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高畑耕治
高畑耕治

2012年07月12日

笑顔で流す涙。田川紀久雄詩集『いのちとの対話』(一)

 詩人の田川紀久雄さんが新しい詩集『いのちとの対話』(2012年8月、漉林書房、本体2000円)を出版されました。この詩集に呼び起こされた私の詩想を記します。

 詩集の表紙は画家でもある田川さんご自身の絵で飾られています。優しい筆遣いとぬくもりある色合いの、哀しい顔の絵です。この詩集そのもののように、微笑みながら泣いていて、美しいと感じます。

 詩、という言葉に思い浮かべるものは人によって様々です。言葉により表現される詩と範囲を限定しても、どのような言葉の姿・形を詩と感じ考えるか、この問いにおそらく正解はありません。個性・感性によって違うのが自然で良いと私は思います。

 田川さんの詩集『いのちと対話』は、言葉による表現としての詩の、ある意味で極北に位置します。
 なぜなら、この詩集の言葉に、詩を感じとれない似非詩人たちも多くいるだろうと思える、ひとつしかない星のかがやきだからです。もちろん、私はこれこそ詩のひかり、響き、北極星のよう、と感じる者だから、この文章を書いています。敬愛の思いを込めて、今このような詩を書ける詩人は田川さんだけではないかと、私は思います。(あくまで私の出会えた狭い範囲でのことです、まだ知らないところで書かれている方はいらっしゃるかもしれません)。

 私はこの詩集の詩句に、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の言葉に似通う響きを感じます。ニーチェのアフォリズムにも近しい響きがあります。
 手記、アフォリズム、思索集、思集と呼び変えられるかもしれません。でも詩の本性は呼称にはありません。「雨ニモマケズ」に詩を感じとれる方は、ここに星のひかりを見つけるはずです。
 
 文学者は読者の心に作品をより強く印象づけようと、一般的な生の時間にはない時間、あらすじ、起承転結、問いと答え、出発点と到達点、クライマックスなどの虚構を創作します。それが創作芸術の本質です。
 たとえば宮沢賢治も、新しい詩形や言葉の表現、感性をより鮮烈に伝える書き方を工夫し模索し作品化しています。芸術意識のとても高い詩人であることを詩集『春と修羅』が語っています。
 その賢治が死の直前にノートに書きつけたのは「雨ニモマケズ」だったのはなぜでしょうか。
 言葉の音楽と言葉の絵を作品とするだけの時間が残されていないと感じたのか、死を目の前にして虚構の芸術世界を作品とすることにもう関心を失ったのか、推測することしかできません。けれども、彼が書きつけた心打つ言葉だけは遺りました。

 田川紀久雄さんは数年来、末期癌の闘病をされながら詩を書かれています。
 芸術作品として美しい音楽性豊かな独自の詩世界を、闘病前に形作られています。(田川紀久雄の詩集『かなしいから』 (1) (2) クリックして読めます)。画家であることからも造形意思の強い芸術家であることがわかります。
 末期癌の告知を受け入院され闘病をはじめられてから、田川さんの詩ははっきり変わったと感じます。
 最近の作品には、言葉の形象化、作品の形式を整えることへの意思、執着はきわめて弱まっています。ちがう質の詩を、表現を選んでいるからです。いのちをありのまま直接的な言葉で肉声で伝えること、何より大切で身を削ってでもやり遂げたいのは、このことにつきるからです。
 生と死の境界の間際にいる自分のいのちをみつめて、自分自身に、自分と近しい場にいる死にそうな人に、死んでしまった人に、生きている人に向けての、吐きださずにはいられない詩魂、叫び、願い、祈り、愛がどうしようもなく泉のように込みあげてきて、この詩集となり、歌となり、微笑みながらとめどなく流れる涙になり、ふるえています。

 なぜお前にわかるのか、と問われたら、私からも精神的な病いとの境界で『死と生の交わり』が生まれたからです。この最初の本は『海にゆれる』以降の、言葉による詩世界、芸術として創作した詩集とは異なる姿だけれど、私の詩だと、かけがえない言葉だと、誰よりも強く思っているからです。田川さんはこの本をわかってくださいました。

 言葉で詩を形作る、芸術作品を彫たくし完成させるには試行錯誤し推敲する時間が不可欠です。創作とは生まれ来るのを待ち望みながら生み出すものだから、本来的にはいつ完成できるか創作者にも分かりません。
 だから少なくとも完成するまではおそらく生きていられるだろう、生きようと望めば生きられるだろう、最低限の時間はまだあるだろうという、生の継続を確かにあるものと感じられる信頼感のようなものが、芸術創作には必要です。

 まだまだ自分が死にはしない、生き続けていられるのが当たり前という感覚のひとは死にも生にも鈍感です。そのようにしていられるひとには、善悪の問題ではなく、死んでしまったひとの悲しみは切実にはわからない、わかったふりをするのは嘘、わかりたいという願いを抱くことだけが偽りではないと私は思います。
 自分が死ぬ間際にいる、いつ死ぬかも知れないという時、死んでしまったひとへの、痛みへの思いから、嘘偽りが洗い流されます。そのとき、表現者として何をどのように伝えられるかという残された選択肢は限られ、選ぶ言葉の質は変わります。問いかけ、迷い、恐れ、おののきがにじみ、死と生を凝視する言葉は痛く、宗教に近づきます。

 けれど田川さんの詩は、特定の宗教の信者としての確固とした悟りや真理を唱えるものではありません。信仰の手前で、近い位置で、人間のありのままの姿で、裸のままさらされています。とてももろい、人間のいのちそのもののようです。だから真実が、微笑みながら流れる涙にひかります。

 田川さんがこの詩集の作品を書かれた時間は、私の父が闘病し亡くなった時間と重なり、読むたびに私の心にその時間と痛みが流れます。この本の詩句を読み取り、心をこだまさせながら、私は父のこだまを探しています。生きていた父、境界にいた父、亡くなった父、今ある父を思わずにいられません。
 父のあの顔が焼き付いた私には、この微笑みと涙には嘘がないと、わかります。この本の顔、田川さんの絵を見ればわかります。

 次回は、この詩集から、強く心に響いた詩を紹介します。


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 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。絵と音楽と詩のコラボをぜひご覧ください。

    こだまのこだま 動画
  
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    Posted by 高畑耕治 at 06:00 │