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高畑耕治
高畑耕治

2013年12月05日

オウィディウス『変身物語』(七)。女のおまえさえも

 

 ローマの詩人オウィディウス(紀元前43年~紀元17か18年)の『変身物語』に私は二十代の頃とても感動し、好きになりました。
「変身」というモチーフで貫かれた、ギリシア・ローマ神話の集大成、神話の星たちが織りなす天の川のようです。輝いている美しい星、わたしの好きな神話を見つめ、わたしの詩想を記していきます。

 二回に分けて、トロイア戦争の敗戦国の王妃ヘカベと、娘のポリュクセナ、息子のポリュドロスの悲劇をみつめます。この一節のオウィディウスの言葉、詩句には、とても強く迫ってくるものがあります。生を凝視し歌う彼の魂が言葉に乗り移っているように、わたしは感じます。

 今回は母ヘカベと娘ポリュクセナの嘆きです。
 
 敗戦し滅びた国の、母と娘の悲劇を伝えるこの説話でも、詩人オウィディウスは、娘ポリュクセナとなりきり、母ヘカベにもなりきり、彼女たちの思いになりきり、語っています。
 オウィディウスがこの作品を書き続けていた時間には、娘ポリュクセナも、母ヘカベも死んでいました。絶望のうちに、言葉を奪われ、無言で。
 オウィディウスは、絶望のうちになくなった二人の女性の無念の声になりきり、その思いを死の国から蘇らせたともいえます。

 わたしはこの話を読み、オウィディウスを通して語る、王妃ヘカベと、娘のポリュクセナの声を聞くと、原民喜と峠三吉を思わずにいられません。
 二人の詩人もまた、原爆の惨劇に陥れられた、罪の無い多くの少女や子供たちの、絶望の声になりきり、蘇らせてくれました。その声は、私の胸からもう消えることはありません。読者の思いに木魂し、語り継がれます。

 人間がいて、文学があるかぎり、消え去ることはありません。絶望のうちに消えていった悲しみさえ、いのちの声として蘇らせ、響かせてくれる文学を大切にしたいと私は思います。

● 以下、出典の引用です

いまでは母親にとってほとんど唯一の慰めであるこの娘が、その母親の手から奪い去られた。ふしあわせにもめげぬ乙女は、男まさりの気丈さで、アキレウスの墓前へ連れ出される。この無慈悲な塚に、いけにえとして献げられるのだ。残忍な祭壇の前に立ち、自分を贄(にえ)とするための、残酷な儀式が用意されているのを知ったときも、王女としての誇りを忘れなかった。(略)
――「(略)いまのわたしのたったひとつの願いは、わたしが死んだことを母が知らないでいられたらということです。母だけが気がかりで、母のことをおもうと、死んでゆく喜びも褪(あ)せるのです。もっとも、母がほんとうに嘆かねばならないのは、わたしの死よりも、自分が生きていることのほうなのですのに。
(略)どうか、わたしのなきがらは、金子(きんす)と引きかえなどではなしに、母親の手へ返していただけますように! 葬いの悲しい権利は、黄金によってではなく、母の涙によってあがなわせてください。(略)」
 こういったが、涙はこらえていた。聞いているみんなのほうが、そうはできなかった。儀式を司るネオプトレス自身も、涙を流していた。さし出された胸に剣を突きたてるのが、こころ苦しかった。乙女は、がっくり膝を落として、地上にくずおれたが、最後の瞬間まで、泰然自若とした表情を崩さなかった。(略)
彼女を引きとったトロイアの女たちは、(略)乙女の死と、母親の運命を嘆く。ついこのあいだまで王妃と呼ばれ、母后と尊ばれて、アジアの繁栄の象徴であったヘカベが、いまでは、捕虜としてさえありがたがられはしないのだ。(略)
そのヘカベが、いま、あんなにも雄々しい魂のぬけ去った、娘の遺体を抱きしめている。あれほどたびたび、祖国や子供たちや夫のために流した涙を、娘のためにも流すこととなったのだ。その熱いしずくを傷口にそそぎ、唇に唇を重ねて、叩きなれた胸を打ち叩く。固まった血を白髪でなでながら。あれやこれやの嘆きをつらねる。われとわが胸をかきむしりながら、こうもいった。
「娘よ、おまえはここに横たわっている。おまえは、おまえの母親の最後の悲しみなのだ。でも、ほかに、どんな悲しみが残っていよう? 目の前のこの傷は、お前の傷というよりは、わたしの傷だ。(略)おまえは女だから、刃物からは守られているとおもっていた。だのに、女のおまえさえも、剣で倒れた。(略)
こんなにも大勢の者をなくしたあとで、今度は、ただひとり母親の嘆きを和らげてくれていたおまえが、かたきの墓へのいけにえとなった! それなら、わたしは、敵に捧げるための贄を生んだのか! (略)おまえに捧げられるものは、母の涙と、ひとつかみの異国の砂だけなのだ!(引用次回へ続く)。

● 引用終わり

 今回の最後に、オウィディウスが伝えてくれた母と娘と、原民喜や峠三吉の詩と木魂している、悲しく心痛む、けれど忘れられない、詩人・武内利恵の詩「行水」を聴きとります。
  
  詩「行水」武内利栄。(愛しい詩歌 「武内利栄の詩。悲歌の、感動。」から。)

 次回も、この天の川に輝く、わたしの好きな神話の美しい星を見つめます。

出典:『変身物語』オウィディウス、中村善也訳、岩波文庫



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    Posted by 高畑耕治 at 19:00 │