あのやまあなみAnoyAmAnAmi」「かがやくkAgAyAku」が明るく開ける母音アA音を山並みの頂のような調べの高みを波うたせています。「ゆきyuKI」と「かがやくKaGayaKu」の子音K音は目立ちませんが、鋭い音で光の輝きを放っています。三回表れる「のnO」は高みから平地の降りるような落ち着いたリズム感を生んでいます。

      うららかな鐘を撞かうよ

    ◎冒頭の「うららかなURARAKAnA」という母音アA音を連ねた響きは、明るい鐘の音色のようです。「かなKANa」と「かねKANe」と音が美しく変化しつつ木魂しています。「つこうよ」と呼びかけの声が伸びやかに鐘の音とともに拡がっていきます。
     ひらがなにただ二つ置かれた漢字の「鐘」と「撞く」は、おなじ「童」の形で微笑んでいます。
    種田山頭火は、心そのままをうたう詩人であると同時に、何年にもわたって句の推敲をした言葉による表現、創作にこだわる芸術家でした。私はその両面をいったいにしようとした生き方をとても尊敬します。

      あうたりわかれたりさみだるる

    ◎「たり」の繰り返しが調べの波の浮き沈みつくっています。「さみだるる」は「るるRURU」が液体が流れるような音感を生んでいます。「さみだsAMIDA」には「なみだnAMIDA」が潜み溶け込んでいるように感じます。
     標記をひらがなばかりにしたのも、心が濡れて流れるさまを、やわらかく伝えたかったからだと思います。

      山ふところの、ことしもここにりんだうの花

    ◎冒頭と最後だけ、ともに一字の漢字で二音の「山yAmA」「花hAnA」が明るい母音アA音を奏で浮きだし呼び合っています。中間部は転調していて、「ふところの、ことしもここにりんどうfutOkOrOnO kOtOsimOkOkOni rindO」と、母音オO音がリズミカルな鼓動を響かせています。
     大きな山全体の広がりから入って、焦点を小さな花にまで絞り込んで行く、視点の動きも印象的な句です。

      産んだまま死んでゐるかよかまきりよ

    ◎「死んでゐるかよ」の「かよ」の何とも言い難い悲しみの入り混じったニュアンスと、死んでいる虫に語りかける「かまきりよ」が心に波紋を揺らし続けます。「産んだまま死んでゐる」、いのちを凝視する思いが強く心に迫ってくる句です。

      秋風、行きたい方へ行けるところまで

    ◎読点「、」の前後の対比、二文字の「秋風」と十四文字の後半部の、短さと長さが、等しく置かれていて、印象的です。「行きたい」を変化させ繰り返すことで最後の「行けるところまで」に込められた思いの強さが伝わってきます。

      日が山に、山から月が、柿の実たわわ

    ◎この句は読点「、」でほぼ心理的に三等分して、視点三つ対象に等しく注がせます。与謝蕪村の句「菜の花や月は東に日は西に」を想起し意識していて、四方を山で囲まれていることを上手く描きだしています。
     「日」、「月」、「柿の実」それぞれが、「たわわ」というやわらかな詩語により、とても丸いかたちで、並び、重なり、心に浮かびあがります。

      鳥とほくとほく雲に入るゆくへ見おくる

    ◎想いを遥か遠くまで馳せさせてくれる句です。「鳥」「とおくとおく」は「とTO」の音が頭韻のようです。「とおくとおく」の繰り返し、「くも」、「ゆくへ」、「みおくる」に繰り返し浮かぶ「くKU」の音、母音ウU音とオO音が、鳥が風に乗り上下しつつ飛ぶような調べを生んでいます。

      山のしづけさは白い花

    ◎簡潔な美しい句です。「しずけさ」「しろ」の「しSI」の清楚な澄む音が、「静けさ」「白」のイメージとともに調和した世界をかもし出しています。

     出典『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房)

     次回は、種田山頭火の句をみつめる「★戦時の句」です。




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     『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
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  • Posted by 高畑耕治 at 19:00

    2013年09月25日

    種田山頭火。ひつそり咲いて。自由律俳句(十六)

     自由律俳句を己の人生に重ねた強烈な個性の俳人、種田山頭火(たねだ・さんとうか。明治十五年・1882~年昭和十五年・1940年、山口県生まれ)を前回から見つめています。

    以下、出典から私の心に特に響いた句を選び、似通うものを感じた句にわけました。「☆放浪をうたう(一)(二)(三)」、「♪音楽的な、調べの歌(一)(二)(三)」、「★戦時の句」の7回になります。

    今回は「☆放浪をうたう(三)」です。一句一句について、◎印の後に私の詩想を記していきます。

     ☆ 放浪をうたう(三)

      昼寝さめてどちらを見ても山

    ◎最後の置かれた一語「山」を読んだ瞬間に広がるイメージの広大な世界、緑の山並みのただ中、奥深い山中にひとり、自分も置かれているような気持ちになります。

      あるがまま雑草として芽をふく

    ◎自然の営み、いのちの不可思議さを、山頭火がどのように受けとめたかを、そのままうたったように感じます。「芽をふく」という生命力のある詩語をえらんだ心に私は共感します。

      ひつそり咲いて散ります

    ◎前の句と通い合うものがありますが、「散ります」と、静かにつつましく穏やかな語調が、心に沁みます。創作表現すること自体に必ずある「力み」が洗い流されきった、自然体になっているのは、世俗生活を捨て、放浪の旅を歩き続けて初めて得られるもののように私は思います。いいなと心に残る句です。

      春の雪ふる女はまことうつくしい

    ◎詩歌は、心が高められた、感動であることを教えてくれるような句です。
    この句は、春に降る雪のなかに佇んでいた、ひとりの、おそらく見知らぬ、旅での行きずりの、女性を見たときに生まれ出た「ああ美しい」という感動の言葉だと思います。
     その感動、心の高まりは、「まこと」の直後に置、間(ま)、無音、一瞬止まる時、があることでわかります。続く「うつくしい」という言葉は、感動の心のふるえが5音の姿「う」「つ」「く」「し」「い」を借りて流れ出した心そのもののように感じます。

      ひらひら蝶はうたへない

      てふてふもつれつつかげひなた

      ぬれててふてふどこへゆく

    ◎蝶に共感し、いのち、はかなさをうたった三句。
     一句目は、反語の響きを感じます。同じはかないいのちだけれど、「人だから私はうたえる」という意思の。
     二句目は、情景が鮮やかに浮かびます。光と影、白と黒を、蝶々ふたり、男と女がもつれあい飛んでゆく姿が美しく心を打ちます。
     三句目は、弱い生きものであることでの共感が響いています。濡れてとぶ蝶々のゆくえさだまらず飛ぶ姿に、放浪の旅を一生とした自らを重ね、うたっています。

      ほんのり咲いて水にうつり

    ◎美しい絵画のような句です。水辺に咲く美しい花、愛する心がやわらかな言葉の歌となって咲いているようです。

      飛んでいつぴき赤蛙

    ◎「いっぴき」という言葉に、おかしみと共感が込められています。自らの生きざまを、赤蛙に重ねながら、自嘲しているのではなく、励ましあっている心を、私は感じます。

     出典『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房)

     次回は、種田山頭火の句をみつめる「♪音楽的な、調べの歌(三)」です。



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  • Posted by 高畑耕治 at 19:00

    2013年09月23日

    種田山頭火。ころり寝ころべば。自由律俳句(十五)

     自由律俳句を己の人生に重ねた強烈な個性の俳人、種田山頭火(たねだ・さんとうか。明治十五年・1882~年昭和十五年・1940年、山口県生まれ)を前回から見つめています。

     以下、出典から私の心に特に響いた句を選び、似通うものを感じた句にわけました。「☆放浪をうたう(一)(二)(三)」、「♪音楽的な、調べの歌(一)(二)(三)」、「★戦時の句」の7回になります。

     今回は「♪音楽的な、調べの歌(二)」です。一句一句について、◎印の後に私の詩想を記していきます。

     ♪ 音楽的な、調べの歌(二)

      花いばら、ここの土とならうよ

    ◎「なろうよ」という花への語りかけの口語に、柔らかな心の肉声が聞こえてくるようです。読点「、」の前後で転調があり調べを波うたせています。「花いばらhAnAibArA」までの主調音は明るい母音アA音が呼びかけの心を優しく響かせます。転じて「ここのつちとなろうよkOkOnOtutitOnarOuyO」の主調音は母音オO音でで、穏やかに落ち着いて語りかけてくる口調が聞こえてくるようです。

      笠をぬぎしみじみとぬれ

    ◎この句は、「ぬぎNUgi」と「NUre」の「ぬ」音が呼び合ってることと子音のN音、「しみじみsIMIjIMI」の母音イI音と子音M音に調べの特徴があります。子音N音と子音M音は、口を閉じ気味に発音する粘性、粘着性、ぬれ、ぬめった感じの音です。この句の雨に濡れる表象と心象を、言葉の音色でかもし出しています。

      お月さまが地蔵さまにお寒くなりました

    ◎「お月さま」「地蔵さま」「お寒く」「ました」と丁寧語を連ね、「様」を「さま」とひらがな表記することで、童話的な世界を浮かび上がらせています。お月さまと地蔵さまの、二人のまあるい顔が向き合い話す情景を思い浮かべると、「お寒くなりました」という季節にも、心がポッと温まる気がします。
     山頭火がこのように感じ、言葉にしてくれたことを、私は嬉しく思います。

      さて、どちらへ行かう風が吹く

    ◎読点「、」で表す間(ま)、無音の静止時間が、印象的な句です。「さて」は2音「、」があり「どちらへいこう」は7音「かぜがふく」が5音で、後半は、定型の十七音の場合と同じ7音+5音です。
     間(ま)、無音の静止時間を、何音分続けるかは読者の自由です。心理的な時間なので気持ちの状態で早まりもし、遅くもなります。種田山頭火でさえ読み返す状態によりに「、」の間の時間は、伸び縮んだと私は思います。

      日かげいつか月かげとなり木のかげ

    ◎作者は「かげ」という言葉を、字形と、音としての両方で、快いと感じて、三回繰り返しています。同音の繰り返しはリズム感も生むので、しつこくさえなければ、快く感じる読者は多いと私は思います。
     また、同じ「かげ」がついて表す表象が、「日」「月」「木」と時間の流れに変化して浮かび上がるのも、印象深く感じる句です。

      ほつかり覚めてまうへの月を感じてゐる

    ◎「ほっかり」という詩句が印象的なので選びました。月を感じていられる人が詩人だと私は思っています。

      ゆらいで梢もふくらんできたやうな

    ◎「きたやうな」と続く言葉、例えば、(気がします)を言わずに止めることで余韻が漂っています。「ゆ」音、「ふ」音、「ような」と、柔らかく感じる音が、詩想の情景を点描しているようにも感じられます。

      ころり寝ころべば青空

    ◎「ころkOrO」の2回の音の繰り返しを快く感じます。「あおぞらあOzOra」にもある母音オO音が主調音で、穏やかな心にさせてくれる好きな句です。

     出典『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房)

     次回は、種田山頭火の句をみつめる「☆放浪をうたう(三)」です。



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  • Posted by 高畑耕治 at 19:00

    2013年09月21日

    種田山頭火。わかれてきた道が。自由律俳句(十四)

     自由律俳句を己の人生に重ねた強烈な個性の俳人、種田山頭火(たねだ・さんとうか。明治十五年・1882~年昭和十五年・1940年、山口県生まれ)を前回から見つめています。

     以下、出典から私の心に特に響いた句を選び、似通うものを感じた句にわけました。「☆放浪をうたう(一)(二)(三)」、「♪音楽的な、調べの歌(一)(二)(三)」、「★戦時の句」の7回になります。

     今回は「☆放浪をうたう(二)」です。一句一句について、◎印の後に私の詩想を記していきます。

     ☆ 放浪をうたう(二)
      
      こほろぎに鳴かれてばかり

    ◎人と話すことなく旅する時間、日数に降り積もる淋しい感慨が、こほろぎの鳴き声となって響いてきて包みこまれる思いになります。「ばかり」という詩句が心の余韻をよく伝えてくれます。

      涸れきつた川を渡る

    ◎旅の情景の動画でありながら、簡潔であることで、読者それぞれに、自らの人生での「涸れきつた川」を思い起こさせる象徴性を孕んでいます。その音の強さと乾燥した音色は、KareKiTTaKawa、子音K音とT音から響きだしています。

      ながい毛がしらが

    ◎あまりに明らかな一つの事実、長く伸びた白髪から、感情が生全体に沁み広がるような句です。旅の時間へも想いが馳せていきます。とびとびに表れる三つの「が」の音が、浮き沈む調べのリズム感を生み出しています。

      うつむいて石ころばかり

    ◎長い旅の道のり、足元の石ころを踏みしめる一歩一歩が、眼に浮かび、想われる句です。この句も「ばかり」の余韻が心に響いてきます。象徴性も孕んでいて、読者の心の形、心の求めに応じて、読者の人生の映像を、鏡となって心に映し出します。「こんな時が私にもあった」と。

      うれてはおちる実をひろふ

    ◎旅の道中での糧とするために行う行為を淡々と言葉にすることで、この句も、人生という旅の象徴だとも感じとらせてくれます。

      ほんにしづかな草の生えては咲く

    ◎「ほんにしづかな」という形容に、作者の想いが沁みこんでいると感じます。「生えては」に続けた言葉「咲く」に、作者の願いが響いているように聞こえます。人もまた、静かに生まれ、生きて、花を咲かせているんだと。

      炎天のはてもなく蟻の行列

    ◎この句は逆に、生の過酷さ、苦しみ、虚しさを、凝視し歌わずにいられない作者を感じます。世俗を脱け出し放浪を続ける作者の眼は、「蟻の行列」に人間社会の縮図を見ていると私は感じます。

      重荷を負うてめくらである

    ◎この句の主語はまず「私・種田山頭火は」だと思います。だからこそ読者一人ひとりの心に、「私・(高畑耕治)は」という主語の波紋を揺さぶり起こします。文学の本質です。
     同時にまた主語を書き表さずに省略する日本語の特質を読み取りの自由度、象徴性を高める良さとして、上手く生かしているとも言えます。主語を言い表さずには文章にならない西欧言語では生み出せない句です。

      わかれてきた道がまつすぐ

    ◎旅で歩いてきた道を振り返る姿は、経てきた人生の時間と出来事を想う姿と、二重写しに重なって、深い感慨を滲みだします。「まっすぐ」という詩句には、その場所場所、その時々には、でこぼこで起伏激しく曲がっていても、過ぎ去り遠く遥かに振り返ると、ただ「まっすぐ」、そのような想いが込められていると、私は思います。旅、放浪の人だからこそ生まれた良い句だと思います。

     出典『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房)

     次回は、種田山頭火の句をみつめる「♪音楽的な、調べの歌(二)」です。



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  • Posted by 高畑耕治 at 19:00

    2013年09月19日

    新しい詩「月」をHP公開しました。

     私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「月」を、公開しました。

       詩「月」   (クリックでお読み頂けます)。

    お読みくださると、とても嬉しく思います。


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  • Posted by 高畑耕治 at 21:30

    2013年09月19日

    種田山頭火。あざみあざやかな。自由律俳句(十三)

     自由律俳句を己の人生に重ねた強烈な個性の俳人、種田山頭火(たねだ・さんとうか。明治十五年・1882~年昭和十五年・1940年、山口県生まれ)を前回から見つめています。

     出典から私の心に特に響いた句を選び、似通うものを感じた句にわけました。「☆放浪をうたう(一)(二)(三)」、「♪音楽的な、調べの歌(一)(二)(三)」、「★戦時の句」の7回になります。

     今回は「♪音楽的な、調べの歌(一)」です。一句一句について、◎印の後に私の詩想を記していきます。

    ♪音楽的な、調べの歌(一)

      しぐるるやしぐるる山へ歩み入る

    ◎冒頭から「しぐるるや」の六音が繰り返され大きな調べの波を揺り起こしています。二回目の「や」の音は「山やま」2音のうちの1音ですが、種田山頭火は、俳句も詩歌という大きな「うた」のうちに捉えていたので、言葉の音に鋭敏です。私は冒頭の「しぐるるや」に呼び起こされた木魂となって「しぐるるやま」が詩句として生まれたのだと感じます。全体は母音イI音が主調音となり雨のように細く響く音を降らせています。

      生死の中の雪ふりしきる

    ◎詩想と音楽が溶け合った美しい句。二つの「の」の音がリズム感を生んでいますが、白い雪の世界にふさわしい音に句全体が染まっています。子音S音と子音K音が主調の母音のイI音と織りなされた「し」と「き」の音が「白い音感」を生み出しています。SeiSINOnakaNO yuKIfurISIKIru。「ゆyu」、「ふfu」、「るru」の音は、雪のような「やわらかな音感」で耳をくすぐります。

      この旅、果もない旅のつくつくぼうし

    ◎切れ字の規則を捨てた自由律俳句ですが、この句ではその間を生む効果を読点「、」が印象深く果たしています。「この旅、」を、果てなくひろげ重ねた「果もない旅」は小波、大波のようです。「つく」「つく」も音楽的です。「つくつくぼうし」は、果てないいのちになきうた作者・人間の象徴に高められていると感じます。

      歩きつづける彼岸花咲きつづける

    ◎「きつづける」の繰り返しが心に残ります。詩想も、歩む動きにつれ、彼岸花の情景がひろがりつづけて、美しい句です。

      すべつてころんで山がひつそり

    ◎「おかしみ」の句。「おかしみ」も人間味ある感情です。前半の激しい小さな動きと、後半の静かなおおきな情景が、「すべって」と「ひっそり」の促音「っ」のある詩句で鮮やかに対比されています。

      また逢へた、山茶花も咲いてゐる

    ◎再会の心の明るさ温かみが主調音のアA音にのって心に拡がります。mAtAAetA sAzAnkAmosAiteiru。
    「まmAた」、「あAえた」、「さSAざんか」、「さSAいて」の初頭音には、頭韻のような快さがあります。

      水音しんじつおちつきました

    ◎水音は「すいおん」「みずおと」「みなおと」のどの読みかわかりません。どう読もうと読者の自由です。後半の「しんじつおちつきました」は平仮名だけの表記のため一音ずつゆっくり読むことになるのと、最後の「ました」という口語の丁寧語が、表現された気持ちをよく表していて、印象深くとても新鮮です。

      ひつそりかんとしてぺんぺん草の花ざかり

    ◎「ひっそりかん」の促音「っ」と「かん」の響き、「ぺん」「ぺん」の響き、「はなざかりhAnAzAkAri」の母音アA音が、作者の軽やかな明るい気持ちをよく奏でています。

      あざみあざやかなあさのあめあがり

    ◎平仮名ばかりの一音ずつを明示する表記と、音楽的な調べそのもの意識し言葉を選ぶことを、種田山頭火は意識して創作しうたっています。この句は「あ」アA 音の句と呼んでもよいほどの、言葉の音楽の句です。
     「AzAmiAzAyAkAnAAsAnoAmeAgAri。16文字16音のうち、12文字12音、4分の3が、母音アA音の花を咲かせています。詩想の、雨上がりのアザミの花が明るく輝きうたっているかのようです。

      ひとりきいてゐてきつつき

    ◎母音イI音が主調音で、子音K音と重ねられた「きKI」音と、「つTU」の、いづれも鋭さと強さのある音が、詩想のきつつきの姿、木をつつく音そのものとなり、響き、聞こえてきます。前の歌とは対照的な音ですが、ともに、山頭火の音にたいする鋭敏さをよく教えてくれます。
     心の感動を言葉で「うたう」詩歌は、言葉の音楽そのものだと、気づかせてくれて、私は嬉しくなります。

     出典『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房)

     次回は、種田山頭火の句をみつめる「☆放浪をうたう(二)」です。



    ☆ お知らせ ☆
     『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
     イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
        こだまのこだま 動画  

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        詩集 こころうた こころ絵ほん


      


  • Posted by 高畑耕治 at 19:00

    2013年09月17日

    種田山頭火。まっすぐな道で。自由律俳句(十二)

     自由律俳句を己の人生に重ねた強烈な個性の俳人、種田山頭火(たねだ・さんとうか。明治十五年・1882~年昭和十五年・1940年、山口県生まれ)を前回から見つめています。

     出典から私の心に特に響いた句を選び、似通うものを感じた句にわけました。「☆放浪をうたう(一)(二)(三)」、「♪音楽的な、調べの歌(一)(二)(三)」、「★戦時の句」の7回になります。

     今回は「☆放浪をうたう(一)」です。一句一句について、◎印の後に私の詩想を記していきます。

    ☆放浪をうたう(一)

      分け入つても分け入つても青い山

    ◎旅の行脚そのものを感じさせる句です。一歩一歩踏みしめる足取りと、奥深い山中の空気の緊張感と孤独が響いてきます。作者の生き様そのもの、生そのものを象徴しているようにも感じとることもできる魅力があります。

      鴉啼いてわたしも一人

    ◎奥深い山中で啼く鴉の声に、自らの姿がいやおうなく重なり、漏れでる「一人」という言葉が心に沁みます。この句も象徴に高まっていて「わたしも」に、読者は自分自身を重ねずにはいられません。

      へうへうとして水を味ふ

    ◎「へうへう」という詩句には、己の行為を外側から客観視する眼差しに生まれる、諧謔性とユーモアが生まれています。「旅していまこうして水を味わっている自分であること、生きていることへの不思議さの感覚、言い換えると感動が水のようにふるえていることが、散文ではない詩歌だと感じさせてくれます。

      まつすぐな道でさみしい

    ◎素直すぎる心の言葉であることが、最も強い表現だと教えてくれる句です。そのままの意味での共感に重なって、「まっすぐな道」という詩句から、生そのものの象徴性が、陽炎のように立ち昇っています。

      木の葉散る歩きつめる

    ◎「木の葉散る」、「歩きつめる」、ともに五文字五音に短く言い切られた簡潔な詩句が独立することで、なおさらイメージ、情景・旅の姿が、折り重なって心にひろがってきます。

      踏みわける萩よすすきよ

    ◎「萩」と「すすき」への心の呼びかけが、読者をその場に引き込みます。自分が「萩」と「すすき」にいま
    触れ踏み分けつつ歩んでいるように感じます。

      ひとりで蚊にくはれてゐる

    ◎この句にも、自分の旅姿を客観視する眼差しを感じます。乾いた眼で、自分と蚊、いのちといのちを対等な重さのものとして並べ、見つめています。

      笠にとんぼをとまらせてあるく

    ◎対等ないのちとして置いているのはこの句も同じですが、この句は、とんぼを「友だち」と感じ、ひとときの瞬間の「友情」を響かせていると私は感じます。

      しぐるるや死なないでゐる

    ◎「し」音、「る」音、「い」音が、詩想に印象的に溶け込んで感じられる音楽的な句ですが、旅での雨の辛さ、苦しさに呼び起こされた後半の思いが、人生の象徴にまで高まって、心を打ちます。

      また見ることもない山が遠ざかる

    ◎感慨の深さが心を揺らします。もう二度と、再び「見ることもない」という別れの想いは、、人である限り誰にとっても切実で心に強く沁みる感情、感動であることを、思い出させてくれる、好きな句です。

     次回は、種田山頭火の句をみつめる「♪音楽的な、調べの歌(一)」です。

     出典『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房)



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  • Posted by 高畑耕治 at 19:00

    2013年09月14日

    新しい詩「星まつり、恋うた」をHP公開しました。

     私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「星まつり、恋うた」を、公開しました。
    (クリックでお読み頂けます)。

      詩「星まつり、恋うた」
        ・ろくでなし恋うた
        ・花火うらない
        ・四季、色彩
        ・星まつり
        ・織姫さまの願い


     長い作品ですが、五つの詩篇を独立してもお読み頂けます。
     お好きな、お気持ちにあいそうな詩を、お読みくだされば、とても嬉しく思います。


     ☆ お知らせ ☆
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  • Posted by 高畑耕治 at 19:30

    2013年09月13日

    種田山頭火。自分の真実をうたふ。自由律俳句(十一)

     今回からは、自由律俳句を己の人生に重ねたもう一人の強烈な個性の俳人、種田山頭火(たねだ・さんとうか。明治十五年・1882~年昭和十五年・1940年、山口県生まれ)を見つめます。

     まず最初に、山頭火が俳句について表明した言葉を引用し、私が想うことを記します。

    以下、出典からの引用です。
    「(前略)うたふもののよろこびは力いつぱいに自分の真実をうたふことである。この意味に於て、私は恥ぢることなしにそのよろこびをよろこびたいと思ふ。(中略)うたふものの第一義はうたふことそのことでなければならない。私は詩として私自身を表現しなければならない。それこそ私のつとめであり同時に私のねがひである。」(昭和九年の秋、其中庵にて 山頭火)
    (引用終わり)
     
     山頭火の「自分の真実をうたふ」と言う言葉は詩歌の本質そのものだと私は深く共感します。
    「普遍的な真理」を求めつつこの生においては得られない人間にも、「自分の」、「真実を」、「うたふ」ことは、嘘偽りなくできます。
    「自分の」を潜り抜け、そこからのものでなければ、本当ではありません。
     また、俳句を詠んだ山頭火が「うたふ」という言葉を選んでいたことも、私にはとても嬉しいことです。詩歌、古代歌謡も和歌も短歌も俳句も詩も根源からの本質は「うたう」言葉であることだからです。

     彼が「よろこび」といっていることにも心打たれます。本物の詩歌人は「うたふこと」が苦しく悲しく痛くてもそこに「よろこび」を感じる人、そうせざるをえない人です。

     彼が続ける言葉。「うたふものの第一義はうたふことそのことでなければならない。」とてもあたありまえのことですが、忘れられがちです。少しばかりの時間と期間に書いて本にして刊行して、それから書かなくなった人を私は詩人だと思いません。本を出していなくても、無名であっても、詩を書いている人、詩歌をうたっている人が、詩人です。書かなくなった人、書けなくなった人、書かずにいられる人は、過去詩人だったにしてももう、詩人ではないと私は自戒もこめて考えています。

     最後に彼が、「私は詩として私自身を表現」と、「詩」という言葉を選んでいることに、心の広さを感じて私は共感します。「俳句」という狭いジャンルに閉じこもる偏狭な意識が微塵もありません。大きく、詩、詩歌をうたうんだと、心を開放して宣言しています。
    「俳句」「短歌」「現代詩」の垣根は、商業的な便益のためと、俳壇、歌壇、詩壇という狭い特権意識を確保するための、拵え物に過ぎず、時間とともに跡形もなく消え去るものに過ぎません。

     「うたふ」ことだけが、詩歌人の、「つとめ」天命、天職であり、「ねがひ」です。

     この言葉を言い切った種田山頭火は、詩歌人そのものだったと、私は深く共感し、励まされる想いがしました。、

     今回は、彼の自由律俳句を同じ出典から、放浪に生きた種田山頭火の一句を。

      分け入っても分け入っても青い山    
                                 種田山頭火

     次回からは、種田山頭火の句そのものを感じとります。

     出典『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房)



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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年09月11日

    尾崎放哉。せきをしても。自由律俳句(十)

     尾崎放哉(おざき・ほうさい、明治十八年・1885年~大正十五年・1926年、鳥取市生まれ)の自由律俳句を感じとっています。出典から、私の心に特に響いた句を選び、似通うものを感じた句にわけ、◎印の後に私の詩想を記します。

     前回までは彼を取り巻く世界との関係性が伝わってくる句を取り上げました。今回は、彼にとってそのようであった世界に置かれた自己を凝視する句です。彼の最良の句はここにあると私は思います。

    3.世界の一部としての己の肉体を凝視する句
    己のものでありながら、世界を構成する物でもある肉体を、肉体の外側から見つめている句です。

      井戸の暗さにわが顔を見出す
    ◎覗き込んだ井戸の水面に映る自分の顔を凝視する姿に、たとえば画家ゴッホが自画像を描いている姿が重なります。井戸をもう知らない方は、鏡を覗き込む姿に置き換えてもよいと思います。
     作者の眼に映る顔は、自分の者でありながら、心から遊離した物であり、それがそのようにあることの、違和感、不思議さが水面の波紋のように揺らいで感じられます。

      わがからだ焚火にうらおもてあぶる
    ◎この句も「わがからだ」でありながら、作者の眼は、からだを遊離した外側から眺めています。食料とするために魚をうらおもてあぶるのを見つめる眼差しと違いがありません。「からだ」という物がこの世界にあることの、虚無感に近い違和感が滲んで感じられます。

      淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る
    ◎石川啄木の短歌「はたらけどはたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざりぢっと手を見る」と、魂が木魂しあっているような句です。
     冒頭の「淋しいぞ」は心からもれ出た声そのままで、心打たれます。そのむき出しであることの強さと、言葉とした後の余韻が句を最後まで染め上げています。

      肉がやせて来る太い骨である
    ◎病床の肉体を見据えた歌。淡々とした口調の底に、死を意識した諦念が肉声となって漏れ出ていると感じます。


    4.自己の内面凝視の句 
    井泉水が「心境そのままの真純さ」と言った心の句。

      漬物桶に塩ふれと母は産んだか
    ◎自分が選んだ生き方であり自分自身が悔いることはなくても、母の願い、夢、期待に、応えてあげられなかあったという、悲しみがもれ出た声、心打たれます。

      笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた
    ◎運命のようなものを悟った諦念とともに、生の終りが近づいているのを感じて、振り返っている想いの深さを感じます。「真率さ」そのものです。顔の作りとともに心のかたちと生き様、そのすべてについて自分の生は、笑ってさえ泣き顔がいつも滲み出していたと。淋しく、悲しい句だけれど、心打たれます。

      淋しい寝る本がない
    ◎病床の最晩年の句。何もかも捨て去り、自由律俳句だけに行き、その俳句でも修辞を削ぎ落とした、裸の言葉。ここまでくると、専門家を名乗るような詩人、歌人、俳人のなかには詩歌、俳句と認めたがらない者もいると思います。でも本当は、つまらない専門意識、こだわりに邪魔されて、この句の良さがわからないのだと私は思います。
     多くの一般の読者が放哉の句に共感し、いいと感じるのは、このさりげない句に、彼の生涯、生き様が流れ込んでいて、感慨の深さ、感動が、句にあることを、先入見なく無心に受けとめられるからだと私は思います。

      せきをしてもひとり
    ◎人生一生の感慨が込められていて、深く心に刺さります。俳句と心中した最期の一言のような。尾崎放哉が切り拓きたどり着いた境地の、誰にもまねの出来ない、修辞を削ぎ落としきった、心境そのままの真純さの句。悲しく美しく、私はこの句を愛します。

     次回からは、自由律俳句を詠んだもう一人の強烈な個性、種田山頭火の自由律俳句を感じとります。

     出典『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房)



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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年09月09日

    新しい詩「愛、空へ」をHP公開しました。

     私の詩のホームページ「愛のうたの絵ほん」に、新しい詩「愛、空へ」を、公開しました。

       詩「愛、空へ」   (クリックでお読み頂けます)。

    お読みくださると、とても嬉しく思います。


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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年09月07日

    尾崎放哉。入れものが無い。自由律俳句(九)

     尾崎放哉(おざき・ほうさい、明治十八年・1885年~大正十五年・1926年、鳥取市生まれ)の自由律俳句を感じとっています。出典から、私の心に特に響いた句を選び、似通うものを感じた句にわけ、◎印の後に私の詩想を記します。

     前回は彼の世界の受けとめかたが伝わってくる句を取り上げました。今回は、世界を感じとろうとする能動性を底流に感じる句です。

    2.世界を感じとろうとする働きかけの句
    いづれも彼にとっての世界、世界との距離感が響いている句で、働きかけ向かっていく、能動性を感じる句です。

      刈田で鳥の顔をまぢかに見た
    ◎この句を読むと読者は、自分が「鳥の顔」をすぐ近くで見ている場に置かれ、拡大された「鳥の顔」が眼前に現れます。そのとき感じるのは「生き物のかたち」への驚き、生きていることへの驚きです。その想いを呼び覚ます力を秘めた句と言えます。
     「かりた」と「見た」の「たTA」音、「かりた」と「かお」と「まぢか」の「かKA」音の響きあいが、調べを感じさせます。

      何か求むる心海へ放つ
    ◎求むる「何か」が何かは作者自身にも言い表せないことが逆に、そのような心情をもつ読者の共感を深める句です。心(こころ)で句が完全に切れ、間が置かれていることで、続く詩句「海へ放つ」が強められ込められた感情が高められています。

      大空のました帽子かぶらず
    ◎「かぶらず」という詩句に意思を感じます。たたずむ自分の小さな頭の皮膚、頭髪で、まうえの空の大きさに触れ感じていようとする意思。生命感の響きを感じます。
     「ました」で切り、「かぶらず」の文語調に微かな修辞があることで、調べを生み、散文ではない詩歌、句にしています。

      心をまとめる鉛筆とがらす
    ◎「まとめる」で切ると「心を落ち着かせる」ことと「鉛筆とがらす」ことが並列する時間の対応する行為となり、「鉛筆」まで続けてここで切ると、「とがらす」行為が際立ちます。
     切れ字を捨てた区切りの自由度の高い、自由律詩の散文に近い特徴です。作者がどちらかを意識して詠んだにしても、読者がどう読むかには正解も縛りつけもなくてよいと、私は考えます。

      こんなよい月を一人で見て寝る
    ◎「一人で」という詩句に、淋しさと、誰かの面影、追憶の響きを、経てきた年月、自分の生き方への感慨を感じる情感の深い句です。ほとんど散文に近く修辞を削ぎ落としたことで、句の生み出す世界が広がるという、自由律詩の逆説的な特徴が表れ出ています。

      雀のあたたかさを握るはなしてやる
    ◎「握る」で切った後、一文字ずつゆっくりと読む、ひらがなで、「はなしてやる」とゆるめる感覚と込められた想いが響いています。その裏にはたとえば「握る潰す」「握る殺す」というような残虐性が紙一重に潜んでいて意識下にはありながら、そちらを選ばず「握るはなしてやる」、人間性が心に響きます。

      がたぴし戸をあけておそい星空に出る
    ◎「がたぴし」という音と情景をかもし出す詩句に対する、作者の愛着を感じます。その日常的な卑小性が、続く星空の悠久性を際立たせています。深夜に眠れず星空を見上げに外に出る人は詩心を抱く人、私は好きです。

      眼の前魚がとんで見せる島の夕陽に来て居る
    ◎魚が跳ねる海の夕陽の情景が美しく浮かびあがります。「魚がとんで見せる」と感じ詠むところに、作者の個性が輝いています。

      入れものが無い両手で受ける
    ◎作者の深い感慨を感じます。自分はもう何もかも捨て去ってしまって、全くの身一文、このからだ以外何も所有していない、そのように生きてきたという、深い感慨です。ただ心境をそのまま述べた句が、これだけの深みをもちうるのは、彼がそのように生きたからこそ、自由律俳句と心中した人だからこそだと、教えてくれるような句だと思います。

     次回は、尾崎放哉の句、心境そのままの真純な句を感じとります。

     出典『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房)




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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年09月05日

    尾崎放哉。尾をふつてくれる。自由律俳句(八)

     今回は、尾崎放哉(おざき・ほうさい、明治十八年・1885年~大正十五年・1926年、鳥取市生まれ)の自由律俳句を感じとります。出典から、私の心に特に響いた句を選び、似通うものを感じた句にわけ、◎印の後に私の詩想を記します。

    1.自分が投げ込まれ置かれた世界を受けとめる句
    いづれも彼にとっての世界、世界との距離感が響いている句で、受けとめ感じる、受動性を感じる句です。

      仏体にほられて石ありけり
    ◎寺を移り住んだ彼だからこその強さを感じます。彫られた仏像も石としてあること。ただ祈りを否定しているわけではなく、信仰、人間についての想いが、さまざまに沸き拡がる句です。
    「ありけり」の文語体に微かな修辞があることで、調べを生み、散文ではない詩歌、句にしています。

      鳥がだまつてとんで行つた
    ◎情景をありのまま描写しただけのようで、鳴くことが自然な鳥が「だまつて」いた姿を捉えていることで、作者の心理状態をも感じさせます。
    二つの促音「っ」の響きあいに微かな修辞があることで、調べを生み、散文ではない詩歌、句にしています。

      大雪となる兎の赤い眼玉である
    ◎色彩のコントラストが強い、雪の白とウサギの眼の赤が浮き上がる、絵画のような句です。
    「なる」と「ある」の響きあいに微かな修辞があることで、調べを生み、散文ではない詩歌、句にしています。

      鳩に豆やる児が鳩にうづめらる
    ◎幼児と鳩を生き物として等しく見つめながらも、人間味と優しいユーモアが沁みてきます。
    「に、やるyARU」と「に、らるrARU」の響きあいに微かな修辞があることで、調べを生み、散文ではない詩歌、句にしています。

      犬よちぎれるほど尾をふつてくれる
    ◎なつく犬に「尾をふってくれる」と、感謝している心に、生きものへの優しさと、寂しさが響いています。
    「犬よ」と呼びかける言葉の強さに切れ字に似た間を生む微かな修辞があることで、調べを生み、散文ではない詩歌、句にしています。母音のオO音とウU音の織りなされる流れも音楽的です。

      歯をむきだした鯛を威張つて売る
    ◎日常を俗に生活するとき不感性になっている、他の生き物を食べて生きる悲しみと、万物の長のようにふるまう人間に対する嫌悪感も滲んでいると感じます。修辞を削ぎ落とした散文に近い句であることが、詩句の内容の虚飾を削ぎ落とすことと合っているから逆に、句としての強さを感じます。

      笑ふ時の前歯がはえて来たは
    ◎幼児の生えかけの前歯に、健やかに成長していくことへの感動と祈りが込められていてヒューマニズムを感じます。前歯を「笑ふ時の」と形容していることで、子どもの笑顔の眩しい歯の白さが眼に浮かびます。最後の「きたは」と自分に言い聞かせる語尾に、静かな感動の余韻が生まれています。

      とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた
    ◎この句も放哉らしく「来てくれた」と心を響かせます。そのままの心境の句に近い分、修辞は「とんぼ」「とまりに」の「と」の呼応以外なく、散文に限りなく近づけています。

      山は海の夕陽をうけてかくすところ無し
    ◎情景が鮮やかに浮かぶ絵画的な句。句末の「無し」の言い切る強さが、調べを生み、散文ではない詩歌、句にしています。

      なんと丸い月が出たよ窓
    ◎病床で窓の月を詠んだ句。死を覚悟した意識の清澄さを感じます。
    「なんとtO」「出たよyO」「まどdO」のオO音が押韻を感じさせます。冒頭の驚きそのものの詩句「なんと」と、最後に倒置し独立性を強めた短い二音の体言(名詞)「窓」をおき、心の感動の強さを響かせています。

     次回も尾崎放哉の句を感じとります。

    出典『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房)



     ☆ お知らせ ☆
     『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。
     イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年09月03日

    種田山頭火と尾崎放哉。俳句と心中し。自由律俳句(六)

     今回からは、自由律俳句を生きざまそのものにして究めた、二人の強烈な個性俳人、種田山頭火尾崎放哉を通して、自由律俳句を見つめます。

     二人について、山下一海氏が出典『俳句の歴史 室町俳諧から戦後俳句まで』に書いている以下の言葉は、二人を深く理解していると感じると同時に、文学・詩歌と作者の生きざまについて、考えさせられます。

     以下、出典●からの引用

      山頭火と放哉 
     「山頭火と放哉は、世を捨てた動機や態度、またそれぞれの資質にかなりの違いがあるが、世を捨てて俳句に自分の心境を映し出し、俳句にささえられながら世を去ったというかたちに共通するものがある。この二人のように、自分の心境をそのまま表そうとするには、口語自由律俳句は、実に適切な詩型であった。この二人は、自分と俳句を完全に一つのものにしてしまうことによって、その作品が人々の心を打つことができた。かれらの俳句は、自分の一生をまるごと引き換えにした成果であったので、当然にそれは、その人一人限りの問題で、それが他に受け継がれるというようなものでもなかった。山頭火と放哉の俳句がこれほど人に詠まれながら、口語自由律俳句自体が定型俳句ほどには世に広まらないところに、口語自由律俳句の問題の根幹があるといえるだろう。」
    (引用終わり)。

     「自分の心境をそのまま表そうとするには、口語自由律俳句は、実に適切な詩型」、この言葉はまさにその通りだと言えます。口語自由律俳句は、文学表現の根幹にある、修辞と虚構性を、極限近くまで失くすことを志向する試みだからです。

     「心境をそのまま表そう」とした表現に魅力がありうるとしたら、表現者の「心境」そのもの、その「心境」が生まれ出たその人の生き方そのものが、読者の心を惹きつけ、感動させる何かをもっている以外にありません。

     「かれらの俳句は、自分の一生をまるごと引き換えにした成果であった」、山頭火と放哉それぞれの年譜を詠むとこの言葉に納得します。とても激しい生きぬき、俳句と心中した二人に、私もまた強く惹かれます。
     なぜでしょうか? 二人とも、もうそう生きることしかできなかった、そのように生きることだけが二人にとって自分であることだった、と感じてしまうからだと私は思います。

     次に、に二人が師と仰いだ井泉水が、尾崎放哉(おざき・ほうさい、明治十八年・1885年~大正十五年・1926年、鳥取市生まれ)の死後に編まれた句集に寄せた言葉を引用します。

     放哉は、生前には一冊の句集も刊行していません。亡くなった後、彼の句の本当の価値を世に伝えようとする強い意思が込められた井泉水の言葉は、詩の、俳句の、本質を射抜いていて、感動します。

     以下、出典■からの引用

     「放哉のこと」井泉水
    「(略)芭蕉の境地、一茶の風格に就いては今更いふまでもない。然し、それから後、俳句といふものが一概に趣味的な、低徊的なものになつて、作者の人間、その気凛といふものの出てゐるやうな作は殆んどなかつた。所謂「俳趣味」といふ既成の見方からすれば、俳句らしくなくとも、その作者のもつ自然の真純さが出てゐれば、それこそ本当の俳句だ、と私は思ふ。そしてそのやうな本当の俳句を故尾崎放哉君に見出したのである。(略)
     放感君の句には、技巧もなく、所謂、俳趣味もない。彼とて、句作にたづさわつてから二十余年、技巧も知つてをれば趣味も知つてゐる、それを捨てて捨てきつて、かうした句境にないつて来た。恰度、彼が法学士として、或る保険会社の支配人としての社会的の地位を捨ててしまつて、無一物の自然生活にはいつたのと同じ気持なのである。(略)」
    (引用終わり)。

     付け加える言葉なく、共感します。最後に放哉の一句を。

      淋しいからだから爪がのび出す

     次回は、尾崎放哉の句の「自然の真純さ」を感じとります。

     出典
     ●『俳句の歴史 室町俳諧から戦後俳句まで』(山下一海・1999年、朝日新聞社)十七.自由律俳句の誕生。 
     ■『現代句集 現代日本文学大系95』(1973年、筑摩書房)




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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2013年09月01日

    坂井のぶこ詩集『浜川崎から Ⅱ』。小鳥のような、雫のような、自由律。

     私も参加させて頂いています手作りの詩誌『たぶの木』や、詩誌『操車場』で作品を発表され、既に何冊ものご詩集を出版されている詩人の坂井のぶこさんが、新しい詩集『浜川崎から Ⅱ』(2013年9月、漉林書房、2000円)を出版されます。
     今回はこの詩集から、言葉の花をここに咲かせていただき、みつめ感じとらせて頂いたことを記します。

     詩人は「あとがき」でこの詩集に込めたもの、この言葉の花束がどのように生まれたかを、次のように告げ知らせてくれます。

    ◎ 引用 坂井のぶこ詩集『浜川崎から Ⅱ』。あとがき。
     「暮らしの中から滴り落ちた雫のような言葉たち」
     「ささやかな幸せと心の平安が欲しい」、「それを得るためにはなんと多くの感情の揺れを経験し、歩き続けなければならないことか。」
     「時々まわりの些細な出来事、取り巻いている風景が限りなく愛しく、抱きしめたくなります。陽の光、影、鳥の鳴き声、植物の香り、肌に当たる風、遠くの工場の煙、すべてを言葉にしたくなります。そういうときにすでにわたしは幸せなのかもしれません。」(引用終わり)。
      
     私はこの言葉を読んで、この詩人の現在にとっての詩、詩の生まれ出るところ、詩として書きとめ、伝えようとしている思いが、自由律俳句にとても近しいと感じます。
     尾崎放哉(おざきほうさい)や種田山頭火(たねださんとうか)が、伝統俳句の定型、約束事の屋敷から、歩み出し放浪して探しつつうたった心と、木魂しあっていると感じます。
     二人の俳人は世捨て人となりましたが、日常生活を捨てきることはできなくても、それは度合いの違いであり、心は世捨て人として生きる道もあります。
     坂井さんの言葉は、この地の囚われから飛びたとうとする小鳥たちのよう、とても自由に軽やかに思いのままに跳ね踊る言葉の雫の音楽のようです。

     尾崎放哉と種田山頭火と坂井のぶこさんの詩歌は、宮澤賢治の最晩年のノートに書きとめられた「雨ニモマケズ」とも深く響きあっていると私は感じます。
     この四人に共通しているのは、詩歌にとって、言葉、修辞がすべてといえるほど重要な要素であることを修練し創作した時期を経てわきまえたうえで、そこから歩み出て、「詩らしさ」「修辞」「定型」を、「捨てた(といえるほどまで最小に抑えた)」言葉の表現、自由律の詩歌を歌っていることです。
     
     私は、言葉の表現力、意味、イメージ、音数・音色・リズム、韻、間、字形、行数、行間、長短を活かそうとし、抒情性、叙事性、リアリズム、虚構性、象徴性、時間性、物語性など多様な可能性を追求する詩歌の創作者を尊敬し、そのような作品の美を愛しているのと同じ強さで、南十字星と北極星のように対極に輝く、修辞を削ぎ落としたうたを心から愛します。

     「多くの感情の揺れを経験し、」「暮らしの中から滴り落ちた雫のような言葉たち」に、私の心は自然に共感してふるえだします。その感動を感じとれる時間は、心の世捨て人でありがちな私も、幸せをみつけている気がします。

     以下は、詩集『浜川崎から Ⅱ』から、私がとても好きな、心がいちばんふるえた、自由律を奏でる言葉を、とても自由に摘み取り、ここに咲かせました。詩集で読者それぞれの方の心に近しく微笑みかけてくれる花を見つける幸せを探していただけたらと、思います。
    (☆の記号は、区切りを表示するため私がつけました。詩集では鉛筆のかわいい絵文字になっています。)

    ◎ 引用 坂井のぶこ詩集『浜川崎から Ⅱ』から。

    かなしいぞ
    かなしいぞ
    雨がふるのも
    風がふくのも
    なんだか魂にひびくのだ
    かなしいぞ
    かなしいぞ
    お前の瞳の緑の色が
    ピンと張ったヒゲが
    わたしもお前も生きている
    柔らかい毛にそおっと触る
    いつでも今日が最後だぞ
    お前の瞳がそういっている

      ☆

    旅にでたいなと
    魂がいった
    今はだめだよ

    頭がいった
    つまらないなあ

    魂ちゃんはいった
    心はそっぽをむいて
    朝顔に水をやっていた
    朝顔が咲いたら旅に出た気持ちに
    なれるかなあ

      ☆

    私はうたう
    うたわずにはいられない
    伸びてゆく草
    三日月と星
    眼に映る美しいものに対して
    夏草の香り
    土砂降りの雨
    猫のシッポ
    サボテンの花
    オシロイバナの匂い
    浜川崎も今は夏になった
    この国は今放射能だらけになり
    とてつもない重荷を背負わされては
    いるのだが
    それでもうたわずにはいられない
    僅かな命の営みでも
    美しさを見出さずにはいられない

      ☆

    夜になると泣く
    えーんえーん おーんあーん
    うるさいといわれる
    考えるんじゃないよといわれる
    どうしてこんなにむなしくなるのだろう
    暗い道をひとりで歩いてゆく
    終りのない悪夢をみている
    山沿いの道が頭に浮かんでくる

     ☆

    煌めきはどこから生まれるのだろう
    なにもない状態に自分をもどすことからしか
    それは生まれては来ない
    独りになったとき
    心の奥に透き通った月の光や
    風の響きが満ちてくる

    (詩集、引用終わり)。

     次回からは自由律俳句のエッセイに戻り、尾崎放哉と種田山頭火を見つめていきます。



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