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高畑耕治
高畑耕治

2018年03月10日

ベートーヴェン交響曲とバロック音楽と能楽と

ベートーヴェンの交響曲、5番運命、6番田園、7番のだめ、8番を繰返し聴いて交響曲、合奏は本当にいいと、そして第九の人の声、独唱も合唱も、高めあい創りあう時間の創造は本当に素晴らしいと、しみじみ感じます。

7番の、のだめカンタビーレ、第三楽章の、第二主題の、バイオリンの通奏低音、清流のように静かに流れつづける音は、本当に美しいと知りました。
(のだめカンタピーレはテレビで見ていませんでしたが、音楽が好きな若者は好きだと勝手に思っています。クラシックもロックもJもKもポップもストリートミュージシャンも。)

バロックの、パッヘルベルのカノンも、バッハのG線上のアリアも、とても静かでシンプルそのものに感じられ、清浄な音の重なりあい交わり響きあいに、どんなにこころ汚れ疲れていても洗われるけれども、作品そのものは全体も細部も緻密な閃きと演奏者のこころと技術で織りなされ生まれている、そのことすら、本当に美しい芸術は忘れさせ感じさせない、素朴とさえ思わせる素晴しさがあります。

第九、合唱、歓喜に寄す、のシラーの詩は、感激調、自己陶酔、集団陶酔で、時代がかりの理想主義主張っぽいけれども、わたしは人間の、美しいある一面の姿を浮き彫りにとらえていて、ミロのヴィーナスやミケランジェロのダビデ像のように、先入観を捨てむきあうとただ美しいとしかいえない感情につつまれ、わたしは好きです。

交響曲のような壮大な構築音楽と並べたときに、この島国に生まれた芸の特徴、良さを思い、能の「葵の上」の、横笛と鼓とゆったりした節回しと仕種の、舞台を観てみました。退屈せず通して観ることができました。世阿弥は人物だと思います。能楽に文化を注視したことでは三島由紀夫に共感します。

能楽を観て、女性がいないのは、男性が女性を演じているのは、面の象徴があっても、まだわたしには、姿、動きの曲線の柔らかさに欠けているのではと感じられてしまいます。歌舞伎も。時代的社会的な要因と理由付けがあると思うけれども。

源氏物語などの平安王朝物語に描かれた、五節(ごせち)の(天女の)舞い、平安末期から鎌倉時代の静御前(しずかごぜん)のような白拍子(しらびょうし)の、女性の舞いは、美しかったのではないだろうかと、想い描きます。
能楽が男芸なのは時代による生き方の制約だったのでしょうか。まだ勉強不足で入門者です。





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    Posted by 高畑耕治 at 08:18 │エッセイ