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高畑耕治
高畑耕治

2014年02月15日

ルソー。あなたを愛しますと言う権利を。

 ジャン・ジャック・ルソーの長編小説『新エロイーズ』を読み通すことができました。この小説の名は二十代の頃からいつも私の心の片隅にあり、いつかは読みたいと思っていました。彼の『エミール』を読み返しエッセイを書きながら、彼への心の共感が深まったことに力を得て、長い小説の世界を旅することができました。

 共感する言葉は小説のいたるところに散りばめられていました。エッセイに書くことは考えずに小説の世界に没入しましたが、読み返すたびに泣きたい気持ちになるほど強い感動をおぼえるクライマックスの言葉だけは、今回ここに書き留めておきたくなりました。

 この長編小説は、複数の人物、男女のあいだで交わされる手紙だけでできた、手紙の束です。私がこのエッセイに記すのは、小説の第六部の十二番目の手紙、この小説の愛しあう二人の主人公、女性のジュリが男性サン=ブルーへ、彼女が死ぬ間際に書いた、最期の、別れの言葉、遺書です。

 この手紙を理解するために、長編小説を遠望します。
舞台は18世紀スイス。二十代の貴族の娘ジュリと従姉妹ふたりの家庭教師となった平民のサン=ブルーは、ジュリと深く愛し合います。ジュリの母親は娘の心への理解をしめしますが、ジュリの父親は、身分の違いから二人の恋愛、結婚の願いを許しません。ジュリは命がけの手段を選びます。サン=ブルーと一夜を共にし結ばれ、身ごもることを祈り、できなら、殺されるか、結婚をゆるされるか、どちらになろうが、教会で牧師と父の目の前で告白しようと決意していました、が、妊娠の願いかないませんでした。ジュリの母は病気でなくなり、ひとり身の父を捨てられず、ジュリは、自分を犠牲にして、父が独断で娘との婚姻を約束した、愛していない男と結婚します。絶望したサン=ブルーは自殺を踏みとどまり世界周航の軍役に身を投じます。数年後生き残り故国へ戻ったサン=ブルーは、二人の息子の母親となっていたジュリと夫と再会を果たし、紆余曲折のすえ、子どもたちの家庭教師として迎えられ、まもなく共に暮らし始めようとしていました。が、サン=ブルーが恩人の危機を救うため他国へ旅していたとき、湖に落ちた息子を救おうと後を追って飛び込んだことが原因で死の床につきます。ジュリが死を目の前にした床で、サン=ブルーへ宛てた遺書が引用の手紙です。

 この長編小説の主題は、愛と徳です。ルソーは、愛しあう二人の互いへの手紙を通して、愛している、愛している、といい続けます。心深く愛しあうことに変えられるものは何もないと。女と男は、ひとつにならずにはいられないように、結び合うように、自然に産み落とされているのだから、自然のままに、心から、愛しあうことの素晴らしさ、美しさ、愛しあうことへの想いの強さが、一貫して流れています。

 そうであるにもかかわらず、平民と身族、社会的な慣習、数十年まえの日本もそうであったように、娘の結婚相手は、一人の女性としての心が選び決めるのではなく、父親が、家柄、社会慣習で独断し、命ずるものであったこと。この小説でも、心の想いのままに深く愛しあい、慣習の檻を突き破ろうとして結ばれた二人の行いは、願いが適わず、彼女が愛していない父親の選んだ男と結婚したときから、過失、許されない行い、罪、に変じてしまいます。ジュリも、サン=ブルーも、ひとつにならずには生きていけない心であることを深く感じていただけに、引き裂かれた瞬間、ふたりの心は死にました。痛い、真実だと私は、感じます。

 ジュリは結婚した後は、罪をふたたび犯さずに、社会生活の、家庭の、宗教の、徳を守り続けようとします。再会できたサン=ブルーとも、深く愛しあった愛人同士としてではなく、ひとりの家庭の妻と、友人としてともに生きていこうとしていたそのとき、ジュリを死が襲います。
 ジュリの最期の、この手紙での告白は、強く心を打ちます。引き裂かれたとき、愛する心は死んだこと。それでも、生きている限り、愛していたこと。きっと、愛が、徳の押さえつけを、破らずにはいなかっただろうこと、を愛するひとに告白します。心が痛くなります。

 ルソーは、長編小説を通して、愛と徳に語らせているけれど、ジュリの最期のこの言葉こそ、彼が伝えようとした真実なのだと私は感じます。小説を旅するうちに、ジュリが小説の世界を通して生きていると感じ、ジュリを愛している自分を感じるから、彼女の死をまえにした手紙を読み返すたびに私は、悲しく、美しさに心をうたれ、痛み、泣きたくなります。人間であることへの想い、愛することへの想いが揺れ続けます。

 「あなたなしにわたくしにどんな幸福が味わえましょうか? 」

 「徳は地上でこそわたくしたちを隔てましたけれど、永遠の住み家ではわたくしたちを結び合せてくれましょう。わたくしはこの楽しい期待をもって死んでゆきます。罪にならないでいつまでもあなたを愛する権利を、そしてもう一度、あなたを愛しますと言う権利を、この命と引換えに贖えるのを深く喜びつつ。」


● 以下は出典からの引用です。(手紙の中でも、私の心にささるように感じて読み返したい言葉を赤文字にしました。読みやすくするため改行は一行空けました)。

 第六部 書簡十二      ジュリより <サン=ブルーへ>

 わたくしたちの計画は諦めなければならなくなりました。すべてが変ってしまいました。いとしい方。不平を言わずにこの変化を忍びましょう。これはわたくしたちより一そう賢い御手(みて)から来たことです。わたくしたちはご一緒に集ることを考えておりましたけれど、ご一緒になることは善くなかったのです。それを妨げ給うたことは天の御恵(みめぐ)みです。きっと不幸が起ることを防ぎ給うたに相違ございません。

 わたくしは長いあいだ思い違いをしてまいりました。この思い違いはわたくしにとって有益なものでしたけれど、もうわたくしに不必要になりましたとき壊れたのです。あなたはわたくしが熱が冷めたとお思いになりましたし、わたくしもそう思っておりました。この思い誤りを役に立つ限り続かしめ給うた方に感謝いたしましょう。わたくしがこれほど深淵の縁に来ていることを知りましたなら、目まいを起こさなかったかどうか誰が知りましょう。そうです、わたくしに生きる力を与えてくれたあの最初の感情はどんなに抑えつけようと思っても駄目で、その感情はわたしの心の中に凝り固ってしまったのです。その感情はもう恐れるに及ばなくなったときに心の中に目覚めてまいりました。その感情は体力がわたくしを見棄てましたときにわたくしを支えてくれ、死に瀕しておりますときにわたくしを元気づけてくれております。あなた、わたくしはこう告白いたしましても恥ずかしい気持はいたしません。否応なく残ってまいりましたこの感情は意志の埒外にあったのでして、少しもわたくしの潔白の患いにはなりませんでした。わたくしの意志に属することはすべてわたくしの義務の領分でした。わたくしの意志に属さない心はあなたのご領分であったとしましても、それはわたくしにとって責苦ではございましたけれど罪ではございませんでした。わたくしはなすべきことをいたしました。徳は汚れなくわたくしに残っておりますし、愛は良心の呵責なく残っておりました。

 わたくしは過去の事は誇ってもよいと思います。けれども、これから先きの事を誰が保証できましたでしょう? あるいはもう一日でも生き延びれば罪を犯すところだったでしょう! あなたと共に余生を送りましたならどういうことになりましたでしょう? なんという危険をわたくしは無意識のうちに冒しておりましたことでしょう! それよりも一そう大きな何という危険に身を曝そうとしていたことでしょう! わたくしはあなたのために心配してあげているつもりでしたが、きっと自分のために心配していたに相違ございません。あらゆる試煉行われましたけれど、試煉は何度でも起りすぎるくらい起る可能性があったのです。わたくしは幸福のためにも、淑徳のためにももう十分に生きたのではありますまいか? まだ人生から取り出さねばならない何か有益なものがわたくしに残っておりましたでしょうか? 天はわたくしから生を取上げ給うても、もう何一つ惜しいものを取上げ給うわけではありませんし、却ってわたくしの名誉を守って下さるのです。あなた、わたくしはあなたにもわたくしにも満足して、都合の好い時にこの世を去るのです。わたくしは喜んで去ります、この退去には少しも辛いところはございません。あれほど犠牲を払いました後ですもの、これからまだ払わなければならない犠牲などは物の数とも思いません。ただもう一度死ぬだけのことですもの。

 あなたがお苦しみになることは今から分ります、わたくしはそのお苦しみを感じます。あなたは相変らずお気の毒な方です、それは分り過ぎるほど分っております。ですから、あなたのご悲嘆を意識しますことは、わたくしがあの世へ持ってまいります最も大きな苦しみなのです。
けれどもまた、どんなに多くのお慰めをあなたにお遺ししてまいりますか、それをご覧になって下さいませ! あなたが大切に思って下すった女に対する義務としてどんなに多くのご配慮をお果たしにならねばならないかということが、その女のためにお命をお保ちになる義務をあなたに課することでしょう! その女の最も善い部分のために尽して下さることがあなたには残っているのです。あなたがジュリについてお失いになるところは、すでに久しい前からお失いになっていたものだけなのです。(略)

・・・・・・疲れを感じます。もうこの手紙を終らなければなりません。(略)

 さよなら、さよなら、愛しい方・・・・・・。ああ、わたくしは人生の門出をしたときと同じようにしてこの生を終ります。こういうことを申しますのは余計なことかもしりませんが、今はもう心が何事をも隠し立てしなくなった時ですので・・・・・・ほんとに、どうしてわたくしの感じていることを残らず言い表すのを憚ることがございましょう? あなたに語っているのはもうわたくしではありません、わたくしはもう死の掌中にあるのです。あなたがこの手紙をご覧になるときは、あなたの愛する者の顔と、もうあなたの宿られなくなった心臓は蛆に喰われておりましょう。でも、わたくしの霊魂はあなたなしに存在いたしましょうか、あなたなしにわたくしにどんな幸福が味わえましょうか? いいえ、わたくしはあなたとお別れするのではありません。あなたをお待ちしに行くのです。徳は地上でこそわたくしたちを隔てましたけれど、永遠の住み家ではわたくしたちを結び合せてくれましょう。わたくしはこの楽しい期待をもって死んでゆきます。罪にならないでいつまでもあなたを愛する権利を、そしてもう一度、あなたを愛しますと言う権利を、この命と引換えに贖えるのを深く喜びつつ。


 今回の最後に、このジュリの手紙と木魂する私の詩を響かせます。
   
   詩「生まれた日から (クリックしてお読み頂けます)。

出典:新エロイーズ (ルソー著、安士正夫訳、1961年、岩波文庫)


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 『詩集 こころうた こころ絵ほん』を2012年3月11日イーフェニックスから発売しました。
(A5判並製192頁、定価2000円消費税別途)
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    詩集 こころうた こころ絵ほん

 イメージング動画(詩・高畑耕治、絵・渡邉裕美、装丁・池乃大、企画制作イーフェニックス・池田智子)はこちらです。
絵と音楽と詩の響きあいをぜひご覧ください。
    こだまのこだま 動画  




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    Posted by 高畑耕治 at 19:30 │