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高畑耕治
高畑耕治

2012年12月30日

細野幸子の詩(四)。あわゆき。詩。こころ。いのち。

 前回に続き、詩人・細野幸子の詩をみつめます。最終の今回も第3詩集『あの日の風に吹かれて』(2002年、あぜん書房)に咲いている、私がとても好きな詩の花にします。

 このいちりんの小さな花の笑顔に、詩の本質が輝いています。

 詩が感受性から生まれる子どもだとささやいてくれます。
 花びらのような詩句のきらめきに、色彩の鮮やかさ、手触り、舌触り、やわらかさ、冷たいあたたかさ、五感がいっぱいに呼び覚まされます。
 感情の揺れ動きも、風になびく姿のようにとてもゆたかです。こころぜんたいが、不思議になって、驚いて、嬉しくなって、静かに想い、みつめ言葉なくし、ゆらめきます。

「いっしゅん」の想いが溶けてゆくのは、永遠です。
 はかなさを痛いほど感じとる感性は、遥かな永遠にふるえています。

「信じられないほど本もので / いたいほどしんじつなのに」
「ゆめのようにとけて / うそのようにきえた」

 この詩句は、あわゆきを歌いながら、まるで詩を歌っているよう、人のこころ、いのちを歌っているようです。
あわゆき。詩。こころ。いのち。 美しく響き、ひかっています。
 やわらかくやさしくあたたかいひびき。いたいほどしんじつの、うつくしい、こころのことば。
 ゆめのよう、うそのように、はかなく、いっしゅんにきえてしまうから、かけがえのないもの、えいえんのこども。

 「あわゆき」は古事記から歌われ生き続けてきた美しい言葉。

 あわゆきのわかやるむねを。女性の乳房の美しさを歌っています。

 私はあわゆきが好き、詩が好きです。


  あわゆき
           細野幸子


ゆき
ゆき ゆき
本当に
ほんもののゆきだろうか

ふわふわ
さわってみる

キラキラ
みつめてみる

ひやひや
ほおばってみる

つめたさが、からだの芯にジーンとしみて
地球のそこをつきぬけた

信じられないほど本もので
いたいほどしんじつなのに

うれしさのあまりほんのいっしゅん
ひとみをうるませたそのすきに

――どうして?

ゆめのようにとけて
うそのようにきえた


 ☆ お知らせ ☆
『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05

    2012年12月29日

    細野幸子の詩(三)。愛。願い。歌。

     前回に続き、詩人・細野幸子の詩をみつめます。今回は第3詩集『あの日の風に吹かれて』(2002年、あぜん書房)に咲いている、私がとても好きな詩の花にします。

     詩「あの日の風に吹かれて」を私が好きなのは、愛の詩だからです。
     「わたしがいちばんつよく愛されていた」という詩句はとても真実で、母親の気持ちですが、子どもの気持ちを感じとることができる母親だけが言葉にできる母親の気持ち、ほとんど「つよく愛しあっていた」と同じ強さと温かさがあふれている詩句です。
     
     あふれだした思いが織りなしてゆく二連は、冒頭の
    「まるい地球のてっぺんで」という詩行で、詩の世界をまず、宇宙の大きさにまで広げます。
    宇宙の中の小さな星のひとりのぼうや。
    ぼうやをつつむのは、多くの人の胸のうちに隠されている優しさ、海のように深く広がりのあるゆたかな愛だと、美しい次の詩句で鮮やかに浮かびあがらせます。
    「せかいじゅうのおかあさんがへんじをする」
     もちろん、この地上では、ぼうやがよんでも、振り返らない、無視する、うるさいと黙らせようとする、虐げてしまう人さえ、いま大勢いるのを知っているからこそ、作者が詩のシャボン玉に映し見せてくれる夢、願いの世界です。
     作品は、三連で願いそのもの、祈りに近い歌にまで、美しく高められてゆきます。
     詩は願い、美しいひかり、歌となって、心に宿ります。耳を澄ませば、いつでも聴きとることができる、きえることない愛の歌だと、この作品は教えてくれます。
     
      あの日の風に吹かれて
               細野幸子


    どこかでぼうやが
    「ママー」ってよぶと わたしは
    つい立ちどまり ふりむいて
    いそいそとへんじをしてしまう
    わたしがいちばんつよく愛されていた
    あの日の風に吹かれて
    ――なあに

    まるい地球のてっぺんで
    こえをはり上げぼうやがひとり
    「ママー」ってよぶと
    せかいじゅうのおかあさんがへんじをする
    ひまわりみたいにくびをかしげて
    ――なあに

    太陽のような声が
    声が……声が
    きんいろにすきとおり
    風に吹かれて
    ぼうやのうえにふってくる


     次回も、細野幸子の詩をみつめ詩想をしるします。


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  • Posted by 高畑耕治 at 18:05

    2012年12月29日

    細野幸子の詩(二)。つばさ雲、かなしみと美。

     前回に続き、詩人・細野幸子の詩をみつめます。今回は第2詩集『三角公園で』(1994年、あぜん書房)に咲いている小さな花です。
     短い詩ですが、詩そのもの、純粋な詩を、感じていただけると思います。

     頭でっかちの詩人気取り屋や前衛自称の批評屋は、このような純粋な世界を、思春期の少女の夢想に過ぎないとあざ笑うかもしれません。でも、そのような賢く錆びた論理に涸れた思考や嘲笑に、詩心を失ってしまった貧しさを自ら曝け出している醜さを私は感じます。
     思春期の少女は素晴らしい詩人です、思春期の少女の夢想は詩です。女も男も生まれてすぐ詩人になります。
    忘れてしまい、失くしてしまい、捨ててしまい、退行してしまうだけです。自慢できることではありません。

     詩心は、大切に抱き育てれば、失わずに、もっと深く豊かにしていくことができます。
     純粋で、はかない、それでもこみあげてくる思い。とうめいな、こわれやすい、飛んでゆかずにはいられない羽の、かなしみ。
     つばさ雲。
     ひとつの詩句に、想いははるか遠くまでひろがります。

     見つめずにはいられない景色を前にする時のように、短いこの詩句の世界に入ってゆくと、雑念と雑踏の日常の時間がなぜか消え、音のない、時が止まるほど静まってゆく世界に、息をとめて、佇んでいる心を感じます。
     その瞬間の音のない言葉を文字で綴ったら、きっとこんなかたちになります。
     うつくしい。
     詩は美。とても大切なことを、思い出させてくれる、とても好きな作品です。


      哀訴 ――雨のまちから風のまちへ
               細野幸子


    部屋のまどから眺めています

    目にみえるもののなかで
    只ひとつ あの街へつづく空
    ちぎれた雲が白くひかって
    まるで 天使の羽のようです

      ――帰りたい
      うすむらさき匂うあのまちへ

    与えたその手で この腕の中から
    あなたがとりあげた わたしの
    大切なものたちはどうしていますか
    あきらめの底で見詰めています
    ただ 空だけを

      鳥にもなれず
      風にもなれず

    あたりがすこし夕暮れてきました
    傾きはじめた太陽の真下を
    つばさ雲がながれてゆきます
    空のむねを燃えながら ひた走る
    かなしみのようです

    ああ かみさま
    おおきく羽ばたけと 人間に
    あなたが授けてくださった
    とうめいな翼は あまりにも
    こわれやすくて――


     次回も、細野幸子の詩をみつめ詩想をしるします。

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  • Posted by 高畑耕治 at 12:05

    2012年12月29日

    細野幸子の詩(一)。詩のハンドベル。

     今回からの4回は、私のとても好きな、大切な詩を書く詩人を見つめ、詩想を記します。
     細野幸子(ほその・さちこ)の詩です。彼女は3冊の詩集を出版されていますので、それぞれから、私の好きな花を選びました。
     今回は第一詩集『ガラスの椅子』(1990年、北国帯)から、今日の日にふさわしく届けたい詩です。

     この作品をお読みいただけたら、私が彼女の詩をどうして好きか、わかっていただける気がします。
    彼女の詩はどれも、私がいちばん詩だと感じる詩です。

     とても優しいやわらかなわかりやすい言葉、心の言葉、ささやき声に耳をくすぐられるような。
     そうなのに、歌詞でなく、詩なのはただ、詩心の純真さと、詩情の深さ、宇宙の音に耳を澄ます詩人のまなざしの、はるかさと、ふかさ、それだけでじゅうぶんだと、教えられます。

     はかなさに永遠を、あこがれ願い求めずにいられない心、愛する心、どこにかあるはずの美しいもの、ほんとうのもの。詩であるかぎり必ずこれらの詩心のかけらは言葉に織り交ぜられていますが、隠され見失われ感じられない作品のほうが多くおもわれる時代に、彼女はいつも変わらず、この詩そのものを純粋なままに、そっと奏でています。

      聖夜
               細野幸子

    ハンドベルの
    クリスマス・ソングが
    綺麗だから
    雪のひと夜を
    共に過ごしませんか

    ひとりぼっちのあなた

    聴えませんか
    星と星の触れあう音
    宇宙のふきだまりで
    星屑たちが震えながら
    肩をよせあっています

    消えてゆこうとする星に
    願いをかけるのはやめにして
    雪の夜
    宇宙の音にそっと
    耳を澄ましてみませんか
    一瞬をまたたいて
    いつの日か
    私たちのかえってゆく
    その深みに
    何処かで
    また星がながれて
    ほんのすこし
    闇がひろがったようです

    この世のふきだまりで
    震えているあなた
    ふたつの淋しさを燃やして
    せめて
    聖なる今宵……


     細野幸子の詩はこちらの私のホームページでも3篇紹介していますので、お読みくださると、詩のハンドベルが心に美しく響き続けると思います。
    「プリズム」収録詩集『ガラスの椅子』、「単純作業」収録詩集『三角公園で』、
    「ゆきだるま」収録詩集『あの日の風に吹かれて』。


     次回も細野幸子の詩をみつめます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 08:05

    2012年12月29日

    崎本恵の詩(三)。詩情の花が目覚め。

     崎本恵(ペンネーム・神谷恵)が今年新しく公開した3詩篇をとおして詩想を記す最終回です。
     今回の詩は、とても濃密な詩情が込められています。とてもかなしくやさしく美しい詩世界がたちのぼります。
     この詩心にみちた響きが私の心の土に沁み入り宿ってくれたことで、私の心で詩の種が目を覚まし芽吹き花咲き、新しい詩「空の絵本」が生まれました。この木魂、詩心の交感を彼女は祝福してくださいました。
     詩と詩が呼び合い、詩情がゆたかにあふれひろがり、ひとの心に花が目覚めて美しく揺れ微笑みあうことを私は願ってやみません。

      いてくれるだけでいい

                     崎本恵


    病棟の公衆電話の前には
    夜になると傷ついた蝶がやってきます
    密が流れる箱に群がるのですが
    ふしぎなことに 真ん中の箱だけが
    いつも空いています
    きっとここを去る者だけが使うのです
    羽を広げる姿はまぶしくて美しいのに
    なぜ彼らは黙り込むのでしょう

    どんな存在もあたたかい
    寒い夜 私は一番端の電話機の横に腰掛け
    明かりの灯ったいくつもの家を
    病院の窓越しに眺めるのです

    突然に 

    帰りたい

    無口だと信じていた蝶の泣き声は
    それはそれはかなしいのです
    君よ 真ん中でかけ直してごらん
    花の匂いがするよ
    密が流れてくるよ

    ああ かみさま かみさま
    間引きされた者の生きる時間は
    深い闇のかなたにだけあかあかと灯っています
    ここは たくさんのいのちが
    ひとしきり降る驟雨のように
    あっという間に通り過ぎるところ
    さいわいな団らんを曇らせ
    やがて朝の日に焼かれ
    忘れられ 消えていくところなのです

    涸れた箱
    乳と密の流れる箱
    私は夜ごとに電話機のそばに座り
    自らは決してベルを鳴らさない箱に群がる
    捕らわれた精霊たちの声を聞いて
    そっと歌うのです

    ちょうちょ ちょうちょ 菜の葉にとまれ
    菜の葉に飽いたら 桜にとまれ

    生きても舞い 死んでも舞う蝶たちの夜
    とてもさむいのです
    とてもあたたかいのです

    ***
    (*高畑、注記:作品としての詩はここで終わりますが、続けて記されたブログの言葉も私は、ほとんど詩だと感じますので続けます)。

    携帯電話のお陰で
    電話ボックスは街中から消えつつあります。
    でも、病棟には
    乳と密と
    そして涙の流れる箱が
    いまだに存在しています。

    下の写真のように、(*高畑、注記:ブログの写真は下のリンクでご覧になれます)。

    「いてくれるだけでいいんだよ」

    そう言ってくれるひとがいる
    そんなひとは
    なんと幸いでしょう。

    たったひとりのあなたへ
    私が祈っています。
    あなたはいてくれるだけで
    それだけでいいんです、

    と。

     出典は、ブログ『遠い空へ』2012年10月31日です。

     これら3篇のほかにも、心から心へ手渡されてほしいと願う美しい心の花たちが、彼女のブログの野の土に根ざし芽吹き、咲き揺れています。
     ここには作品名だけを記しますが、私にとって、たとえば、詩「希い」「紅い星 蒼い星」「ゆずりは」「名前」「泥と珍女」「だから今日を」「娼婦」「独り」「哀耳(あいじ)」は、心を咲かせてくれる言葉、とても好きな詩の花です。とても控えめな姿で野に咲くこの美しい花々の歌が、どうか風に運ばれ、詩を愛するひとの心に、耳にそっとささやいてくれますように。

     崎本恵の詩はこちらの私のホームページでも紹介しています。
     詩集『採人点景(さいとてんけい)』から。詩「息」「ほたる」「希い」

     次回からは、もうひとり、私のとても好きな大切な詩人を見つめ、詩想を記します。

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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2012年12月28日

    崎本恵の詩(二)。願いに咲き続ける、花。

    今回も崎本恵(ペンネーム・神谷恵)の詩を見つめます。今年、野に芽吹き、咲き、揺れている、もう一輪の美しい花です。

     この詩も、読み返してみて、説明はいらないな、と感じます。
     彼女の心の社会への眼差しがより強く表現されている作品です。
     彼女の詩集『てがみ』の前半部には、社会的な弱者、無視され、軽視され、邪険にあしらわれる者の心の目で、不正と悪を告白し立ち向かう強い意思の響いている作品群があって、十数年前に初めて読んだとき、私は強く心を揺すぶられました。
     この詩に今年の秋で会えたことを私はとても嬉しく感じます。花は枯れていない、詩は枯れない、咲き続ける、
    そう感じます。詩の花が、根ざし根をのばし芽吹く野の土からすくいあげるもの、それは願いです。願いが涸れない限り花は枯れない、願いの花は人が生きている限り咲き続けます。

      お手をどうぞ
              崎本恵

    とろけてしまいそうに柔らかく
    真っ白な雪の色をして
    それなのに
    おひさまのようにあたたかい
    あなたのその右の手のひら

    あかぎれで
    がさがさしたわたしの手を取って
    あかるい方へと歩きだす
    さあ こっちよ
    ここに石ころがあるわ
    あ、そっちはとんぼがお休みしてるから
    そっと通り過ぎましょ
    大丈夫 私がついてるから
    きっと大丈夫
    まかせておいて
    もうすぐ大きな道に出るからね

    少女は歌うようにわたしの手を引いている
    その瞳に映っているものには
    きっと 美も醜も 善も悪もないのだろう

    お手をどうぞ
    彼女はいまもそう言って
    ほほ笑んでいるだろうか
    彼女の両親は
    ぶっそうな時代だから
    その声も手も もう引っ込めて
    見て見ぬふりをして 
    黙って急いで通り過ぎなさい
    そう教えていないだろうか

    破壊されました
    放火されました
    略奪されました
    遺体がみつかりました
    空母が進水しました
    原発が再稼働しました

    ………

    変わってしまった街並みが遠くなるように
    お手をどうぞ そう言ってくれたあの神の声が
    もう世界のどこにもない現実
    言葉は鋭い刃物に姿を変え
    わたしの胸に突き刺さったまま走り続けている

    降車ボタンを押す
    ゆっくりとバスが停まる
    降りようとして立ち上がったとき
    不意にめまいに襲われたわたしに
    年若い運転手が言った

    お手をどうぞ

    失ったはずの現実の在りかをみつけた
    わたしはそんな気がして
    見えなくなるまでバスの行方を見守った
    変わらないで
    そう祈りながら

    出典は、ブログ『遠い空へ』。2012年9月30日です。

     崎本恵の詩はこちらの私のホームページでも紹介しています。
     詩集『てがみ』から。詩「生の良心」「病室の海 霊安室から」「てがみ6 神様の石」「茜色のバス停にて」

     次回も崎本恵の詩をみつめ、詩想を記します。

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  • Posted by 高畑耕治 at 16:05

    2012年12月28日

    崎本恵の詩(一)。野に咲き揺れる、美しい花。

     今回からしばらくは私がとても好きな二人の詩人の詩をみつめ詩想を記します。
    まず三回に分けて崎本恵(ペンネーム・神谷恵)の三篇の詩です。彼女は私の詩集『こころうた こころ絵ほん』に言葉を寄せてくださった方で、ペンネームでの著作として、心うたれる詩集『てがみ』小説『家郷』をお持ちです。個人文芸誌『糾う(あざな)』でも珠玉の小説を発表されています。
     この記事の末尾に未刊詩篇をリンクしましたが、今年の秋からご自身のブログ『遠い空へ』で、新しい詩を立て続けに公開され、私はとても嬉しく思っています。
     詩がほんとうに良いもの、心うつものであることと、詩集として出版されているかどうかは、まったく別の事柄だと私は考えています。詩集としてまとめ出版し伝えようとするためには、意思と努力と諸条件が必要で容易なことではないので、実現された詩人に私は詩を愛するものとして共感の思いを抱きます。
    けれど、さまざまな要因で詩集にできない、野に咲いている花があることを大切に思います。その美しさを見失わず、見つめたいと願っています。

     彼女の詩は、魂の詩、限りなく祈りに近い言葉です。人の痛み、悲しみの歌。痛み、悲しみに寄り添い、そっと置かれる手のひらのよう。
     彼女の詩は、光の詩、その眩しさは、周りを取り巻く闇の深さと一体となって、魂に射し込みます。
     彼女の詩は、優しさ、いたわり、癒しの詩。強権、不正、虚偽に対しては、それらを守り抜くために、立ち向かう言葉です。
     次の詩は、野に咲く花だけれど、私には見つめずにはいられない言葉です。その揺れている姿が、心に焼きついて、心に種となって宿って、私の心にも芽吹き、咲き、揺れ始め、ずっと揺れていてくれる、そんなふうにとても大切に感じてしまう、美しい詩です。
    響きあう木魂を聴きとっていただけたら、嬉しいです。

      あなたへ
               崎本恵


    私にはともだちなんかいません
    まして 私の存在を喜んでくれるひとなんて

    あなたはわたしにそういいました
    わたしは一晩泣きながら
    そのことばをじっと抱きしめました

    神さま
    存在を喜ばれないひとを
    どうしておつくりになったのです!

    そのとき かすかな声が聞こえてきました

    耳があったら聴いてごらん
    目があったらみつめてごらん
    鼻があったら嗅いでごらん
    手があったら触ってごらん

    いつもあなたは真ん中にいる

    健やかなときも
    病めるときも
    死にいくときも
    すべてのものがささやいている
    輝いている
    香りを放っている
    在るものをあらしめている

    あなたのために
    いてくれてありがとうと伝えるひとがいる
    わたしのために
    いてくれてありがとうとほほ笑む存在がある

    なにも持たない
    なにも誇れない
    なにも飾れない
    それでも いてくれてありがとう
    そう祈る声がある

    友へ 

    わたしのこころを届けたい
    声なき声はそう語っていました

    大切な 友へ
    いてくれてありがとう
    それは傷だらけになった
    止めどない血と涙をしたたらせる十字架のうえから
    あなたへ そしてわたしのために流れくる
    父への嘆願
    かなしみの祈りでした

    出典は、ブログ『遠い空へ』2012年9月27日です。

    崎本恵の詩はこちらの私のホームページでも紹介しています。
    未刊詩篇から。詩「晩鐘」「芽吹き」「利き手はどっち」

     次回も崎本恵の詩をみつめ、詩想を記します。

     ☆ お知らせ ☆
    『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

     イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

        こだまのこだま 動画
      
     ☆ 全国の書店でご注文頂けます(書店のネット注文でも扱われています)。
        発売案内『こころうた こころ絵ほん』
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        詩集 こころうた こころ絵ほん
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  • Posted by 高畑耕治 at 04:05

    2012年12月28日

    詩誌『たぶの木』3号をHP公開しました

     手作りの詩誌『たぶの木』3号を、私のホームページ『愛のうたの絵ほん』に公開しました。
      
       詩誌 『たぶのき』 3号 (漉林書房)

     漉林書房の詩人・田川紀久雄さん編集・発行の小さな詩誌です。
     私は作品を活字にでき読めて、とても嬉しく思います。
     参加詩人は、田川紀久雄、坂井のぶこ、山下佳恵、高畑耕治です。 ぜひご覧ください。

     ☆ お知らせ ☆
    『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2012年12月27日

    佐相憲一の詩。ひとと詩が好きな、心からの声。

     今年読むことができた心に残る詩集について前回に続き記します。
    今回は、詩人・佐相憲一(さそう・けんいち)の詩集『時代の波止場』(2012年12月、コールサック社)です。
     彼はコールサック社で編集者としても詩をひろめる仕事で活躍していますが、その姿に一番感じるのは、彼は詩が本当に好きだな、詩を愛するひとが好きだなという思いです。詩人とはこのような人間じゃないかと私は思います。
     このことと結びついていますが、この詩集を読んで私が一番強く感じ思ったのは「爽やかさ」でした。読んだ後、爽やかな気持ちになれる、何かしら元気を感じとれる、そんな詩集が私は好きです。でもなかなかめぐり合うことはできません。

     苦しいできごと、悲惨な歴史、社会の過酷さ、歪みを直視することは難しいことです。人間の歴史、社会の歪みと矛盾と不正は、昔も今もあふれていますが、為政者は隠し都合で歪曲します。絶望、悲嘆、嘆き、叫びを発して死んでゆくひと、そのひとに寄り添い、押しつぶされ揉み消されようとする良心を掘り起こし声にすること、苦しみ悲しみをともにしたいという願いを抱くひとを私は尊敬し、大切に思います。

     そのうえで、詩人は自分がまだこの世界に生きていこうとするなら、絶望を直視してもその向こうに願いを、暗闇のただなかでも光を、嘆きと苦悶のうちにも微笑みを、疲労と疲弊の底でも童心の歌を、孤絶と格差と差別に凍えながらも友情や思いやりや恋や愛を、探し、見つけ、灯し、浮かべる、そのような言葉をこそ、生み出す者であってほしいと考えています。私自身がそのような書き手でありたいと願います。

     この詩集の中から選んだ詩「恋」は、まずタイトルがいいです。心優しいこの言葉が現代詩にはなかなか見当たりません。
     「ひと と ひと」という言葉に、ひとりひとりの心を感じとるまなざしを、また「女と男」と自然に書く詩人に、「男と女」凝り固まった序列と固定観念を溶かそうとする柔らかな優しい意思を感じて共感します。
     この詩人は子ども好きだから、詩行から子どもの笑顔が輝きだしているのも心が元気づけられます。

     9連で共感するものとして歌いあげられているナマケモノ、カバ、イルカ、ファーブル、画家、無名詩人、平和を唱えた人、愛しあう男女、太陽系に、この詩人の、実利や物欲や力ではない、優しいものたちを見つめ大切に思うこの青年の心のあり方を感じます。だから「爽やか」なのだと思います。

     生きているひとりひとりにとって大切なものは、冷戦や国家、国境、民族のような枠では閉じ込めることができないんだと、もっと自然なこころで生きたいんだという願いを、恋、うた、くちづけ、かなしみ、という体温が伝わってくる言葉を織り込んだ優しい詩句で歌っているこの詩は、とても美しく、良い詩だと私は感じます。

      
            佐相憲一


    星から生まれたとは意識しない暮らしの空で
    今日、生まれる関係

    地球の形をした眼球の海に
    まなざしの波
    ほほえみの風

    ひと と ひと が
    向かい合っている

    人類なんて意識しない日常の砂浜で
    今日、ふたりは人類である

    流されたかなしみを流さずに
    押しつぶされたくるしみを押しつぶさずに

    女と男が
    夢を見ている

    出会いは本当に偶然の回転だろうか

    いくつになっても
    小学校の放課後の
    チョコレートを渡す女の子の白い歯と
    はにかんでありがとうの男の子

    愚かという言葉は美しい
    樹の上で遠いまなざしのナマケモノのように
    水面に顔を出してまばたきするカバのように
    いつまでも童顔で海渡るイルカのように
    小さな虫の姿におののくファーブルのように
    お金にならない絵を描き続けた画家たちのように
    何の得にもならない文学にこだわって
    ひとの心をしるす無名詩人たちのように
    どんな妨害にも平和を唱え続けた人たちのように
    どんな時代にも国境越えて愛し合った男女のように
    愚直にすすむ太陽系
    命のあたりまえを実践することだ

    星になるのは死んでからではない
    いま女と男が
    言葉を発する入り口をくちづけて
    存在が体ごとつながる時
    星のかなしみが抱きしめられる

    朝焼けと夕焼けは
    そんな男女の対面のようだ
    すれ違っているようで向かい合っている
    違うニュアンスのようで同じ太陽に染められる
    東西冷戦はありえない
    南の空にも北の空にも同じキムチ
    日の本も漢字のくにと風でつながる

    <愚かなり我が心>
    そんな恋のうたがあった
    さまざまな音楽家に演奏され愛聴されるのは
    兵士が兵士であることを忘れるから
    国家人が生活人であることを思い出すから
    会社員が人間であることを思い出すから
    孤独なひとが恋を思い出すから
    恋するひとが自分自身を感じとるから
    ひとの心が
    生きていることを思い出すから

    永遠の混血児たち
    地球じゅうにひろがった
    ときめきの記憶

    今日もまた
    新しい恋が
    かなしみにくちづけしている


    この詩のほかにも、心を揺らしてくれる作品がこの波止場には、波打っています。そのうち、次のような作品が私は特にいいなと感じました。
     詩「帰り道」
     マッチ売りの少女。孤独な北欧詩人の豊かな童話。物語。ひとのこころ。私も敬愛するアンデルセンを思う素敵な詩句が心に響きます。
     詩「波音 Ⅲ」
     詩人の自伝的な作品で、横浜の街、時代の背景に生きた「母さん」への想いに心打たれます。
     詩「波音 Ⅴ」
     大阪弁の詩です。大阪港の波の音のように、心やさしい大阪のこどもたちの元気な声と詩人との会話が聞こえてきます。
     詩「波音 Ⅵ」
     高校時代の国語の先生との、古典を通した心の交流、織り交ぜられた思い出の懐かしい情景はあたたかです。
     詩「夏の匂い」
     恋人との時間に食べ物でふれた隣国、「こんなおいしいものをつくる人たちと戦争は嫌だ」という詩句、昆虫や動物への優しい思いに、とても共感する好きな詩です。

     読み終えて、詩はやっぱりいいな、私は詩が好きなんだ。そう、当たり前に感じさせる力のある、とても良い詩集だと感じるのは、彼の社会的な批評も創作もヒューマニズム、ユマニスムに深く根差していて、さらにそ

    れを育んでくれている生き物、宇宙への思いが息づいているからだと感じます。

     次回も、私の好きな詩人の好きな詩を見つめます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 16:05

    2012年12月27日

    佐川亜紀の詩。やわらかく滋味ある、言葉と行い。

     今回は、心ゆれ願いがふくらむ素晴らしい作品を私のホームページとブログで紹介させて頂いた詩人・佐川亜紀の新しい詩集『押し花』(2012年10月、土曜美術社出版販売)について私が好きな詩を見つめ、詩集に呼び起こされた詩想を記します。

     私が選んだ作品は詩集のなかで一番やわらかな言葉で書かれていますが、この詩人の強い個性である抒情性を失わない社会性と国際性と批評性とを、やはり響かせています。
     そのうえで、この作品の抒情性は、みずみずしい感受性を生きてきた人だからこそ表せる、深みと温かみ知る人のまなざしにあると感じます。
     作品中のとても美しい詩句、「豆腐のような/やわらかく滋味ある/言葉と行い」、この詩句を紡げることが、この詩人の現在を伝えてくれて、私はいいなと、心から感じました。

     もうひとつ私が彼女の詩を好きなのは、歴史に翻弄され虐げられがちな弱い立場に追い込まれた人たちと一緒にいようという意思を抱いて、強い願いを表現していることです。目を背けたくなる歴史におかれた人を書くときにも、彼女の詩には願いが必ず響いています。だから、私の心に伝わってくると私自身の願いと響きあいだし、励まされる思いがします。

     この詩には、この詩人の強い個性とそのような良さが、やわらかく感じとれて、私はとても好きです。

      豆腐往来
             佐川亜紀


    からを漉して
    もう一度生まれるように
    ふはふは
    豆乳の湯気たてて
    海のにがさを吸い込み
    水に泳ぎ
    初めての頬ずりみたいに
    そっと手にとる
    白肌のゆらめき
    奴になって
    切られて食われてやらあ

    中国から伝わった豆腐
    中国の麻婆豆腐も
    朝鮮の豆腐チゲもちょっと辛い
    あっけなく崩れる
    人の肉体のように
    赤い汁がしみ込む
    おばあさんおじいさんたちの
    歴史の苦労も辛い
    日本の淡白な舌は
    辛味を味わい難いのか

    病気の喉にも通りがいい
    病んだ世界に欲しいのは
    国と国とを
    往来する
    豆腐のような
    やわらかく滋味ある
    言葉と行い

     この詩集に収められた他の作品で、上述した個性と良さが心に響いた詩を記します。

    詩「ヒロシマの眼」
     父の生き方、父への思いを通して書かれているからこそ、ヒロシマ、韓国の被爆者、イラクの少女に馳せる思いと願いは心に響きます。

    詩「体温」
     子供たちを通して、祖父を通して、阪神淡路大震災で亡くなった方の悲しみに思いを馳せ、生きること、死ぬことをみつめるまなざしに、私の心も重なります。

    詩「セロリの別称」
     朝鮮と日本の歴史を見つめなおすこだわりを、私は大切だと思います。

    詩「生命の目盛」
     ヒロシマ。ナガサキ。フクシマ。生命。地球。これらを空疎なスローガンや政治のアジテーションではなく、詩の言葉で作品として、感受し表現し伝えることは、とても難しいことですが、この詩人の願いの偽りのない強さが、詩として響いていると、私は感じます。

     今回の詩集には私がとりあげたこれらの作品のほかに、能を取り入れようとした意欲的な作品や、言語による思考を暗喩の駆使によって極めようとする「現代詩」的な作品群があります。詩人としての豊かさを広げるための努力をされていると私は感じました。おそらく現代詩壇では、より知的なこれらの作品を評価する方々が大多数だと私は思います。私の感受性、詩についての好み、考え方は、詩壇ではたぶん特殊です。

     詩を愛する人、詩を好きな人というより豊かな拡がり、視野でみつめたときには、詩人・佐川亜紀の強い個性と魂の輝きは、私が好きな作品たちにこそあって、詩を書かれない読者にも共鳴を生むのではないかと私は思います。
     彼女はこのことを理解されつつ幅広く活動されていらっしゃるので、心をつつむやわらかな滋味をこれからも深め伝えてくださいと、私の願いを最後に記します。

     次回も、今年読むことができ、心に残り、詩想をよび起こされた詩集の詩をみつめます。

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  • Posted by 高畑耕治 at 08:05

    2012年12月27日

    春木節子の詩。創作で一番大切なこと。

    今回は詩人・春木節子(はるき・せつこ)の詩をみつめます。前回紹介したアンソロジー詩集『女性たちの現代詩 日本100人選詩集』(麻生直子編・梧桐書院)の収録作品で、作品出典は北海道新聞です。

     略歴には、1952年、東京都生まれ。詩集『巴里通信』(金文社)、『鎧戸』『悦郎君の憂鬱』(共に本多企画)『Nとわたし』(土曜美術社出版販売)。日本現代詩人会会員。詩誌「木々」「馬車」同人。と記されています。
     詩人・久宗睦子を引継ぎ詩誌「馬車」を現在主宰され、意欲的な詩活動を継続されています。

     アンソロージーで読むことができた詩「英語の時間」は、次のような大切なことを考えさせてくれます。
     詩の良さって、なんだろう?という、とても素朴なことです。
     この作品を、読んだとき、読み返すとき、正直に書くと、私は泣きそうになります。胸に強くこみあげるものを感じます。読んだときに、呼びおこされる感動、思いが強いものであるのは、その作品が息づく詩であるからだと、私は思います。

     この作品の詩句は、意識して一切の不要な暗喩や言葉の装飾は省かれています。大人になってからの回想の枠組みですが、語り手は中学生か高校生の少女時代のその時の目線、その時の言葉で、出来事をたんたんと伝えているので、読者は少女の優しい言葉に素直に耳を傾けている気持ちになります。
     そこで語られている情景とその時を染めた悲しみが、作者にとって忘れられない強い記憶であったこと、そのことを伝えたいという作者の思いの強さが、平易な言葉の底流にあるからこそ、読者の心を開き、沁みこんできて、ゆさぶってくれるのだと思います。

     事実そのままの回想のように感じさせることにも、私は詩人の力量を感じます。言葉にして書くということ自体が、事実・あったこと・記憶を、ひとつの言葉による虚構の形を作って、伝えることです。
     文脈に用いる暗喩や寓喩の数や、その解読の難解さが、詩句の価値を高めるのではありません。それはあくまで、伝えるために虚構の形を作る際の方法のひとつでしかありません。暗喩や寓喩を多用する「現代詩」こそ、前線の最良の詩だと思い込んでいる人たちは、このことを忘れてしまったか、知らないのだと思います。

     平易な言葉で作品を構成して読者に感動を伝えることのほうが、とても難しいです。
     作品にはふさわしい個性と顔があります。その望む姿で生まれるのを助けるのが詩人です。出産に似通っています。この作品の感動は、ここで選ばれた平易な言葉でこそ心に静かに強く深く響きます。作者はそのことを感じ、言葉を見つけたのだと思います。
    アジテーションの連呼が聞く者の心を醒まし閉ざしてしまったり、きらびやかな美文が作為に過ぎ駄文に陥るのと、対照的です。

     核に、強い感動、伝えずにいられない思いがあること。作品が受精卵か無性卵かの違いです。
    その感動、思いを息づかせたまま、読者の心にもっともよく届き伝わる、言葉、リズム、構成、方法を探し見つけながら、事実と虚構の織りなす輝きを生み出すこと。これが詩の創作でもっとも大切なことだと、この詩は教えてくれます。

      英語の時間
                春木節子


    英語を教えて下さる 田代先生のお嬢さんが
    交通事故で亡くなられて
    先生の授業は 二週間続けてお休みでした

    暫くぶりのリーダーの授業が始まる前
    わたしたちは 田代先生のお気持ちを思って
    授業中は お喋りをしないこと
    誰かがお悔やみを先生に申し上げることを慌ただしくきめ
    わたしにその役目がまわってきました

    田代先生はなにごともなかったように板書をされ
    滑らかに 教科書を読まれました
    先生は 何時もどおりに笑顔でいらしたけれど
    生徒の誰とも目をあわせることをせず
    先生の眼鏡のおくの目は
    少しも笑っていなかったのが
    わたしにはわかりました

    「今日は皆さん 静かですね」
    先生がそういわれると わたしの回りでしきりと何か言うよう促すので
    「先生 わたしたちは 心からお悔やみ申しあげます」
    とやっとお話しすると 先生は遮るように
    「きょうは どうもありがとう」
    と言われて 黒板の方に急に 向かれて 静かに
    泣かれました

    先生がそのあと すぐにおやめになったのは
    先生のお嬢さんと わたしたちが同じ歳であたためとしったのは
    わたしが大人になってからのことでした

     次回は、今年読むことができ、心に残り、詩想をよび起こされた詩集の詩をみつめます。


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  • Posted by 高畑耕治 at 00:05

    2012年12月26日

    麻生直子編 『女性たちの現代詩』 

     前回まで詩詩『ラ・メール』の特集を中心に明治以降の女性の詩人の詩をみつめてきました。
     詩は芸術ですので、読者は心の個性とありようにとって「好きか嫌いか」で受けとめ感じとればいいのだと私は思います。
     書き手の詩人にも嗜好、好き嫌いがあって当然ですが、排他的にならずに個性による多様性を認め合ってさえいれば、読者が良いと感じるものを選べるので、詩の豊かさは損なわれずにすむと思います。

     そのように想いつつ並行して読んだアンソロジー『女性たちの現代詩 日本100人選詩集』(麻生直子、2004年、梧桐書院)を今回はとりあげます。
     (ただし、くどくなりますが、これらの選詩集に掲載された詩人が、掲載されていない詩人より良い詩を書く詩人だとは思っていません。良い詩は多くの人が知らない湖畔に美しく咲いています。あまり知られず、まだ知られず、咲いている美しい野の花があります)。

     麻生直子の解説「女性の詩と時代をめぐって」は、江戸時代の俳諧にまでさかのぼって、女性が書いてきた詩を丁寧に伝えてくれます。与謝野晶子たちが歩み出した新しい詩の時代、大正デモクラシー、プロレタリア運動や戦時の報国詩、戦後1945年から90年代まで、時代のなかの女性の詩人の生き方を直視していて深く考えさせられる論考です。

     詩人・麻生直子自身の作品は『日本現代詩文庫・第Ⅱ期① 麻生直子詩集』(1995年、土曜美術社出版販売)で読めます。私は詩「憶えていてください」に心うたれます。1993年北海道南西沖地震の津波による奥尻島の被災者の方々への鎮魂歌です。

     『女性たちの現代詩』の収録詩は、1900年代の後半の、女性詩人の作品です。
     特徴として、編者が主宰されている詩誌「潮流詩派」の特徴でもある社会性・批評性・記録性、そして現代を意識した現代詩が選ばれていると感じます。

     私個人の詩へのこだわりからの思いを自分自身に言い聞かせているまま率直に記しますと、社会性・批評性に共感しつつ、現代詩全般に思うことですが、現代性に捉われるあまり知性に偏り、時代をこえる抒情のゆたかさを削ぎ落としすぎていると感じます。
     そして「現実」「悲惨」を直視することに共感しつつ、夢や願いや憧れ、柔らかな思いでこそ浮かびあがってゆく何か、生きることをそれでも悪くないと伝える何かが、たりないと思います。

     でもここに選ばれているのは一作品だけなので、私が詩の響きに感じ取りたいと願うそれらのことを、他の作品で響かせている詩人がいらっしゃるのを、私がまだ知らないだけかもしれません。詩は、黒い花と白い花を、同時には咲かせられないだけかもしれません。

     ひとりひとりの顔と心が違うのと同じように、詩ほど個性の素顔に近い文学はなく、詩はまとめて評することなどできません。だから好きだと感じた作品の名と詩人を、掲載順に書き記しておきます。
     あくまで私の感性と詩についての考え方、好みによるものにすぎませんが、いいと感じる作品には必ず強い源を感じます。これらの作品をより詳しく紹介できる機会があるかわかりませんが、個々の作品の良さがわからないという人がしいたら、私はその作品だけに光る良さをどこに感じたかを伝えると思います。

     詩「二日月」財部鳥子(たからべ・とりこ、1933年生まれ)。
     詩「六月の乳の風」佐川亜紀(さがわ・あき、1954年生まれ)。
     詩「英語の時間」春木節子(はるき・せつこ、1952年生まれ)。
     詩「ぶどうの季節」水野るり子(みずの・るりこ、1932年生まれ)。
     詩「Patio(中庭)」久宗陸子(ひさむね・むつこ、1929年生まれ)。
     詩「残響」高塚かず子(たかつか・かずこ、1946年生まれ)。
     詩「ゆれる木槿花(ムグンファ)」石川逸子(いしかわ・いつこ、1933年生まれ)。
     詩「若狭内浦の里」司茜(つかさ・あかね、1939年生まれ)。
     詩「山撓(やまたわ)」安英晶(やすえ・あきら、1950年生まれ)。
     詩「丸い地球のうえで」香川紘子(かがわ・ひろこ、1935年生まれ)。
     詩「積み上げて」江口節(えぐち・せつ、1950年生まれ)。
     詩「顔をあらう」北川朱実(きたがわ・あけみ、1952年生まれ)。
     詩「あるキムに」徳弘康代(とくひろ・やすよ、1960年生まれ。
     詩「水の妊婦」江島その美(えじま・そのみ、1944年生まれ)。
     詩「ひも」高沢マキ(たかさわ・まき、1945年生まれ)。
     詩「欲望」山本かずこ(やまもと・かずこ、1952年生まれ)。
     詩「赤ちゃんの子宮」片岡直子(かたおか・なおこ、1961年生まれ)。
     詩「あなたが風に吹かれて立っている時」藍川外内美(あいかわ・となみ、1967年生まれ)。

     詩は作品が本当はすべてだと私は思っていますので、作品のない今回は自分でもさびしく思います。次回はこの本から1篇だけですが作品を通して詩想を記します。
     
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  • Posted by 高畑耕治 at 22:30

    2012年12月26日

    田川紀久雄の詩(二)。土砂降りの中で。

     前回に続き、詩人・田川紀久雄『愛するものへ』(2012年11月、漉林書房)から、私の好きな詩を見つめます。
     今回の詩「愛する人がいます」は最後に置かれている作品です。

     田川さんは詩語りで、宮澤賢治を読み込まれているので自然なことですが、この詩は賢治の「雨ニモマケズ」と木魂しています。ご自身の生き方を通して紡ぎだせた言葉だから、深く響き合っていると思います。

     以前とりあげたアンソロジーのなかに井上陽水の「ワカンナイ」という歌詞が掲載されていて印象的でした。賢治の「雨ニモマケズ」をパロディ化してワカンナイと歌っています。歌詞そのものは軽いおかしさと機智の表現にすぎなくて良いと感じませんでしたが、たぶん誰も彼もが「雨ニモマケズ」を持ち上げることへの皮肉と醒めた意識は、それはそれで自然だとも、また陽水らしくなく頭でっかちな歌詞だとも感じました。
     良いと感じる人がいて、良いと感じない人がいる、それでいいと思います。

     「雨ニモマケズ」を読み、口ずさんで、感動し、いいなと感じる心がある、幼い子どもからお年寄りまで、そう感じる人がいるということだけが、この賢治の言葉が人の心に響くいつわりない詩だと教えてくれます。
     田川さんは宮澤賢治の詩が好きな読者の一人として、好きだから繰り返し朗読されていることが、詩の木魂する響きで伝わってきました。


      愛する人がいます
                田川紀久雄


    風が吹きました
    雨が降りました
    時々晴天の日もありました
    人生とはなかなか思うようにいかないものです
    哀しい時は人知れずに涙を流しながら泣きました
    楽しい時は
    あまり記憶がないので
    笑った覚えはありません

    人を愛したことはあります
    生れてきたことを憎んだこともあります
    それなりの経験を積んでここまで生きてこられました
    生れたことへの憎しみがあるから
    より一層人を愛することを求めてきました

    六十の半ばで末期ガンの宣告を受けようとは思ってもみなかった
    あなたのいのちは半年も持たないでしょうと
    言われても本当のところそれほど実感がわかなかった
    あなたのことや
    妹のことを思って
    ちょっと不安になりましたが
    なんとかここまで生きぬいてこられました

    土砂降りの中で
    多くの人から助けてもらいました
    なんと五年間で九冊の詩集を上梓して
    それが助けられてきた人たちへの恩返しになっているのか
    私にはさっぱりわかりません
    詩人として生きることは
    社会的には人間失格です
    詩語りを目指して生きようとしても
    誰の役にもたたないとつくづく感じています

    私の心の中をいまなお強風が吹いています
    ときどき大粒の雨が降ってきます
    あなたのためにも
    一日でも長く生きていたいのです
    愛がこの世で
    野の花のように美しく感じられることを祈りながら……
                  (二〇一二年五月十七日)

     次回も今年出会えた詩集をとおして詩想を記します。


     ☆ お知らせ ☆
    『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。A5判並製192頁、定価2000円(消費税別途)しました。

     イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。

        こだまのこだま 動画
      
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  • Posted by 高畑耕治 at 22:00

    2012年12月26日

    田川紀久雄の詩(一)。苦しみを食べてあげたい。

     今回と次回は、私も参加させて頂いている詩誌『たぶの木』を発行してくださっている詩人・田川紀久雄さんが今年11月にだされた新しい詩集『愛するものへ』(漉林書房)から、私が好きな詩を2篇みつめます。
     表紙は画家でもあるご自身の絵「良寛さんと子供たち」(油彩10号)の優しく淡いあおで彩られた野の花のような本です。

     あとがきに書かれていらっしゃるように、この本からは詩集という言葉がはずされています。創作とは、作者にとって書かずにはいられない、伝えたい想いの源の受精卵から生れますが、その想いがどのような顔をして生れているかは、誕生の瞬間までわからない、とても繊細で微妙なものです。

     「現代詩」には、<コノヨウナモノデアラネバシジャナイ>というような権威による暗黙の呪文のような決め付け、流行に過ぎない枠組みの押し付けがはびこり、その型に合せて並べられた言葉は、凝り固まった思考には受けの良い、点数をつけやすい形なのかもしれませんが、詩情は損なわれ失われています。
     詩歌の源にある憧れやときめきや驚きや思慕や哀しみに根付いていない、知性と機智に偏向した言語実験は一見難しそうで立派そうでも、とても窮屈で窒息しそうで読まなければよかったと後味の悪さばかり残ります。作者の心から新しい顔で気ままに生れ出る詩の息吹き、言葉だけが表せる自由がありません。
     私は詩歌を、自由な詩を生み出し伝え続けたいと強く願いますが、その作品が「現代詩でない」と言われようがどうでもよいと思っています。
     詩は人の心の豊かさのままに多様なほど良いのだし知性の光る作品も一つの顔としてまた良いけれど、他を認めない、心を封印した「現代詩」の偏狭さは有害だと考えています。

     横道にそれましたが、田川さんから生れた私の好きな詩「癒されない哀しみ」には、たとえば次のようなとても驚いてしまう心と言葉が生きていて、見つけた喜びがあります。
     「あなたの苦しみを食べてあげたい」
     心の声に耳を澄まし、感性を大切に開いて、詩の泉を心に沁み込ませたいからこそ、詩が好きな読者には、きっとわかると私は思います。
     このような詩句は頭でひねってより巧みにみせようとしてこしらえられるような瓦礫ではありません。詩句とは、作者自身にとっても、読者にとっても、心にささり忘れられなくなる、こういう言葉だと、私は思います。


      癒されない哀しみ
                 田川紀久雄


    愛するものが哀しんでいるとき
    私の心も哀しい
    哀しみはそう簡単には拭いさることはできない
    ただじっと見つめているしか出来ないときもある
    でも愛するものよ
    あなたの傍に寄り添っている人のことを思い出して欲しい
    あらゆる生き物は存在の哀しみを背負い込んでいる
    それは自分の心の弱さからくることもある
    でもその弱さを自然に受け入れるしかない
    逃げることが出来ないのなら
    まるごと受け入れるしかない
    あるがままに生きることも必要ではないのだろうか

    愛するものが哀しんでいるとき
    一番つらいのは
    その人を愛しているものなのだ
    どうすることもできない
    愛するものの苦しみが
    竜巻のように襲いかかってくる
    人間存在そのものの弱さに打ちのめされてしまう

    愛するものが哀しんでいるとき
    あなたの苦しみを食べてあげたい
    それができない
    あなたの苦しみや哀しみは
    あなただけのものだから
    ただあなたの哀しみを聴いてやることしかできない

    愛ってなんなのだろう
    幸せなときは
    愛も幸せでいられる
    悲しい時は
    愛も哀しくなる
    愛ってなんなのだろう
    どうすることもできない
    心の愛は
    しゃぼん玉のように空に舞い上がって消えていく
    光はそのしゃぼん玉を虹色に変えていく
    一瞬の美しいものがたり
               (二〇一二年二月十八日)

     次回もこの詩集から1篇の詩を見つめます。

     ☆ お知らせ ☆
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  • Posted by 高畑耕治 at 21:34

    2012年12月04日

    新川和江の詩。詩は花。ひばりのように、歌え。

      近代詩が生まれた明治時代からの約百年間に創られた女性の詩人の詩をみつめなおしてきました。。
     『ラ・メール 39号、特集●20世紀女性詩選』(1993年1月、編集発行人:新川和江・吉原幸子、発売:思潮社)に採録されている詩人の一作品・一輪の花たちのなかから、私が好きな、木魂する思いを揺り起こされる詩について、詩想を記してきましたが、今回が最終回です。

     今回の詩人は、新川和江(1929年昭和4年生まれ)です。
     前回の吉原幸子とともに詩誌『現代詩ラ・メール』(1983年~1993年)を編集発行し『特集●20世紀女性詩選』で忘れさられようとしていた優れた女性詩人の、心打つ良い詩を伝えてくれた仕事はかけがえのないものだと思います。

    『ローマの秋・その他』『ひきわり麦抄』『けさの陽に』『はたはたと頁がめくれ…』など多くの詩集を出版しています。

     最終回の今回も、私の好きな詩を選びました。
     最初の1篇は『現代日本 女性詩人85』(高橋順子編著、2005年、新書館)から、底本は『新選新川和江詩集』です。

     抒情詩は言葉の花、心の花です。そのことを教えてくれる詩。やさしい言葉で、優しい心を咲かせる花。
     花に寄り添い、花を見つめ花の心をかたり、歌いあげる最終連は、とくに美しく、私は好きです。
     

     サフラン
              新川和江


    さびしい人から
    さびしさを引いた数だけ
    サフランは ひらきます

    木に咲く花のように
    高い梢を 知りません
    小鳥が飛んできてとまる
    てごろな枝も 持ちません
    束ねてリボンをかけようにも
    ほどよい茎さえ ありません

    でも 地にひくく咲くゆえに
    空の深みにおいでのお方を
    まばたきもせず
    見つめることができるのです
    あの方は一りん一りんに
    ひかりのまなざしを注いでくださいます

    たくさんのさびしさよ
    サフランとなって 咲きなさい
    サフランと咲いて 癒えなさい


     2、3篇目の作品の出典は『新川和江詩集』(2004年、ハルキ文庫)です。
     この本にはほかにも、男女の、人間の愛を歌うことが詩だと伝えてくれる詩「地上の愛」など、好きな心に響く詩がいろんなところに咲いていました。

     次の歌は、女を、母を、子どもを、宇宙と自然に感応する、いのちとして、歌いあげた、心にとても響く作品です。このように歌える詩人だからこそ、『特集●20世紀女性詩選』という美しい心の歌の花束を編めたのだと感じます。

      
           新川和江


    はじめての子を持ったとき
    女のくちびるから
    ひとりでに洩(も)れだす歌は
    この世でいちばん優しい歌だ
    それは 遠くで
    荒れて逆立っている 海のたてがみをも
    おだやかに宥(なだ)めてしまう
    星々を うなずかせ
    旅びとを 振りかえらせ
    風にも忘れられた さびしい谷間の
    痩(や)せたリンゴの木の枝にも
    あかい灯(ひ)をともす
    おお そうでなくて
    なんで子どもが育つだろう
    この いたいけな
    無防備なものが


     最後に選んだのは、彼女の出発点、詩を生み始めた時の詩です。
    この詩人は、詩は歌であることを知っていて、教えてくれます。詩人は「いのちの限りうたふ」人間、「胸はりさけて死んだとて」それでよいと、歌う人間。
     この真実をいえる詩人に出会えて、心から嬉しく思います。私もそう思い歌いはじめ、歌い続けている「ひばり」だからです。

     この詩心を抱き続けている人が詩人です。心みつめる人、感受性あふれて、歌う人、歌いたい人、歌が好きで歌に耳澄ませ心ゆらす人、その誰もが詩人です。
     詩は専門家や芸人の独占物でも賞争いの競技種目でもありません。
     あたりまえの、ほんとうの、大切なことを、伝え続ける、この詩人は、本当に詩が好きなんだと、私は思います。
     私も詩が、歌が、好きでたまりません。ひばりの様に、ただ歌い続けたいと願っています。


      ひばりの様に
              新川和江


    ひばりの様にただうたふ
    それでよいではないですか

    からすが何とないたとて
    すずめが何とないたとて

    ひばりはひばりのうたうたふ
    それでよいではないですか

    いのちの限りうたひつつ
    ゆうべあかねの雲のなか

    胸はりさけて死んだとて
    それでよいではないですか


     続けて書いてきました女性の詩人の詩についてのエッセイの最後に、ここにとりあげられなかった優れた詩人、心打つ詩は、いたるところに咲いていることを忘れてはいけないと思います。押しつけがましくない優しい心はひっそり咲いていて、私がまだ気づかずにいるだけです。

     これからも、女性の詩、男性の詩、心うつ人間の詩をみつめ揺り起された詩想を自由に書き、手渡していきたいと思います。


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  • Posted by 高畑耕治 at 06:05