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高畑耕治
高畑耕治

2024年01月26日

詩歌の源のこと、授けられるということ

詩を生む源の魂は、反骨以外にないから。
日本詩歌の本当に良いものに女性の和歌からの目映い個性の星星が輝いているのは、社会一般的に差別おとしまれ平等公平ではないなかで反骨の星星だから。
勅撰集にも権力権威者の和歌の砂、瓦礫のなかにも光る魂の星。
反骨のない権威者の砂、瓦礫は今も同じ。

わたしのとても好きな、敬愛する、小野小町も、和泉式部も、紫式部も、式子内親王も、建礼門院右京大夫も、実人生あからまさにいえば、しあわせではない。
でも、だからか、こころ打つ美しい詩歌は、生みだせ、伝えられる。

書きもらしてしまったけれど、とても大切な、大伯皇女(おおくのひめみこ)と、読み人知らずの、歌だけ残し伝え心に今響かせてくださる、無名で逝かれたおおくの歌人たちも。

ほんとうに心に響く詩歌は、頭だけで上手に面白くできたようなものであるはずなく。
心から歌わずにいられず、言葉をけんめいに選び尽くせた、不可思議ないちどかぎりの幸運を降り注がれ、授けられたもの。  


  • Posted by 高畑耕治 at 21:53エッセイ

    2024年01月23日

    新しい詩「水滴花」をホームページに公開しました。

    ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩作品を公開しました。


    詩 「水滴花」 (短詩)




    ☆ 詩集です。

    詩集「純心花」(じゅんしんか)

       純心花

    最新詩集。内容 : 純心音(短詩)、愛(間奏曲)、純粋花(長詩)。
    言葉が織りあげる音楽。絵画。詩宇宙。全416作品収録。
    絵・渡邉裕美 
    出版社 ‏ : ‎ イーフェニックス
    発売日 ‏ : ‎ 2022/3/11
    単行本 ‏ : ‎ 304ページ
    ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4908112539 インターネット、書店、図書館  


  • Posted by 高畑耕治 at 19:33

    2024年01月20日

    新しい詩「雪物語」をホームページに公開しました。

    ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩作品を公開しました。


    詩 「雪物語」 (長詩)




    ☆ 詩集です。

    詩集「純心花」(じゅんしんか)

       純心花

    最新詩集。内容 : 純心音(短詩)、愛(間奏曲)、純粋花(長詩)。
    言葉が織りあげる音楽。絵画。詩宇宙。全416作品収録。
    絵・渡邉裕美 
    出版社 ‏ : ‎ イーフェニックス
    発売日 ‏ : ‎ 2022/3/11
    単行本 ‏ : ‎ 304ページ
    ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4908112539 インターネット、書店、図書館

      


  • Posted by 高畑耕治 at 20:33

    2024年01月13日

    新しい詩「星座ソナタ」、「水仙、白鳥、雪」、「ハモれば、愛」をホームページに公開しました。

    ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩作品を公開しました。


    詩 「星座ソナタ」 (長詩)

    詩 「水仙、白鳥、雪」 (短詩)

    詩 「ハモれば、愛」 (短詩)



    ☆ 詩集です。

    詩集「純心花」(じゅんしんか)

       純心花

    最新詩集。内容 : 純心音(短詩)、愛(間奏曲)、純粋花(長詩)。
    言葉が織りあげる音楽。絵画。詩宇宙。全416作品収録。
    絵・渡邉裕美 
    出版社 ‏ : ‎ イーフェニックス
    発売日 ‏ : ‎ 2022/3/11
    単行本 ‏ : ‎ 304ページ
    ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4908112539 インターネット、書店、図書館

      


  • Posted by 高畑耕治 at 20:47

    2024年01月13日

    詩と、芸術表現について

    現代詩の堕落、つまらなさ、わけのわからなさの原因は、西洋詩のモノマネに甘んじて、暗喩モドキに溺れたこと。直喩と同じほど詩そのものの暗喩を商売に悪用して軽んじ損ねたこと。美がなく汚いこと。直喩も暗喩も丁寧に心の旋律に織り込められた詩なら、美しくふるえださずにはいないはず。

    詩が、蔑まれ、疎んじられ、読まれないのは、悲しい。退廃と、滅亡への、袋小路でしかない。
    詩でこそ、あらわせ、伝えられるものを、心ある詩人が、滅びまでは、美を、けんめいに。新しい心に響く詩、見つけるため、創りだすため。

    必死にいのちかけて書くなんて、あたりまえのこと、スタートライン。より速く、いのち果てるまで走れ。

    文学列島が沈没しかけているのだから、小説、短歌、俳句、詩、現代詩、細かい島々の、近親憎悪で叩きあい、沈没を早めるのは愚かだとも、反省。文学を好きな人は、なんとも感じない大多数人口には比べようもなく、響きあえる心があるのだから。なにより大切にして、高めあい、文学を深め、伝えるべき。家族近親者肉親には情け容赦なく想うまま言い過ぎて傷深めあってしまうように。しすぎてはいけない。戦うしかないヤツラは、違うところにタムロしてる。

    自らの作品を本当にいい、大好きだと言いきれる作品にまで高めることにできる限りのすべてをそそぎ込まずにはいられない人の業が芸術の創造者だと思い。芸術を愛さずにいられない人、芸術を愛する人を愛さずにいられない人も、芸術の創造者と思う。だから芸術は高められ深められ、人のいのちとなれる。

    この世のドス暗闇に、微かな星を瞬かせているのは、人の、創作表現、伝えようとし、愛したい愛されたい、純な心の微香、微光、ささ波。それが失われたなら、ただ暗闇。

    わたしは文学、芸術、表現者、表現努力が、むちゃくちゃ好き。ほかのことに関心執着まったく無さすぎて世間的には変人廃人世捨人と、冷たい目線で自分を見ています。美を求めずにいられない表現者、表現努力が、めちゃくちゃ好き。だから、醜悪に甘んじ、グロテスクをてらい、目配りしたウケネライは、めちゃくちゃ嫌い、厭う。

    幼いいのちを、凍えさせず、あたためたいと、願わずにいられない童話がいちばん好き。詩、そのもの、だと思っています。


      


  • Posted by 高畑耕治 at 10:22エッセイ

    2024年01月07日

    新しい詩「祝詞・悲歌 《ジュソ・キトウ》」、「花の冬スケッチ」をホームページに公開しました。

    ホームページ「愛のうたの絵ほん」に新しい詩作品を公開しました。


    詩 「祝詞・悲歌 《ジュソ・キトウ》」 (長詩)

    詩 「花の冬スケッチ」 (短詩)



    ☆ 詩集です。

    詩集「純心花」(じゅんしんか)

       純心花

    最新詩集。内容 : 純心音(短詩)、愛(間奏曲)、純粋花(長詩)。
    言葉が織りあげる音楽。絵画。詩宇宙。全416作品収録。
    絵・渡邉裕美 
    出版社 ‏ : ‎ イーフェニックス
    発売日 ‏ : ‎ 2022/3/11
    単行本 ‏ : ‎ 304ページ
    ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4908112539 インターネット、書店、図書館

      


  • Posted by 高畑耕治 at 09:03

    2024年01月06日

    詩について

    わたしは詩だからこそ、よりゆたかに伝えられるものがあり、もっともわたしにできうる、したい創作だからこそ詩を書きつづけているから、そのように、けんめいに書いている方、書こうとしている方、読んでくださる方を大切に感じます。

    より広く、文芸を、絵、絵画を、歌、音楽を、芸術、創作表現を、大切にされる方を、愛します。

    詩は、日本も世界も国も言語も歌謡も、壁は越えられるものだから、古代から受け継がれ反発されまた試み創りだされ今このときまで、けんめいに表現し伝えようとほんとうにされた心感じられる言葉なら、みんな好き。
    いちばん好きなのは古代歌謡、万葉集から伝えられてきた和歌。すなおに感じとればおおく、女性の、歌心ゆたかな言葉選び繊細な、優れた和歌。

    今の会話ニュアンスも取り込んで、口語の短歌は軽やかで親しみやすい一方で、軽くだらけてしまいコピーライト、コマーシャルと区別がつかなくなったり、機知だけであれば川柳もどきになりもする。(詩も制約のなさに甘えた数多くのただの口語散文と奇抜さアピール)。面白さの印象はすぐ消えてしまう。

    口語の短歌を短歌にし、詩を詩にするのは、言葉の音色、旋律、つながりとこだまと反発と転調と休止、沈黙。その緊密な感覚を、作者がどれほど聞き取れ授けられるか。美しいメロディー、楽章が作曲家にふりそそぐのは、修練と執念と才能と運命の授けものであるように。だからこそ短歌も詩も痛く美しい。

    古典の文語から育まれ流れてきた水脈の美しさに、おおく触れ感動し、焦がれ真似て表現を重ね積みあげることで、口語表現の花は、日本語の土壌に深く根づきいた、美しさを香らせてくれると、わたしは思っています。特に口語詩は、外国語翻訳文のモノマネ作品は、ガラクタ。
    そのことに無反省であると、悪意はなく努力して造り上げようと、懸命にもがいても、口語の詩行はその虚弱さから、ガラクタもどきに、化けてしまう、と思います。

    短歌には現在もまだ文語表現を選ぶ歌人がいてその息遣いに触れる機会がより多いことと、語数の少なさ、音数のゆるやかな決まりごとが、口語のしまりのなさだらけぐあいを、いい意味で詩よりは弱めていると感じます。

    詩歌の音楽、韻律、語感というのは。例えば古代日本語から受け継がれてきた「ゆき」。構成音の「ゆ」と「き」は響きの柔らかさとキツさが正反対だけれど。「ゆらゆらゆき」の詩句なら「ゆ」の音が生き、「ゆき、木、木、木」の詩句では「き」が生きる。詩作は語の音に耳を澄まし音が音を呼び起こし語を授けられ選び創る。

    けれども詩を詩とするいちばん大切なものは、伝えたい想い、書かずにはいられない情熱の、強さと純粋さ、詩のいのちだといつも思っています。

    それ以上に、人を想い、愛し、思いやるこころ。

      


  • Posted by 高畑耕治 at 13:19エッセイ

    2024年01月06日

    「現代詩」という廃墟、暗喩の滅びについて

    世間を知ることもこの世では必要かと、「現代詩」と名打つ年鑑誌、本など、買う気はないので図書館で借りて読んでいます。あれ、こんなにブアツイのに、どこにも、「詩」は見つけられないよ?
    この世の現代の刊行物ではとっくの昔の現代に、「詩」はもう死んだのかな?

    いい書き手、作品も、もちろんあるけど。「詩」は死にかけのよう。
    特に新聞、文芸雑誌、におまけのツテで掲載された、高名詩人の作品は、「詩」と呼ぶには酷く、「詩」が死ぬ。

     こんな世捨て人がつまらぬことに口を出すのは、いま数少ない、詩を愛す、書かずにいられず、創り始めた人たちの、息吹く「詩」を、詩への深い想いもない者が、損ねるなと想うから、それだけです。

     批判ばかりは能無し感性欠如の暴露でしかないので。きちんと書くと最果タヒは選んで年鑑に載せた一編にも光り惹かれる詩才詩心があり。
    詩集では

    柏木麻里の「蝶」「密の根のひびくかぎりに」

    見た目は別に根本は、現代詩に毒されていなくて、美しい響きの好きな詩集。

    書き手によるとしても、現代詩の書き手は、短歌の書き手にくらべると、語感、音感、響きへの感性が(教学として拒否していると主張される詩人まがいは差し引いたうえで)、とても鈍感だと感じた。日本の言葉へのこだわり、学びが、翻訳マネで、欠けすぎているのでは?

    一編だけで、わかるか?
    詩は恋、出会い、宿命だから、
    ひと目でなにかしら響き
    わかり、結ばれる

    「現代詩年鑑2022代表詩選」現代詩手帖、思潮社も読み、詩心、美、純、音を聞き取れ詩を感じたのは

    最果タヒ「恋は無駄死に」
    松尾真由美「凍える雛のひとときのざわめきから(抄)」
    峯澤典子「ひとりあるき」
    三角みづ紀「幼いまま枝をひろげて」

    読むのが苦痛な廃墟にも埋もれず光っていました。
    「現代詩年鑑2021代表詩選」現代詩手帖、思潮社も読み詩を感じたのは

    赤司琴梨「羽化する声」
    ぱくきょんみ「黒い羽が落ちている」
    文月悠光「遠いくちづけ」

    最果タヒ、松尾真由美の独自性優れた詩。全体は詩誌のトキメキは乏しく何十年間もの常連の瓦礫散文駄作はシニア別枠除外しないと苦痛でした。

    あからさまな感は、
    詩の黄昏過ぎて早や墓場

    2021年代表詩選、現代詩手帖、思潮社
    那珂太郎「枯野の鼠」抜粋「9、雑誌編集者曰ふ。右の原稿を〈詩〉作品特集に組込むことにためらひを覚えるが、〈現代詩〉には形式内容ともに何の制約もなく、作者が〈詩〉と称すれば、これを斥ける根拠を示すのに苦しむ。その当否は読者の判断に俟つほかない。」

    見識のようにみえて、編集者は「代表詩選」に〈詩〉として掲載しているのだから、何の見識もない。これが〈詩〉か? 長年の癒着と、権威に敬意ではなくおべっかしてるだけ。これが年鑑の代表〈詩〉か?この詩人の作品はおおく読み学んだ者なので言います。これは駄作。載せるのは雑誌編集者の恥。

    現代詩手帖アカウントがツイッターのフォローを外してくださった見識に対するお礼として、書き留めます。
    長年の〈詩人〉の地位と権威の惰性で、優れた〈詩〉を生み出せるなんてほど創作は甘くなく、研鑽と修練と感性を研ぎ澄まし続けても授けられるかどうかわからず、一作品ごとにいのちを授かるのが〈詩〉だろ?

    〈詩〉の良さに拘りもなく結局は詩壇村社会の付き合いで掲載していたら雑誌が廃墟になるのは当たり前。年間代表詩選としながら〈詩〉って何んだかわかりません、当否は読者の判断を俟つなんてまるで国会答弁。載せる作者も恥。みずみずしい良い〈詩〉が数多く掲載から零れ落とされているのだろうなあ。

    現代詩は暗喩の森、自慰自食のタコツボに溺れ過ぎたので、暗喩は滅びるほうがいい。

    読んで「この数式解けない」なんて悩ませてくれる言葉遊びなんて詩じゃない

    『三角みづ紀詩集』 現代詩文庫206、思潮社。活発な詩活動をされている方の同シリーズを何冊か読みました。心に響いたのはこの本で、特に全編収録の初期詩集二冊「オウバアキル」「カナシヤル」がとても良いと感じます。痛みと書かずにはいられない想いの強さに言葉の音楽、詩が溢れ。
    第三詩集「錯覚しなければ」も想いの強さに暗喩表現も加え優れていると感じます。その後の詩集も根底に想いの強さの自発的な音楽性が確かにありますが、現代詩の掟と盲信されている暗喩の森に踏み迷い、この人ならではの痛みの表現の強さが薄れているよう。
    歪んだわたしの資質、感性、表現についての想いにも響いてくる詩を書いてきた人が、「現代詩」のより新しい世代の書き手にもいたんだと知って、嬉しくおもいました。

    廃墟の外、墓場の檻しか、感じとれない気づけないのは、ただの鈍感。
    現代詩村のまわり、彼方までひろがる、知らない気づかないところで今日も今も想いは生まれ、詩は書きはじめられていると知れ。


      


  • Posted by 高畑耕治 at 13:17エッセイ