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高畑耕治
高畑耕治

2014年04月16日

詩人・常山満と詩誌「ジュラ」(一)。抒情を、詩を。

 私のホームページで詩人・常山満(つねやま・みつる、1947年~2012年)の詩を三篇紹介させて頂き、彼の詩と詩誌について言葉を添えました。
 今回からの三回、常山満が創刊、発行した詩誌「ジュラ」に彼が情熱を込めて書き記した詩論、詩への想いを読み返して、私の共感と詩想をこだまさせます。

 初回は詩人・常山満が、詩誌「ジュラ」の創刊号に掲げた「創刊に寄せて」です。まず出典から彼の言葉を引用し読みとり、呼び覚まされた私の言葉を続けます。

● 以下、出典からの引用です。

  創刊に寄せて

 我々が世界に誇る日本の代表詩人達は、皆秀でた抒情詩人であった。それ故にまた、彼等を代表する詩作品も、読者の心深くに入り込んで感動させないではいられない。超一級の素晴らしい抒情詩であった。
 然るに近年の現代詩、詩の本質すべき抒情性を否定し、詩の概念を破壊し、定義を拡大解釈し、詩の門戸を開放して、似而非詩を増大させている。即ち、韻文を排して散文に走り、詩の第一義を忘れ、その意匠性ばかりを追い回している。かくの如き似而非詩が氾濫するを以って、恰も詩が大衆化し、詩の興隆期を迎えたかの如く錯覚し、その実、真の抒情詩と抒情詩人が、絶対多数派の暴力によってその姿を埋没させられている詩壇の現状は、見るに耐えない惨状であって、正しく絶望的な詩の低迷期であると断言せざるを得ない。
(略)
 あえてこの小冊子を日本抒情派と副題して心ある抒情詩人諸兄の奮起を望むものである。
 ここに、敬愛してやまない偉大な先人の言葉を掲げて、抒情詩のなんであるかを端的に表記して小誌の指針とする所存である。

  詩の表現は素朴なれ
  詩のにおいは芳純でありたい
       ―萩原朔太郎―
                      
(1986年7月「ジュラ」創刊号より)  
●出典からの引用終わり。

 私は『新潟魚沼の抒情詩人 常山満』に収録された常山満のこの文章を読んで、共感する気持ちは少しも変っていないことを知ります。常山満と出会い詩誌「ジュラ」を読んだ1980年代から1990年代、(今もあまりかわりませんが)、彼が記したように私も「詩の低迷期」にいる、氷河期にいると、感じていました。

 それなりに、商業詩誌が売れているようにみえても、そこに私は詩があると感じませんでした。
いろんなかたちの表現があってよいし、表現の模索は創作にとってあたりまえのことだけれど、そのことと、流行、新奇性は同じではありません。
 なぜ、詩を感じなかったのか。それは同じように感じていた常山満がここに書き記している言葉がその根本を捉えています。私の想いに重ねて彼の言葉の糸を紡ぐと、彼の声が聴こえる気がします。

 「日本の代表詩人達は、皆秀でた抒情詩人(略)。代表する詩作品も、読者の心深くに入り込んで感動させないではいられない(略)超一級の素晴らしい抒情詩。」

 とても基本で大切なことなのですが、詩を読んで「いいな」と感じとれる心の感受性をもつ詩が好きな人は、「感動」します。詩の言葉に「うつくしいもの」を感じます。だから詩を読みます。

 そうであるのに、その当時から今も、商業詩誌の村民、詩壇の主流を自他共に認め合う方々は、

 「近年の現代詩、詩の本質すべき抒情性を否定し、(略)韻文を排して散文に走り、(略)その意匠性ばかりを追い回している。」

 詩であることの本質である、感動と「うつくしいもの」、抒情、こころと言葉の韻律、これを否定したり軽んじたりできると考えられる人は、知的に言語を操作する能力があったとしても、詩をしり、詩を愛する人だとは、私には思えません。
 抒情の否定。叙情性との決別。伝統からの屹立。現代の詩。
 かっこよく響くうたい文句のようで、自らを目立たせるために他を貶める姿勢、その驕りを、私はよく思いません。詩を貧しくし、根無し草とし、醜くし、枯れさせ、破壊することを、詩を愛する人にできるでしょうか? 

 常山満は萩原朔太郎の言葉をとおして「抒情詩のなんであるかを端的に表記して小誌の指針」としました。
 詩の本質への愛情にみちた言葉です。
 「詩の表現は素朴なれ/詩のにおいは芳純でありたい―萩原朔太郎―」
 
 常山満の詩からは、朔太郎への共感と、朔太郎の影響が、にじみだしています。
私が好きな彼の詩、詩「 ジュラの風 ( 時折ぼくは― )」、詩「ジュラの風 ( 長い白壁の― ) 」、詩 「明日の為に 」は、素朴な表現であり、芳純な抒情です。

  詩「ジュラの風 ( 時折ぼくは― )」「ジュラの風 ( 長い白壁の― )」「明日の為に」
                                     (クリックでお読み頂けます)

 美しく、心に響く、このような言葉こそ、詩です。

出典:『新潟魚沼の抒情詩人 常山満』(編者・寺井青、2014年、喜怒哀楽書房)

 次回も詩人・常山満と詩誌「ジュラ」をみつめます。



 ☆ お知らせ ☆

 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日、イーフェニックスから発売しました。
(A5判並製192頁、定価2000円消費税別途)
☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
☆ Amazonでのネット注文がこちらからできます。
    詩集 こころうた こころ絵ほん

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
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    Posted by 高畑耕治 at 19:30 │
    この記事へのコメント
    リンク先の詩を読みましたが、威勢のいい創刊の辞にもかかわらず、そこまでの詩人とは思えません。
    80年代に活躍した詩人とどっこいどっこいでは?
    Posted by 革命詩人 at 2014年06月15日 00:45
    こんにちは。コメントありがとうございます。気づくのがとても遅くなりました。詩の受けとめ方は人それぞれでいいと思います。私はとてもいい詩だと思います。
    Posted by 高畑耕治高畑耕治 at 2014年12月31日 19:10