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高畑耕治
高畑耕治

2014年05月29日

『詩学序説』新田博衛(七)モダニズム詩、いわゆる「現代詩」の言葉遊び。

 前回に続き、新田博衛(にったひろえ、美学者、京都大学名誉教授)の著作『詩学序説』から、詩についての考察の主要箇所を引用し、呼び起こされた詩人としての私の詩想を記します。
 この美学の視点から文学について考察した書物は赤羽淑ノートルダム女学院大学名誉教授が私に読むことを薦めてくださいました。
 小説、叙事詩、ギリシア古典悲劇、喜劇、戯曲(ドラマ)を広く深く考察していて示唆にとみますが、ここでは私自身が創作している抒情詩、詩に焦点を絞ります。

 今回は、新しい世界解釈、比喩についての考察の続きです。●出典の引用に続けて、◎印の後に私の詩想を記します。読みやすくなるよう、改行は増やしています。

●以下は、出典からの引用です。

(略)サッポオ、断片九十六
  (大意)いまや、あの娘(こ)は、リュディアの女たちのあいだで、
  際立った存在です。ちょうど、日が沈むと、
  薔薇色の指をした月が
  すべての星を圧倒するように。

 比喩は、言語における詩的動向の顕在化したものである。それは、一篇の詩に匹敵する表現のエネルギーと構造とを、つねに内包している。(略)
 月は、ここでは、「薔薇色の指をした」(略)と形容されている。(略)「月」と「薔薇色の指」との組み合わせはいかにも奇妙であり、月が赤い色をしている、と考えるにせよ、月が日没時の空の赤さを分有している、と考えるにせよ、(略)いきいきした意味を失なっている。このことは、われわれに、比喩の性質について次のようなことを教えてくれる。
 すなわち、比喩(ここでは天体の擬人化)は、それが芽生えた詩的土壌から離れて、例えば“日”から“月”のように正反対のものに適用されうるほど自立的になりうると同時に、まさにそのゆえに、陳腐な常套句に堕する危険をつねに孕んでいる、と。
 詩的表現の純粋結晶体としての比喩は、あらゆる言語表現のなかへ――他の比喩のなかへさえも――投入されて、ごく微量でその言表を詩趣に富んだものに変える力をもっているのであるが、それだけに、もとの土壌から切りはなされたものに特有の脆弱さを遺憾なく具えているのである。     ●出典の引用終わり。

◎著者はここで、「比喩」の他の一面の姿を捉えています。
 言葉が言葉を呼び合い結びつけられた詩句である比喩は、「自立的になりうると同時に、まさにそのゆえに、陳腐な常套句に堕する危険をつねに孕んでいる」。
「詩的表現の純粋結晶体としての比喩は、(略)もとの土壌から切りはなされたものに特有の脆弱さを遺憾なく具えている」。
 その通りだと思います。ひと言でいうと、詩がただの「言葉遊び」に陥る原因ともなる、ということです。
 このとき、「言葉遊び」であるかどうかは、用いられる言葉が、難解なものか平易なものか、にはよりません。また、新奇なものか歴史を経たものか、にもよりません。
 前回も記しましたが、私がモダニズム詩やいわゆる「現代詩」を好きでないのは、「難解な言葉」「新奇な言葉」を繋ぎ合わせる無味乾燥な「言葉遊び」に溺れているのが陳腐で脆弱で、詩の美しさ豊かさを貶めていると感じてしまうからです。

●以下は、出典からの引用です。
 「他の物の名を移してくること」という、アリストテレスの比喩の定義は、(略)新らしい事態にたいする名を、アナロギー(類推)によって、既成の言語表現から導き出してくること、と解されることができる。
 これを、言語の側からいえば、比喩とは、言語が、アナロギーを力として、つまり、自分自身の力によって、命名の範囲を拡げてゆく過程、を指すことになる。
 われわれの用語にひるがえして言えば、それは、言語そのものの力による新らしい世界解釈の成立、ということになろう。
 ただし、言語にこの力を発揮させるのは詩人であり、彼はそのための洞察力を持たねばならない。

 われわれは、いまや、この断片九十六からの例を、安んじて、アリストテレスの比喩論の枠内で扱うことができる。
 それは、アナロゴンによる比喩の一種であり、当該の娘のリュディアの女たちにたいする関係は、目立ち、凌駕している点において、月の星々にたいする関係に等しい。サッポオの天才は、娘の美しさと月の光という似ていないものの中に、他を圧倒する、という似ているものを看取し、一箇の直喩を形成したのである。
 ここから、「のように」という説明部分を省けば、当該の娘を“リュディアの月”と呼ぶような斬新な表現が比喩として成立する。比喩であれ、直喩であれ、こうした表現の中には、一般に、既成の言語表現からアナロゴンによって導き出された、新らしい事態にたいする名が含まれており、それは、言語の側からいえば、言語自身の力による命名範囲の拡張、新らしい世界解釈の樹立なのである。      ●出典の引用終わり。

◎著者はここで、比喩についての考察を要約しています。
 比喩は「言語そのものの力による新らしい世界解釈の成立」です。このことを繰り返したうえで、根本的な次の言葉を記します。
 「ただし、言語にこの力を発揮させるのは詩人であり、彼はそのための洞察力を持たねばならない。」

 サッポオが紡いだ詩句に息している「あの娘」を、比喩で“リュディアの月”と新しく呼ぶとき、娘は私の心に新しく生まれ変わり月のひかりで輝いてくれます。そのような表現に出会うたびに、私は詩をますます好きになっていきます。

●出典『詩学序説』(新田博衛、1980年、勁草書房)

 次回も、『詩学序説』をとおして、詩を見つめます。




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    Posted by 高畑耕治 at 19:15 │